第31話 草世の次に好き
夕飯は、おいなりさん。朝のうちに仕込んでおいて良かったと、草世は心から思った。
都とその周辺では電気、ガス、水道が普及しているが、都から離れた田舎までは近代化の波は届いていない。
かまどに火を燃やし、それから米を炊いたのでは、真珠のお腹で大量の鳥が鳴いたことだろう。
真珠の着物にたすきを掛けてやる。
「おいなりさんを作ろう」
「おいなり、さん……?」
「あぁ。きっと気にいると思うよ」
「どこに住んでいる人?」
「ん?」
「ん?」
「なに?」
「なに?」
「どういう意味だい?」
「わからない」
互いに何を言っているのかわからずに、キョトンとした顔で見合う。
しばしの沈黙の後、草世はピンときて、「ああっ! おいなりさんっていうのは、人の名前じゃなくて!」と叫んだ。
「油揚げを使った料理の名前だ。油揚げの中にご飯を入れるんだ。見ていて」
草世は油揚げの袋を開くと、その中にすし飯を入れ、袋を綺麗に折り畳んだ。
「真珠もやってみる?」
「わーい! やるやる! 油揚げ、だーいすき!!」
真珠はほくほく顔で、油揚げの袋を思いっきり左右に開いた。
「あれ? 破けた」
「力入れすぎ。やさしく開いて」
「この油揚げ、どうしよう?」
「食べていいよ」
「やったぁ!」
真珠は背中とお腹がくっついてしまいそうなほどに、お腹が減っている。お昼を食べ損なったし、霊力をたくさん使った。お腹の中に元気な鳥が十羽いるんじゃないかというくらい、ぐぅぐぅ鳴いている。
真珠は、二つに裂いてしまった油揚げを口の中に入れた。
一口噛んだ途端。ほどよく甘く煮てある汁がじわ〜とこぼれて、そのおいしさに、真珠は感激で目を見開いた。
「すごくおいしいっ!! もっと食べたい!!」
「完成してからね。包むのを手伝って」
でもお腹はぺこぺこだし、口の中に残る味だけじゃ物足りない。
真珠は物欲しげに、草世が器用な手つきでおいなりさんを作るのを見つめる。
「やり方、わかった。手伝う」
たくさん食べられるようにすし飯をいっぱい入れて、指で押し込める。すると、袋に穴が開いてしまった。
「あれ? 破けちゃった。なんで?」
「欲張って、ご飯入れすぎ」
「これどうしよう?」
「食べていいよ」
「やったぁ!!」
大喜びでご飯入り油揚げを口に入れてみれば、なんとっ! 口の中にふわ〜っと広がるのは、天国。この世のものとは思えないほどにおいしい!!
油揚げだけもおいしいけれど、ご飯が加わるとさらなる絶品。すし飯と油揚げが抜群の相性でおいしさを高め合って、天井知らずの至福!!
(どうしよう! もっともっともっと、もーーっと食べたい!!)
真珠は甘えるような上目遣いで草世を見た。草世は真珠の意図に気づき、表情を引き締める。
「もう駄目だ」
「あと一個だけ。お願い!」
「いいことを教えよう。料理が出来上がる前に食べることを、つまみ食いっていうんだ。つまみ食いする子は夕飯を食べられないんだぞ。それでもいいのかな?」
「あーん、駄目ーーっ! 夕飯食べる。いっぱい食べるぅー!!」
「では頑張って、丁寧に包みなさい。ご飯をたくさん入れるんじゃないぞ」
「頑張る!」
「それと……」
草世は、白狐の掟に触れることにした。
「直志を助けてくれて、ありがとう。真珠のおかげで助かった。なのに、怒鳴って悪かった。心配なんだ。白狐の掟を破ったら、その……罰があるんだろう?」
「うん……」
「やはりそうか……。許してもらう方法はあるのだろうか?」
「わからない。みんな、掟を破らないから」
「そうか……」
ため息しかでない。塞ぎ込んだ草世の手が止まる。逆に真珠は、おいなりさんを作るコツを掴んで、せっせと手を動かしている。
「わたし、村に帰りたくない。草世の家にいたい」
「帰ったら、罰を受けることになるのだろう? だったら、ここにいたらいい」
「本当?」
「ああ。一緒に暮らすか」
草世を助けるために、白狐の掟を破った真珠。草世は責任を感じて、一緒に暮らすことを提案した。白狐が来たら、自分が悪いのだと謝るために。そして、真珠を助けてやってほしいと頼むために。
そんな悲痛な決意は、真珠にはちっとも伝わらない。真珠は顔を輝かせた。
「ずっと、一緒に暮らしていいの?」
「ずっとというか、そうだな……。場合によっては、そうなるのかもしれない……」
「それって、草世のお嫁さんに、認められたっていうこと⁉」
「んん?」
真珠は興奮して、手にしていたおいなりさんを握りしめた。
「わたし、草世の本物のお嫁さんになった!!」
「えぇっと、なんでそういう考えになったのか、わからないが……。それよりも、おいなりさんが潰れている」
「あっ、本当だ! 食べちゃうね!!」
真珠は、握りしめていたおいなりさんを口の中に入れた。頬をふくらませて、もぐもぐと食べる。
「おいしい! おいなりさん、大好きになった。草世の次に好きー!」
「そうか。それは良かった」
「草世は、わたしよりも大好きなもの、ある?」
「たくさんある」
「わたしは、草世より大好きなもの、ない。草世が一番大好きー!」
無邪気に愛を告げる真珠に、草世は、たくさんあるだなんて嘘をついたことを後悔した。
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