第16話 恩恵と呪い

 真珠は草世の顔色が良くなったことに安堵して、再度尋ねる。


「どこに行ってきたの?」

「友人の家だ」

「どこにあるの?」

「大きな煙突のある家だ。風呂屋なんだ」


 大きな煙突……。真珠はヒュッと息を呑むと、表情を固くした。


「ダメっ! あの家に入ってはいけない!!」

「どうして?」

「良くないものがある!」

「良くないものって、なんだい?」

「最初は怖くなかった。途中から、怖いものに変わった。そういう仕組みの呪詛じゅそが、あの家にある」

「呪詛……。あの家に入ったことがあるのかい?」

「ない」

「それならどうして、呪詛があの家にあるとわかるんだい?」

「黒いもやが、あの家から噴き出しているから」

「ああ……」

「草世にもまとわりついていた。でも、わたしが飛ばした。もう大丈夫」


 真珠の説明に、草世は今までの出来事が腑に落ちた。直志も、「黒いもやが見える。俺を覆い尽くそうとしている」と恐れを口にしていた。

 直志が倒れて以降、人が寄りつかなくなった風呂屋。草世も、建物の前にいるだけで恐怖を感じた。 

 目には見えなくても、黒いもやを人々は感じ取っているのだ。

 草世は丹地風呂屋で見てきたことを、ぽつりぽつりと、真珠に話して聞かせる。

 

「直志は昨日まで、起き上がれずにいた。そのまま死んでしまうか、それとも、悪いものに乗っ取られてしまうのか。不安でならなかった。今日……最悪なことが起こった。動けるようになったのはいいが、村人たちを殺すと喚いている。あれはもう、直志じゃない。完全に乗っ取られてしまった。太い柱に縛ってあるが、いつまでもそうしてはおけない。どうにかしないと……」


 草世は痛みに耐えるように眉間に皺を寄せると、唇を噛み、天井を仰いだ。


「直志は正義感があって、お人好しで、力持ちで、心のやさしい男だった。それなのに、ケモノのように獰猛になってしまった。人間としての理性を失ってしまった。……真珠」

「うん?」


 黙って聞いてきた真珠は顔を上げた。


「僕にまとわりついていたもやを飛ばしたと言ったね? 同じことを直志にもできるかい?」

「うん……」

「本当かい⁉︎ 直志を助けられるのかっ⁉︎」

「助けられない……」

「だって、もやを飛ばせるのだろう?」

「うん……」


 あやかしなのか、それとも子狐だからなのか。真珠は言葉足らずなところがあり、草世はやきもきしてしまう。気の焦りから、草世は上半身を乗りだした。両手を畳につく。 


「真珠、お願いだ!! 直志を助けてやってくれ。大切な友人なんだ!!」

「…………」


 真珠はうつむいた。膝の上で組んでいる指を無意味に動かす。

 そのもじもじとした様子と曇りのある表情から、草世は察した。


「嫌なんだね?」

「嫌っていうわけじゃ……!!」

「責める気はまったくない。言葉が悪かった。そうではなく、理由が知りたい。気が進まないようだが、どうして?」

「それは……どうしていいのか、わからない……」


 真珠は落ち着かないそぶりで、指を動かしたり、顔を動かしたり、唇を舐めたりするばかりで、はっきりと答えない。

 草世は黙り込み、真珠も沈黙した。

 大好きな草世が友人を助けてくれと頼んでいるのだから、真珠としては張り切って役に立ちたい。いまこそ、恩返しをするとき。嫁として役に立つ絶好の機会!!

 だけど……。


(大きな煙突の家にある呪詛じゅそは、特殊なもの。破っても、いいのかな?)


 経験も知識も知恵も足りない真珠には、判断がつかない。家族や仲間に相談できたら一番いいのだけれど、不吉な者として忌み嫌われているので、相談しても誰も答えてくれないだろう。

 白狐一族の長である希魅に会いに行こうか。

 真珠が思案していると、草世が別な方法を提案した。


「あの家に呪詛があると言ったね? それなら、直志をあの家から連れ出したらいいんじゃないだろうか!」

「呪いが強烈だから、無理だと思う。あの家から出たがらない」

「じゃあ、呪詛を見つけて燃やすのはどうだ!」

「特殊な呪詛だから、多分、普通の火では燃えない」


 真珠は視線をさまよわせながら、丹地風呂屋の前で感じたことを口にした。


「呪詛を作ったのは、力のある人間。でも、その呪詛を家に置いたのは、あの家の人。あの家に住んでいる人が、喜んで置いた。あの家の人は、呪術の恩恵を受けた。その見返りとして、呪詛を受けている」

「呪術と呪詛? 違うのかい?」

「うん。違う」

「どのように?」

「呪術は、人を助ける。呪詛は、危害を加える」

「つまり、こういうことかい? 恩恵を与える呪術と、危害を加える呪詛。その二つがあの家にあると?」

「ううん。一個しかない」


 真珠に否定され、草世は混乱する。だが、すぐに思い出す。真珠は話していた。「最初は怖くなかった。途中から、怖いものに変わった。そういう仕組みの呪詛が、あの家にある」と。


「そういうことか……。わかった。呪術と呪詛は表裏一体……」


 草世が床支村に住んですぐの頃、村長が教えてくれた。


 ──丹地風呂屋は奇跡の湯。沸かし湯なのに、病気が治る。客たちは異常なほどに羽振りが良く、大金を落としていった。丹地風呂屋は、この地域一番の金持ちになった。


「ただの沸かし湯で、病気や怪我が治るわけがない。そのこと自体がおかしかったんだ……。奇跡の湯となり、客が集まり、金持ちになった。これが恩恵。その見返りとして、呪詛が起こっている。そういうことなのか……?」

「うん」


 否定ばかりだった真珠が同意した。しかしそれは、草世を絶望に突き落とす。


「どうしたらいい! どうやったら直志を呪いから助けられる⁉︎ その呪詛とやらは、どこにあるんだっ⁉︎」

「わからない」


 草世はうなだれ、畳に手をついている指先に力を入れた。爪の先が白くなり、畳の目がピシッと弾かれる。

 直志も両親も村の人たちも、呪詛の話をしていない。誰も知らないのだろうか? だが確実に、呪詛はあの家のどこかにある。

 それならば、やるべきことは一つ。あの家をくまなく探して、呪詛を見つけること。直志を殺める前にやることがある!!

 希望を見つけた草世は、「風呂屋に行ってくる!」と家を飛び出した。

 一人ぽつんと残された真珠は悩んだ挙句、希魅に相談することにした。



 ◇◇◇


 

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