第3話 獣耳の女の子

 女の子は土間から居室へと上がる際、苦しげに顔を歪めた。草世そうせいはそれを見逃さなかった。

 囲炉裏いろりの前に客用の座布団を敷き、女の子に勧める。女の子はお尻の下に右足を置くことはせず、左足に重心をずらして正座した。

 草世は薪をくべて、囲炉裏の火を大きくし、改めて女の子を見た。

 女の子は、綿帽子を被っているかのように真っ白な髪をしている。目鼻立ちが整っていて、大きくなったら美しい子になるだろうと思われる。

 だが、寒い中やってきたせいなのか、艶のない髪はボサボサ。擦り切れた木綿の着物は薄く、足袋さえ履いていない。痩せた体。唇の右端にこびりついた血の跡。

 その傷はどうしたのか問いたいが、女の子はそわそわしている。警戒心と戸惑いが払拭されていない状態で聞いても、壁を作られるだけだと判断し、草世は本来の話題をすることにした。


「薬を処方したいから、教えてくれる? おばあちゃんは、どうして矢が刺さったんだい?」

「戦って……」

「戦って? 誰と?」

「……知らない」

やじりに塗ってあった毒について知りたいから、おばあちゃんの容態を教えてくれるかい?」

「どういう毒なのかは知らない。血を止めたいんです。血を止めたら、回復できると思うから……」


 女の子は、相変わらずそわそわしている。落ち着きなく視線を泳がせ、座布団の端をぎゅっと握っている。

 女の子は嘘をついている——、草世はそう感じた。

 本当のことを言わないなら、薬を出さない。そのように脅して、真実を引き出すことできる。だが、怯えた様子の女の子を追い詰めるのは本意ではない。

 草世はほうじ茶を淹れると、「血止めの飲み薬を処方しよう」と言い、薬棚に向かった。

 薬棚には、植物の葉や茎や根、薬効がある鉱物や動物の一部分などが入っている。

 

 やっと、薬が手に入る——。

 真珠まじゅは安堵の吐息をつき、表情を和らげた。

 人間ではないと知られたら、殺されるだろう。そう身構えていた真珠は、ようやく緊張を解き、好奇心のままに室内を見回した。

 白狐の住む御殿とは違って、この家は狭くて古い。けれど、おもしろい。白狐は妖術を使って火を起こすので薪を必要としないし、ふわふわの冬毛が寒さから守ってくれるので、火を使っての暖はとらない。

 初めて目にする囲炉裏。そこの中で薪が燃えるパチパチという音に、真珠は興味深々。さきほど男がしていたのを真似て、火に手をかざしてみる。手のひらがぽわっと温かくなった。おまけに火に当たった手が、橙色に染まっている。おもしろい!!


「おっ⁉︎」


 驚きの声を上げた女の子。草世はそちらに顔を向けた。

 女の子は囲炉裏に手をかざして、暖をとっている。特別なことはなにもない。それなのに、火に当てられて橙色に染まっている女の子の顔は、なぜか楽しそうに笑っている。

 体が温まったことで、緊張していた女の子の気持ちが緩んだのだろうと、草世は思った。やっと、五歳児らしい笑顔が見られたことに嬉しくなる。

 視線に気づいた女の子が、草世のほうに顔を向けた。女の子の笑顔が消えないように、草世は慌てて顔を逸らした。見ていませんよ、という意思表示をするために真顔を作る。


 男は薬の調合に熱心で、自分を見ていない。あやかしだとバレていない。気を良くした真珠は、気になるものに触るという、大胆な行動にでる。

 囲炉裏の灰に、人差し指を突っ込んだ。


「おおっ⁉︎」


 柔らかい! しかも温かい。

 ふわふわとした灰を心ゆくまで堪能した真珠は、さらなる大胆な行動を試みる。


(出してくれたお茶を飲んでみよう。いいかな、大丈夫かな?)

 

 男が淹れてくれた湯呑みを見る。

 お茶を飲む際の、人間的作法を真珠は知らない。普通に飲んで良いのだろうか? それとも、特別な言葉があったり、湯呑みをくるくる回したりする?

 わからない。けれど、聞けない。でも、飲んでみたい。

 真珠は迷った末に、男が隣室に行ったのをこれ幸いと、急いで湯呑みに手を伸ばした。男に見られる前に飲んでしまおう。

 湯呑みから立つ湯気。華奢な指先が湯呑みに触れた瞬間──。


「熱っ!!」


 真珠が悲鳴をあげたと同時におかっぱ頭から獣耳が二つ、ぴょんと飛び出した。


「大丈夫か……い……」


 悲鳴を聞きつけた男が、隣室から飛び出して来た。


「ご、ごめんなさい!! お茶をこぼしちゃった!」

「あ、ああ、うん……」


 倒れた湯呑み。色褪せた木の床をお茶が流れていく。

 草世は、拭かなくては……と頭の片隅で思いながらも、目は女の子の頭の上に釘付け。頭の上に、三角の形をした耳が出ている。

 女の子の髪色と同じ、白色の獣耳。ふさふさの毛が生えている。


(動物の耳だ! えぇっと……この女の子は人間じゃない?)


 付近の村では見たことのない、真っ白い髪をした女の子。ずっと遠くの、人の足では無理だという場所から来たと話していた。

 草世は納得した。(人間に化けているのだろう。狐か狸だな)と見当をつける。

 女の子は胸の前で両手を握りしめて、おろおろと反応を窺っている。


「ごめんなさい。怒っている?」

「あ、いや、全然。怒っていないよ。誰にでも失敗はつきもの。気にしないで」


 女の子はお茶をこぼしてしまったことを大変に気にしていて、そのせいで獣耳が出てしまったことに気づいていないらしい。

 それならば、こちらも気づかないふりをしてあげよう。草世はそのように決めた。

 相手はもののけであるが怪我をしており、薬を求められているのだから、助けるのはやぶさかではない。

 うろたえている女の子を慰めるために、誇張する。


「僕もドジでさ。よくお茶をこぼすんだ。今までこぼしたお茶を数えたら、百回はあるかもしれない」

「百回も⁉︎ あなたってすごくドジ」

「だろう? 君はたった一回だ。だから気にしなくていい」

「……うん」


 女の子ははにかむと、草世の目をまっすぐに見た。初めて、女の子の関心が草世に向いた。

 はにかんだ笑顔の愛さしさ。つぶらな瞳の無垢さ。澄んだ声の美しさ。痩せた肩と、唇の端についた血の塊。ボサボサの髪。

 化け物と呼ぶには、あまりにもかわいらしくて無邪気で、哀れだ。

 

(子供の頃の僕は臆病で、使用人を起こしてお手洗いに行っていた。化け物や幽霊が怖かった。でも、この女の子となら友達になれたかもしれない)


 相手はもののけだというのに、親しみに近い、柔らかな感情が沸き起こる。

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