第15話 村人たちの変化と黒い靄

 草世は考えさせてほしいと、答えを先延ばしにした。

 両親の手当てを済ませて家に帰ってくると、村人たちが家の中で待っていた。草世は舌打ちした。


(一人になりたいというのに……)

 

 草世の帰宅にいち早く気づいた村長が、陽気に片手を上げた。


「お仕事ご苦労様。大切な話がありますのじゃ」


 村人たちの中に真珠がいる。春子と吾平の姿もある。

 草世は予想がついた。真珠が村を出て行っていないことに村人たちが腹を立て、押しかけてきたのだろう。

 だが、すぐに首を捻る。腹を立てているわりには、村人たちの顔はどれも朗らか。春子に至っては、真珠の隣に座ってにこにこと笑っている。

 村長は恵比寿様のようなにこやかな顔で、話を続けた。


「今からわしが話すことは、村人たちの総意だと思ってくだされ。まずは、昨日ひどいことを言ってしまったこと、許してくだされ。先生を追いかけて都からお姫様が来てくださったというのに、すげない態度をとってしまった。村の者一同深く反省し、考えを改めた」


 すかさず吾平が膝を進め、額が床に着くほどの深い土下座をした。


「先生、申し訳ありませんでした!! お姫様と祝言をあげ、この村に一緒に住んでください!!」

「え……」


 吾平が口を切ったのをきっかけに、他の村人たちも真珠と夫婦になるよう勧めだした。春子もきつい顔が一変して、にこやかに目を細めている。


「この家で祝言をあげるのは狭いでしょうから、我が家をお貸しします。村中の者を呼んで、三日三晩、祝いましょう」

「魚料理は、おいらにお任せください! 海に出て、大きな鯛を釣ってやりますよ!!」


 満面の笑顔で、ドンと胸を叩く吾平。

 草世は開いた口が塞がらない。狐につままれたような気分。村人たちのこの変わりよう、どうしたのだ?


(狐につままれた気分……狐っ⁉︎)


 真珠を見る。真珠は(バレちゃった?)とでも言うかのように、お茶目にぺろっと赤い舌をだした。


「これはいったい……」

「後で話すね」


 草世はピンときた。真珠は人間に変身しているのだから、その他にも、いろいろな術が使えるだろう。怪しい術によって、村人たちを操っているに違いない。


(真珠はあやかし。意思疎通など、無理だったのだ。僕が留守の間、おとなしくするように言ったのに!!)

 

 裏切られたと思ってしまう自分にいやらしさを感じる。真珠も菊音も、「約束を守る」「裏切らない」「信じて」そのようなこと、ひとことも言っていない。

 自分の期待を相手に押し付け、その期待通りでなかったことに裏切られたと感じる。要はそういう、自己本位な怒りなのだ。

 自己分析して心に巣食う闇を見たことで、さらに疲労がのしかかる。両肩に石が乗ったかのように、体が重い。

 他人に話や感情を合わせ、いい人の仮面をつけて親切に振る舞うことに疲れた。もう、なにもかもがどうでもいい。すべてが馬鹿らしい。人生にも、自分でいることにも疲れた。

 草世は婚儀の話を勝手に進めている村人たちに苛立ち、低い声で言い放った。


「帰ってください」

「婚儀はいつにします?」

「帰ってくださいっ!! 迷惑なんですよっ!!」 


 穏和な草世が、怒りで顔を真っ赤にしている。村人たちは呆気に取られ、顔を見合わせた。


「機嫌が悪いらしい」

「なんかあったのかね?」

「婚儀の話はまたにしよう」


 空気も人の気持ちも読めない吾平だけが、へらへらと笑っている。


「先生、恥ずかしいんですね! わかります。別嬪なお嫁さんですから。でも、気にする必要はないです。初夜を覗いてやろうなんて考えるのは、おいらぐらいですから!」

「……いますぐに帰ってくれ……」


 春子は吾平の着物の裾を嫌そうに掴むと、「馬鹿ね!」と叱り飛ばした。そのまま裾を引っ張って、外に連れ出す。他の村人たちも、ぞろぞろと後に続いた。

 静かになった室内に、真珠の明るい声が響く。


「村の人たちにね、白狐の暗示術をかけたの。だから、心配いらない。わたし、村にいられる!」

「一人になりたい。来ないでくれ」


 草世はそっけなく言うと、奥の座敷に入って襖をぴしゃんと閉めた。

 草世の姿が消えると同時に、真珠は笑顔を引っ込めた。閉じられた襖を見つめる。


(草世の体に、黒いもやがまとわりついている。どこに行ってきたのかな? まさか、大きな煙突のある家……?) 


 真珠は心配になり、迷うことなく襖を開けた。

 畳に横になったばかりの草世は、(来ないでくれと言ったのに、通じていない!)と慌てて目をつぶる。寝たふりを決め込む。

 真珠は正座すると、頭の下で腕を組んでいる草世を見下ろした。


「どこに行ってきたの?」

「…………」


 草世の顔は青白い。禍々しいもやが体にまとわりついており、生気を吸いとっているのだ。

 真珠は草世の額に手のひらを置いた。丸眼鏡の縁に手が当たる。

 真珠の手はふっくらとしていて温かい。その手を通して、草世に生気を送る。

 真珠から生気を送られ、草世の心身に活力がみなぎる。口を開くのですら億劫なほどの疲労と、禍々しいもやが吹き飛んでいった。

 草世は驚いて、目を開けた。


「なにかした? 体が軽くなった……」

「元気をあげた」

「元気? そんなことができるのか?」

「うん。白狐だから」


 答えの簡潔さに、草世は笑ってしまう。

 真珠の言動は、常識的で真面目な草世には理解し難い。突然お嫁になりに来たと言い、了承していないのに嫁を気取り、村人たちに怪しい暗示術をかけて味方につけた。

 なにもかもが無茶苦茶だ。

 だが、「白狐だから」とのひとことで片付けてしまえるような無邪気さが真珠にはある。考えすぎな草世にとって、その無邪気さは心地良い。


「不思議な子だ……」

「ん?」

「なんでもない。元気になった。ありがとう」


 疲労とともに怒りはどこかに消えてしまった。草世は起き上がると、胡座をかいた。

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