第32話 幸福の代償
丹地風呂屋の呪いが解けてから、四日後。直志の両親の葬儀が行われた。
両親を亡くし、家業も失くした直志の顔色は悪い。悲しみを深くたたえ、目が充血している。
それでも髪を短く切り、紋付き羽織袴姿という身なりを整えた彼には、爽やかな貫禄がある。呪われていたときのケモノのような様子とは全然違う。
野辺送りの帰り。山から吹いてきた風が雪を飛ばしてくる。雲のない晴れた空に白が舞う。
直志は空を仰ぎ、目を細めた。
「花びらみたいで綺麗だな」
「ああ」
直志は草世より頭一つ分、大きい。直志は草世に向き直ると、静かに話しだした。
「人形を箱に入れ、柱に打ち付けてあったというあれだが……。家の守り神様だ」
「守り神⁉︎」
「家を改築している最中に、村に来ていた虚無僧から教えてもらって、親父が買ったものだ。家内安全と子孫繁栄を願って、箱に入れた守り神様を大工が棟木に打ちつける。東北地方の風習らしく、俺も知らなかった」
「改築したのは確か、三年前だったよな。奇跡の風呂屋として有名になったのも、三年前……」
「ああ、そうだ。俺らは、守り神様を家に招き入れたつもりだった。病気や怪我が治る風呂屋としての評判が立ち、身入りが良くなった。虚無僧は、欠けたることのない望月の守り神様だと話していた。俺らは、守り神様のおかげだと天井に手を合わせて感謝していた。笑えるよな! 守り神様じゃなくて、呪詛だったんだから」
直志は乾いた笑いをすると、肩をすくめた。
「欠けない満月などあるわけがない。もしあったとすれば、それはまやかし。俺たちは欲深いばかりに、騙された」
「自分を責めるな。誰だって、幸せになることを望んでいる。金が欲しい、成功したいって思うさ」
「慰めてくれなくていい。現実から目を逸らしたから、すべてを失ったんだ。口に出さなかったが、親父もお袋も、わかっていたと思う。ただの沸かし湯で、怪我や病気が治るわけがない。どの客も気前良く大金を落としていくことの不自然さ。福が災いに転じるときがくるんじゃないかと、俺は内心びくついていた」
朗らか笑顔がよく似合う、正義感あふれる好青年の直志。その笑顔の下に不安を押し込めていたことに、草世は気づかなかった。そんな自分に嫌気が差す。
「そうだったのか。てっきり楽しんでいるものだと……気づけなくて、ごめん」
「ははっ! 草世先生はやさしいな! 気づかれないよう明るく振る舞っていたんだから、当然だ。……恩恵が呪いに変わったのは、俺たちのせいだ」
「どういうことだ?」
「家を改築する前、俺たちは慎ましく生きていた。茶碗についた米粒一つ、残さなかった。励まし合って、生きていた。それがさ、奇跡の風呂屋として有名になり、押し寄せた客が大金を落とすようになって、俺たちは変わった。親父は暇さえあれば、町にでて芸者遊びをするようになった。母は新しい着物を次々に買い、汗水垂らして働く村の人たちを見下すようになった。俺も……村人や草世先生より俺たちのほうがすごいんだって、内心では威張っていた。そういった俺たちの傲慢さが、家の守り神様を悪いものに変えてしまったじゃないかと思っている」
「自分を責めるのは……」
「責めているんじゃない。真実を見つめて、冷静に話している。俺たちは心の闇に負けて、呪詛に力を与えた。そのせいで、大切なものを失った」
直志が見上げている、その視線の先を草世が追うと、真昼の月がでていた。半透明の、欠けている月。
「風呂屋は廃業して、この村にいる意味はなくなったよ。旅にでる」
「えっ⁉︎ 帰ってくるんだろう?」
「さあな。自分を見つめ直して、なにかしらの答えを得ることができたなら、そのときは帰ってくるかもしれないし、そうでないかもしれない。先のことは考えていない」
疲労の濃い、直志の横顔。それでも決意を秘めたその顔は美しく、草世は止めても無駄であろうことがわかった。
「行ってほしくないが……もう、決めたんだな。寂しくなるよ」
「寂しがることはないさ。先生には奥さんがいるんだから。帰ってきたらさ、先生には子供がたくさんいるんだろうなぁ。いいなぁ。綺麗な奥さんに惚れられて」
「奥さんじゃないし!!」
「そうなのか? 草世の本物のお嫁さんになりました真珠です、ご気分はいかがですか? って、挨拶に来たぞ」
「い、いろいろと事情があって、誤解が生じたんだ!!」
焦って吃る草世に、直志は「ははっ!」と快活に笑った。
「
「たまたまだから! だいたい、簪を送る意味なんて、別に、知らなかった……」
「はいはい。そういうことにしておきましょうかね」
直志の目が笑っている。草世はばつが悪くなって、顔を背けた。
男性から女性に簪を贈る意味を知らなかった……わけではない。だが、求婚のつもりであげたわけではない。
直志の呪いが解けた日。渡すものがあるから家で待っているようにと、真珠に告げた。叱られたことに落ち込んだ真珠が、どこかに行ってしまいそうな気がしたからだ。
怒りをぶつけてしまったことを草世は悔い、きちんと謝罪するために、真珠を引き留めたにすぎない。渡すものがあると言ったのは、咄嗟についた嘘。だが、言ったからには、嘘を真実に変えなければならない。
そういうわけで、妹にあげるつもりだった揺れもの
直志は草世の頭に手を置くと、親友の気軽さで、髪をゴシャゴシャとかき乱した。
「なにをするっ⁉︎」
「あの子。草世先生から、ずっと一緒に暮らそうって言われたって喜んでいたぜ」
「だからそれは、誤解がいろいろとあって……」
「はいはい。先生、幸せな!」
「……直志も」
雪を被る山脈を背景にして、草世と直志は固い握手をした。
それから五日後。直志は村人たちに別れを告げることなく、ひっそりと旅にでた。
◇◇◇
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