第38話 草世か真珠の命、どちらか
「自己紹介が遅れて、すみませんなぁ。そのとおり。白狐族の長である
癖のある抑揚と、方言が入り乱れた奇妙な話し方。
真珠の家族との会話のやり取りを聞く限り、草世はやり込められてしまう気がしてならない。
(真面目でしっかりとした人かと思っていた。想像と全然違うぞ。うまく話せるだろうか? それよりも真珠はこの人を、おばあちゃんとよく呼べたな。僕がうっかりおばあちゃんと口を滑らせたのなら、張り倒されそうだ)
そんなことを考えていると、希魅は扇子を閉じて、手のひらにパンっと軽く打ちつけた。
「あの若者、たいしたものやったね。精神を侵されても、ぎりぎりのところで踏ん張っておった。鍵が壊された部屋から出なかったのは、人を殺したくないという、あの若者の精神力が強かったからやね」
「直志のことですか!」
「そう。いい男やわぁ。見込みがある。うちの側近にしたいわ。勧誘しに行こかな?」
「あのっ! 真珠のことなのですが!!」
草世は名家の長男として、そして医者として、多くの人間に関わってきた。だが、希魅ほど性格が掴みにくい者はいない。
草世がおどおどしながら説明しようとするのを、希魅が声で制す。
「無駄に言葉を使わんでいい。
「はいっ!」
「助けてやってもええよ」
「本当ですかっ⁉︎」
「ただし、条件がある。真珠を助ける代わりに、あんたの命をもらう。死ぬのが嫌なら、真珠は助けん。あんたの命か、真珠の命。どちらか選べ」
草世は、紅を綺麗に塗っている希魅の唇の動きを、呆然と見つめた。
希魅の背後に広がる空。赤紫色に染まった夕焼け空のその色の不穏さに、心がざわつく。翳った山に冷たい風が吹く。
「僕か、真珠。どちらかの命を選ぶしかないのですか……? 二人で生きる道はないのですか……」
「ない。だが、喜べ」
柔らかく目を細めた希魅。草世は希望を抱く。
「人間の寿命は、百歳程度。ま、あんたは無理やろな。短命な顔をしているからな。白狐の寿命は長い。平均して千年。長くて三千年。五千年生きた白狐もいる。人間とは比べ物にならんわけ。どちらの命を選べばいいか、わかるよな?」
「……全然、喜べないのですが……」
「そうか? 頭に脳みそが詰まっているなら、喜べる話だと思うけどな。真珠の心の清らかさは、あんたも知っているやろ? 真珠なら、白狐族最高の
「それは……」
重要だとは、とても言えない。草世自身、わかっている。自分の価値の低さと、生きていても大きな意味を生みださないことを。
(いつ死んでもいいと、思っていた。でも今は……)
草世の膝の上に横たわっている真珠狐。明るくて元気で純粋でやさしくて勇気ある真珠に、未来を託したい。そのために草世は、自分の願望を押し殺した。
「わかりました。僕は死んでもかまいません。真珠を助けてください」
「その答えでいいか?」
草世は迷いはしたものの、しっかりとした口ぶりで、「はい」と答えた。
希魅は草世の眼前まで歩いてくると、扇子で草世の頭を叩いた。
「痛っ!」
「あんたの脳みそ、壊死しているとちゃう? しっかり考えや!」
「考えましたよ!」
「考えとらん!」
「だってどう考えたって、僕よりも真珠が生きたほうが国のためになるじゃないですか!」
「だったら聞くが、あんたが真珠のために命を捨てること。真珠は喜ぶと思うか?」
「それは……」
「うちは喜ぶがな。男がうちを助けるために命を投げだすなんて、胸がきゅいーんとするわ。男の死体のまわりで、喜びの舞を踊ってあげるわ。だが、真珠は違う」
希魅が言わんとするところが、草世にもわかった。真珠狐に被せた上着の上から、背中に手を当てる。真珠が少しだけ動いた。
真珠と過ごした時間は短い。まだ一ヶ月もたっていない。けれど、真珠の気持ちは十分に伝わってきた。
──草世、やさしい。大好き!
真珠は幾度も、愛を告げてきた。
(僕がいなくなったら、真珠は泣くだろう。泣きながらも、どこかで折り合いをつけ、生きていく。人はみんなそうやって生きていく。真珠も……)
草世の心を見透かしたかのように、希魅がふふんっと鼻を鳴らした。
「真珠は一途な子やから、死ぬまで忘れんやろな。人間は百歳で死ねるからええなぁ。真珠は三千年、下手したら五千年も、そなたを恋しく想いながら生きていく。生き地獄やな」
「だったら、どうすればいいって言うんですかっ! 僕だって、死にたいわけじゃない。真珠と生きたい。でも、僕か真珠の命。どちらかしか選べないのでしょう!」
「確かにうちはそう言った。それに対して、抗う気はないわけ?」
「えっ……」
「良い子ちゃんで生きるのも大概にしいや。与えられた選択肢の中で物を考えていては、相手の思う壺。悪い作戦に乗ってはいかん。二つの選択肢が気に入らんなら、他の選択肢を考えついたらええやん」
「いいのですか?」
「気弱な男やな! 自分の気持ちより相手の言い分を優先させたいようだな。だったら、うちはこう言ってやるわ。真珠のために死ね。おまえでは真珠を支えられん!」
「待ってください!!」
ふんっと鼻を鳴らし、踵を返そうとした希魅に、草世は叫んだ。
「三つ目の選択肢を考えました! 真珠とともに生きる未来です。僕が真珠を支えます。ですからどうか、僕と真珠が二人で生きられる方法を教えてください!!」
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