第19話 人間の名は、ソウセイ

 こぼれた真珠のつぶやきは、白裂しらさきの耳に届き、目元を痙攣させた。


(ソウセイ? 人間の名は、ソウセイというのか……)


 白裂はニヤリと笑った。真珠は小さな体をしているくせに、心は強い。いくら痛めつけても、目から光が失われない。無能だと罵って屈服させても、上部だけは従うものの、心までは従順にならない。

 ならば、方法を変える必要がある。


(ソウセイだとかいう、人間を利用してみるか)


 心躍る楽しいひらめきに、白裂は上機嫌になった。

 白裂の両親は、大の人間嫌い。人間に関わるなときつく言うものだから、白裂は従ってきた。だが実のところ白裂は、人間と遊びたくて仕方がない。希魅のように人間になりすまして騙し、人間世界をかき回してやりたい。

 欲望が膨れあがった白裂は、やさしく、真珠に語りかける。


「妹よ。人間に正体を明かしたのか? まさか、あやかしだと名乗っていないだろうね?」

「っ!!」

「ああ、やはり。おまえは純粋なるあやかしではないのに、嘘をついたのか」

「違う! あやかしの血も流れている!」

「おまえには、母親の血が濃く流れている。それだから、もののけを名乗るのが相応しい。野狐は人間を騙して、まんじゅうに見せかけた馬糞を食べさせたり、風呂だと思わせて肥溜めに入れたりしている。おまえも人間を騙して、悪さばかりしているのだろう?」

「していない! 役に立つために、頑張っている!!」

「ほほぅ。どんな役に立っているのだね?」

「それは……」


 言葉を途切らせた真珠に、頭の回転が早い白裂はピンときた。ほくそ笑む。


「なるほど。まだ、恩返しできていないか。そうだろうね。おまえには、力がない。知恵もない。白狐の気高さもない。薄汚い姿で人間のまわりをうろついて、さぞや迷惑をかけているのだろうね。人間の家に行かないほうが、役に立つというものだ」

「違う! 違う違うっ!!」


 真珠は怒りの感情で否定する。今まで真珠は、白裂の心ない言葉に悲しんできた。だが、草世が話に入ってきたことで、沸き上がる感情が変わった。

 白裂は狡猾な思考でもって、真珠の怒りを煽る。


「違うことはない。おまえの姿がないことに、人間は安心しているだろうよ。帰ってきませんようにと、神社で祈っていることだろう。その願いを叶えてやったらどうかね?」

「草世はそんなことしない!!」

「人間の心がおまえにわかるわけないだろう。願望で話すのはやめなさい。いったいおまえは、何のために生きているのだろうね。無能な役立たずのくせに、飯を食うのだから困ったものだ。役立たずなのだから、飯を食べずにいたらどうかね? そうだ、それがいい! 人間の役に立ちたいなら、飯を食うな。それが一番役に立つ。できないというなら、人間界には行かせない。私がおまえの面倒を見てやるよ。死ぬまで一生な」


 おもしろくてたまらないというように、腹を抱えて笑う白裂。

 野狐でも使える変身術とは違って、呪縛術は高度な妖術。高度な妖術をかけている間は、気を緩めてはいけない。気の緩みは術の緩みにつながる。


(呪縛術が緩んだ!!)


 真珠は白裂が油断しているその隙を見逃さず、一気に霊力を高め、反撃を試みる。真珠狐の体に霊力が満ち、瞳が赤くなる。渾身の力で解放術を放つ。


「はあーーーーっ!!」


 真珠の放った霊力が、白裂の立っている場所まで波動として押し寄せた。二本足で立っていた白裂は踏ん張ることができずに、尻もちをつく。白裂の毛が逆立ち、波動を真っ向から受けた頭が脳震盪を起こす。

 白裂のめまいが治まり、ぼやけていた焦点が定まったとき──。杉の木にはもう、真珠の姿はなかった。

 呪縛術が解けるや否や、一目散に逃げたのだ。


「ふはっ、あははーーっ!!」


 白裂は腹の底から笑った。愉快でたまらない。

 白裂はわざと気を緩ませ、隙を作ったのだ。真珠が、自力で逃げたと思わせるために。


「油断するがいい。私はおまえを決して、九尾の狐にはさせん!!」


 白裂は千年以上もの修行を積んで、ようやく仙狐となった。希魅も千年以上生き、神通力や千里眼を持つ、四本尾の天狐となった。

 白狐にはくらいがある。凡庸な白狐。その上に、仙狐。天狐。空狐と続き、最高峰に九尾の狐がいる。

 赤い月の晩に生まれた選ばし者なら、千年を生きずして、九尾の狐になれる可能性を秘めている。

 白狐族最高の憧れである、九尾の狐。それを、野蛮で低級で穢らわしい野狐の血が流れる真珠が登りつめていいわけがない。しかも真珠は、まだ百年も生きていない。

 真珠が九尾の狐になるのを潰すべく、白裂と両親と白狐たちは真珠を痛めつけてきた。

 白裂はじっとりとした目で、林の奥を見つめた。


「ソウセイを利用して、おまえを不幸の谷底に落としてやる」




 

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