第2話 不思議な訪問者

 草世そうせいは友人からの手紙を状箱じょうばこにしまうと、低く唸って、腕組みをした。


「さてと……。相談したつもりが、逆に相談されてしまった。日本各地で怪異が起きている? 丹地たんち風呂屋で起きていることも、もののけの仕業なのだろうか?」


 草世の住んでいる床支ゆかし村に、一軒の風呂屋がある。そこの息子である直志の様子がおかしくなり、それは日に日に悪化している。

 草世は医者として、また友人として、直志を助けてやりたい。だが、医者としてはお手上げだった。


「医者がこんなことを言うのは情けないが、もののけに取り憑かれている。それがしっくりくるんだよなぁ……」


 霊感のある友人に相談の文をしたため、その返事が今日届いた。解決の糸口を求めたのだが、逆に、日本各地で怪異が起きていると相談されてしまった。


「あいつにわからないことが、僕にわかるわけがない。幽霊を見たこともなければ、狐や狸が人間に化けたのも見たことがないのだから」


 風が強く吹くたびに、家がガタガタと鳴る。築五十年以上はたっているこの家は、建て付けが悪い。しっかりと戸を閉めたにもかかわらず、冷たい風が草世の皮膚の上を流れていく。

 やるべきことを終えたのでそろそろ寝ようかと、草世は立ち上がった。

 すると——。


 トントン……

 木の鳴る音が響いた。


 トントン……


「…………かっ!!」


 どこか遠慮がちに響く木の音と、人の声。

 草世は土間に置いてある草履を履くと、玄関戸に耳を寄せた。


「誰だい?」

「すみません! 血を……薬を、くださいませんか!」


 女性と呼ぶには、幼い声。

 草世は、薬をもらってくるように頼まれた村の子供なのだろうと思った。

 閂を外す。開いた扉の隙間から、寒風とともに外にいる者の白い息が入ってきた。


「すみません! 血を止める薬をくださいませんかっ!!」


 半分ほど開けた扉の向こうにいたのは、擦り切れた木綿の着物を着た女の子。背の高さと幼い顔からして、五歳ぐらいだろう。おかっぱ頭は白い。だがそれは雪が積もっているのではなく、女の子の髪そのものが白色。

 草世は女の子の周囲に視線を走らせた。女の子の他には誰もいない。


「ひとりで来たのかい? 見知らぬ顔だが……どこから来たんだい?」


 女の子が口を開くと、子供特有の高い声と一緒に白い息が吐きだされた。


「おばあちゃんの血が止まらないんです! このままじゃ、死んじゃう。お願いします! 血を止める薬をください!!」

「君はどこの子?」

「お願いします! 薬をくださいっ!!」


 この村に白い髪をした女の子はいない。付近の村でも見たことがない。

 夜更けに、子供ひとりでどこから来たのか。

 草世は気にかかったが、女の子は薬をもらうことに頭がいっぱいで、答えるつもりはないようだ。草世は諦めて、おばあちゃんの状態を訊ねる。


「おばあちゃんは怪我をしたのかい?」

「はい!」

「なにで怪我をしたの? 傷は深いのかい?」

「矢が刺さったんです。やじりに毒が塗ってあったみたいで……」

「毒が⁉︎ それは大変だ! 家はどこ? すぐさま行って傷を見よう!!」

「家はずっとずっと遠くにあるんです。人の足では無理です。薬だけください!!」


 人の足では無理? じゃあ、君はどうやって来たの? 

 そのような疑問が出かかったが、すんでのところで呑み込んだ。

 女の子は必死だった。今にも泣きだしそうな目は真剣で、何度も同じことを訴える声は切実だ。肩が小刻みに震え、唇には血の気がない。

 草世は体をずらすと、家の中へと女の子を誘った。


「わかった。薬を渡そう。お入り」


 だが、女の子は動かない。冬の寒さのせいで硬直してしまったかのように、立ちすくんでいる。


「どうしたんだい? 薬を出すから、家の中で待つといい」

「…………」

「知らない人の家に入るのは怖いかい? だが、外で待つには寒すぎる。なにも怖いことはしないから、安心おし」

「……大丈夫です。外で待っています……」


 草世は頭を掻く。

 子供は苦手だ。どう扱ったらいいのかわからない。やさしい声音で話しかけているつもりなのだが、女の子は怯えたように瞳を伏せている。

 どうやって、この子の警戒心を解いたらいいのだろう。ふざけた顔をして笑わせたり、おもしろい冗談を言ったら、警戒心が薄れるかもしれない。しかし生憎、草世はおふざけができる遊び心も、おもしろい冗談を言えるユニークさも持ち合わせていない。

 どうしたらいいものか逡巡していると、女の子の口の右端にこびりついている赤黒い塊が目に入った。血が固まったものに見える。


「君も、怪我をしているようだね」

「……っ!!」


 女の子の小さな肩が、ビクンッと跳ねた。当たったようだ。


「お金の心配ならいらない。君の怪我も診てあげよう。痛いことはしない。大丈夫」

「……でも……」


 消え入りそうな、女の子の声。戸惑っている女の子を安心させるために、草世は、半分ほど開けていた戸を全開にした。


「暖かい家とは言えないけれど、外にいるよりはマシだ。囲炉裏の火を消していないから、熱いお茶を出してあげよう」

「あ……」


 女の子は困惑気味に視線をさまよわせた。


「わたし、あの、人間のお作法を知らないから……」


 一際強い向かい風が吹き、積もった雪を二人に浴びせる。


「うわっ、早くお入り!」

「はい!」


 白狐である真珠は、人間の女の子に化けた。あやかしであることを知られてはいけない、そう思って、家に入るのを拒んだというのに——。

 いたずらな北風が、「人間のお作法を知らないから」という真珠の声をかき消し、人間の家へと入らせた。



 

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