第30話 掟を破った者への罰

 太陽が山際にかかり、群青色の空に一番星が輝きだした頃に、草世は帰ってきた。

 真珠は手持ち無沙汰からひらがなの練習をしていたが、身が入らない。線がふらつき、歪なひらがなが大量生産された。

 帰ってきた草世を見て、真珠は慌てて正座をし直すと、うつむき加減に述べた。


「……おかえりなさい」

「ただいま」


 真珠は、上目遣いでチラッと草世を見る。草世は上り口に座ると、背中を向けたまま話し始めた。

 

「……直志の手当てをしてきた。体のあちこちに打撲や擦り傷があったので、処置に時間がかかった。体も弱っていたし。それと、両親が亡くなったことを話した。従業員が辞め、風呂屋に来る客が途絶えたことも。呪詛のことは落ち着いてから話そうと思っていたのだが、どうしてこうなったのか、直志が知りたがったものだから、僕が知っている範囲で答えてきた。呪詛に心当たりがないということだった。やはり、呪詛という名ではなく、別な名前のものを家に置いたのだろう」


 草世の話を聞いて、直志は深くうなだれた。ひどい落ち込み具合に、草世はかける言葉が見つからず、「明日また来る」と述べて、風呂屋を後にしてきた。

 草世は膝の上に置いた拳に視線を据えたまま、真珠に問う。


「真珠は、どこで呪詛を見つけた?」

「屋根」

「屋根? 屋根の上にあったのか?」

「違う」

「では、屋根の下?」

「うん。柱」

「柱? 屋根の下の柱にあったのか?」

「うん。びっくりした」

「びっくり?」


 真珠は言葉足らずだし、説明が下手すぎる。


「もう少し詳しく話してくれ。屋根の下の柱に呪詛があったことの、なにに驚いたって?」


 真珠は、柱に打ち付けられていた小箱の中に人形が入っており、その人形に呪いの思念文字が書いてあったことを話した。

 草世は腕組みをすると、唸りながら首を捻った。


「うーん……。人形を木箱に入れて、屋根の下の柱に打ち付ける……。都にはない風習だ。聞いたことがない。この地域ならではのものかもしれない。明日、直志に聞いてみるよ」


 背中を向けたまま話す、草世。怒りがおさまっていないことに、真珠はがっかりし、悲しくなる。


(白狐の村に帰りたくない。草世は希魅様のところに行けって言ったけれど、白狐の掟を破ったこと、希魅様も怒っているかも。でも、どうしても草世を助けたかった。捨て置くなんて、できなかった。白狐の掟を破ったら、村から追放される。それで、いいんだけど……)


 白狐の掟を破った者に待っているのは、白狐村からの追放。皆が恐れる刑罰だ。

 しかし、草世のそばにいたい真珠にとっては、追放されることなどなんでもない。むしろ、意地悪な家族や仲間たちから離れられて嬉しい。

 真珠は知らない。白裂が草世に会ったことを。

 草世もまた、知らない。白裂の話した「白狐の掟を破った者には、死が待っております」が、真っ赤な嘘であることを。

 二人はどうしたらいいのかわからず、もじもじとしたまま、時間だけが流れていく。

 沈黙を破ったのは、真珠のお腹の音だった。


 ぐ〜ぅ、きゅるるるるる〜!!


「あ、鳥が鳴いた」

「なんだ、それは?」

「白狐はね、お腹が鳴った音を、食べた鳥がお腹の中で鳴いている。って言うんだよ」

「おもしろいな」

 

 白狐独自の表現方法に、草世は笑いをこぼした。笑いは、心配事で覆われている草世の心に明るい光をもたらす。


「そういえば、昼飯を食べていなかったな。僕もお腹が空いた。夕飯にしよう」

「うん!」


 草世は立ち上がると、短い息を吐いてから振り返った。

 文机の前で正座している真珠。床には半紙が何枚も落ちている。その半紙に目を向けると、真珠ははにかんだ。


「まじゅ、と、そうせい。って書いた」

「なるほど」


 真珠が練習したひらがなは、『まじゆ』『そうせい』

 蛇がうねっているような歪なひらがなだが、読めないことはない。


(真珠は、本当に僕のことが好きなのだな。真珠を……死なせなくない……)


 家に帰ってくる道すがら、掟を破った真珠をどうやって助けたらいいのか考えていた。

 答えは見つからない。けれど、絶対に真珠を助ける。死なせたくない、という思いは強くなるばかり。


 

 




 

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