第17話 白狐族の掟

 白狐の村は異界にある。

 異界とは、人間世界から遠く離れた場所にあるのではない。異界は、人間世界の外側にある。薄い膜を隔てた、すぐ外側に。

 村境、橋、坂、峠、辻道──。それらの場所に、人間に混じって、あやかしやもののけも歩いている。

 人間世界と異界との境界が曖昧になる時間──黄昏どきに、橋や坂や辻道を歩くときは気をつけなければいけない。異界に入り込んでしまう人間もいる。人はそれを、神隠しと呼ぶ。


 真珠は変身を解いて、子狐の姿に戻った。家族や仲間に見つからないようにそっと村に入ると、忍び足で白狐御殿を歩く。

 希魅は最奥の部屋にいた。使者を通さずに会いに来た真珠を、希魅は叱ることはしなかった。お見通しだとでも言うように、笑顔で歓迎してくれた。そのことに真珠は安堵して、丹地風呂屋のことを話した。

 希魅は脇息に肘を乗せてもたれ、四つの尾を優雅に揺らしている。話を聞き終えた希魅は、すげなく言い放った。


「相手が悪い。呪われるで。関わらんほうがいい」

「でも、わたし、助けたいんです!」

「あの呪詛はなぁ、人間の欲望を吸い取って力を増す。風呂屋の人間が善良だったら、悪いことにはならんかった。今呪われているのは、自業自得や」

「でも……」

「白狐族の掟、わかっているだろうなぁ?」

「……はい」


 霊力の高い白狐は、目尻に朱色が入る。希魅の細い目にも朱が入っている。その目に見つめられ、真珠は体を小さくした。


「人間同士のいざこざに、白狐族は関わらぬ。その掟は絶対や。あやかしやもののけどもが、人間を襲っているなら、助けてやってもええよ。だが今回は、そうでなし。黒いもやは、人間の思念でできておる。もののけに取り憑かれたなんて、勘違いも甚だしい。もののけに失礼やわ。あれは、人間の怨念が取り憑いたもの。真珠、捨て置け」


 話は終わったとばかりに、希魅は立ち上がった。部屋を出ていこうとする希魅に、真珠は礼を述べた。返事はない。

 真珠はうなだれた。


「どうしよう……。草世の役に立てない……」


 恩返しをしたくて、お嫁になった。けれど草世には、結婚願望がない。独り身でいたいと言っていた。さらには、大切な友人を助けてほしいと頼まれたのに、できずにいる。

 草世のそばにいる存在意義も、恩返ししたいという願いも、ぐらつきだした。

 真珠は白狐御殿の裏木戸から外に出ると、林の中をとぼとぼと歩く。すると、西から吹いてきた風が、よく知るにおいを運んできた。

 真珠の黒鼻がピクっと動く。


「逃げなきゃ!!」


 四肢に力を入れ、全速力で駆ける。最短距離で村を抜けたほうがいいのか、それとも相手を振り払うために茂みの中を走ったほうがいいのか。

 真珠は走りながら、考えた。最短距離で村を出ることを選び、林の中を全力で走る。

 あと少しで、村を出られる。異界からも抜け、人間の世界に入る。そうしたら、人間嫌いの相手はついてこないはずだ。あと少し、もう少しで、林が切れる。人間界に出られる──。

 だが、雷のような鋭い光が地の上を走ってきて、真珠狐を後ろから直撃した。


「きゃんっ!!」


 電流が体を走り、四肢の筋肉が痙攣する。真珠狐は横倒れになり、うめいた。


「うう……」

「愚かな妹だ」

 

 トンっ──。


 軽い足音とともに、真珠狐より二回り以上も大きい白狐が降り立った。真っ白い毛並みは艶やかに美しく、純白の光をほのかに帯びている。

 真珠の兄である白裂しらさきは、痛みにうめいている真珠を冷たく見下ろした。目尻には、霊力が高いしるしである朱色が入っている。


「何ぞ帰ってきた? 人間の臭いがする。臭くてたまらん」


 温かみのかけらもない、冷たい声音。白裂しらさきの瞳が、黒色から赤色に変化した。瞳の変化は、妖術を放つ際のしるし。

 白裂は浮上術を放ち、その後すぐに呪縛術も放った。

 真珠の小さな体が宙に浮き、杉の幹に体が打ちつけられた。ドンっ!! 衝突音が林に響く。


「ううっ!!」

「ハハっ! おまえがいなくて寂しかったよ。目障りだと思っておったが、いじめる相手がいないというのは退屈なものなのだな。家に帰ってくるのを許可してやる。父と母には、私が執り成してやろう」

「……っ」

「なんと言った?」

「…………」


 白狐の呪縛術は、固めた空気で相手を縛る。真珠は杉の木の幹にはりつけにされてしまった。

 

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