第37話 美しい花魁
ザザザザザーーーーっ!!
激しい風が吹き荒れ、山が揺れる。飛んでくる枯れ葉から目を守るために、草世は片腕で顔を覆った。
風がやみ、腕を下ろすと──鮮やかな赤色が目に飛び込んできた。
白藍の斜め後ろ。二人の吐息が混じるぐらいの距離に、華やかな牡丹が描かれた赤い着物の女性が立っていた。目尻には朱が塗ってある。
草世は目をぱちくりさせた。
(こんな田舎に? しかも突然、現れたぞ……)
見事なまでに美しく艶やかな女性だが、していることは物騒だ。白藍の首の動脈に、閉じた扇子の先を当てている。
着物をずらして、両肩の曲線を惜しげもなく人前に晒している、二十代前半ぐらいの女性。
男を魅了する色気を放つ絶世の美女は、妖艶に微笑んだ。
「白裂という名だと思っておったが。おまえはいつから、白藍って名になったのかぇ?」
「そ、それは……」
「白藍と呼んでほしければ、そのように呼ぶが?」
「いえ、白裂のままで、はい……」
「声が小さい。よう聞こえん」
「白裂とお呼びください」
白裂は、怯えと悔しさが入り混じった表情をした。草世を見下していた冷酷な雰囲気は消え失せ、気配が薄くなっている。
この場を支配しているのは、若くて美しい花魁。
そのことが、草世にもはっきりとわかった。草世は瞬きをするのも忘れ、花魁を注視する。敵か味方か。もう間違えるわけにはいかない。
花魁は瞳に楽しげな笑みを浮かべ、草世に流し目を送った。
「白狐はなぁ、人間よりも感じ取る能力に長けておる。遠くの音を聞いたり、まだ来ていない者の気配を感じたり、怪しいものの正体を探ることができる。それに加えて、うちは仙狐やから、遠く離れた場所でなにが起こっているのかもわかる。丹地風呂屋のこと、難儀やったな。この白裂が鍵を壊したさかい、えらい目にあったなぁ」
「えっ……鍵を壊した……この人が?」
花魁の持つ扇子に顎の付け根を当てられて動けずにいる白裂に、草世は目を向けた。
「あなたが、鍵を……どうして……」
「怨念に取り憑かれた若者に村を襲わせ、草世を死なせるため。そうやろ? 部屋の鍵を壊して、部屋から出そうとしたんだろうが、若者の意志が強くて残念やったなぁ」
「僕を死なせるために、鍵を……」
草世は困惑する。白裂の意図が読めない。死なせたいと思うほどに憎まれる理由がわからない。
白裂が口を動かす前に、希魅が鼻にかかった笑い声をあげた。
「ふふっ。白裂は、あんたではなく、真珠が憎くて動いたのだわ。あんたが死ぬことで、真珠が絶望の底に沈むのを見たくてな。あんたの死を利用して、真珠を嘲笑ってやる計画やったんやろな。性格の悪い男やねぇ。他人を利用して、自分の手を汚すことなく目的を果たす。うちの嫌いなタイプやわぁ。でも、ま、いいわ。今回は見逃してやる」
「……ありがとうございます」
白裂が肩から力を抜き、礼を述べたのも束の間。希魅は白裂の左耳に真っ赤な唇を寄せ、ドスの効いた低い声で命じた。
「白狐御殿の床を米ぬかで磨いておくれ。一人でな」
「私が、ですか……?」
「白狐族の掟を破った者には、死が待っている? 初耳やわ。誰がそんな罰則を作ったのやろか?」
「…………」
「真珠に手出しをさせないよう頼むために、草世に会いに行ったんだってな。おまえはずいぶんと暇なようだ。仕事を頼むとするわ」
「床磨きなど、下働きの者に命じれば……」
花魁は、白裂の首元に当てている扇子をぐいっと押しつけた。扇子の先が皮膚にのめり込む。
白裂は喉奥で「ひぃ⁉︎」っと細く叫んだ。
「うちが外国に行っている間に、ずいぶんと好き勝手なことをしたらしいな。おまえが真珠にしたことを、お返ししてやってもええんよ。だが、少しばかり毛をむしるぐらいじゃつまらんわな。皮膚ごとむしってやろか?」
白裂から表情が抜け落ちた。唇を真一文字に結ぶと、一瞬でスッと消えた。
草世の背後で、短く息を飲む音がした。真珠の父親だ。息子が消えたことに動揺し、自分も……と身動ぎする。
「待て。白狐は神の使いとして、人間を助ける役割を担っておる。しかし、小耳に挟んだ噂によると、人間を嫌う者がおるらしいな。そいつは娘に、人間に関わるな。無視しろと言っているらしい。本当の話やろか?」
「いえ、そんなことは……」
「小さい。聞こえん」
「そんなことはございません。誤解です」
「うちはてっきりな、そいつは修行をするのが嫌いで、霊力が低いのを誤魔化すために、人間が嫌いだから関わらない。そう、ほざいているのだと思っておったわ。誤解ということで、いいんやな?」
「はい」
「良かったわ。では、おまえに命ずる。床支村に住んでいる、吾平という男を見張れ。
「われが、人間の村に……」
花魁は扇子を広げると、その奥で高らかに笑った。
「おまえは、人間の村に行くのが好きだと思ったが? 修行をサボって、人間の村にしょっちゅう遊びに行っていたではないか。そこで、美しい野狐に一目惚れして、足しげく通い、白狐村の宝物を盗んで貢いだ。拝み倒して、子を成してもらったというのに、癇癪持ちの妻に叱られるのが怖くて、野狐に誘惑されたのだと嘘をついた。うちはなんでもお見通しなんよ。しかし、なっさけねー男やわ。娘をいじめるなど、石打ちの刑にしてやりたいほどに腹立つわ。うちが笑っている間に、動いたほうがええんとちゃう?」
真珠の父親は「ぐっ!」と低く唸ると、そそくさと岩から降り、狐の姿に戻った。四本足で走って、峠を降りていく。それを見た花魁が、けらけらと笑った。
「白裂は瞬間移動できるが、あいつはできん。村に着く頃にはへばっているやろな。愉快愉快!」
草世は恐れの混じった気持ちで耳を傾けていたが、花魁と二人になったことで、恐る恐る問いかける。
「もしかして、白狐族の長である希魅様ですか?」
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