第27話 別れの言葉
真珠が泣きたい気持ちでいると、草世が外に出てきた。
丹地風呂屋から出てきた草世は、いつにも増して弱っている。血の気のない顔は紙のように白く、目は虚ろでなにも映しておらず、意識がどこか遠くにいってしまったかのようにボーッとしている。
今にも倒れてしまいそうな草世に、真珠は手を差しだした。その手を軽く払われる。
「僕に関わらないほうがいい……」
「どうして? なんで?」
草世は真珠を見ることなく、ふらつく足取りで家へと戻っていく。その後ろを真珠がちょこちょことついていく。
草世は家に足を踏み入れた途端、倒れるようにうずくまった。
「草世っ!!」
真珠は草世の背中に手を置く。布越しに感じる体温は低く、震えている。
真珠は生気を送りながら、問う。
「なにがあったの?」
「……直志の両親が、死んだ」
草世は拳を土間に打ちつけた。
「助けられなかった!! 医者なのにっ! 死んでいくのを、見ていることしかできなかった! 家中探したが、呪詛らしきものが見つからない。どうしたら……どうしたらいいんだ……僕は……」
草世は助けられない自分を散々責めた挙句、意識を失った。
真珠は草世を背負うと、奥の座敷へと運んだ。布団に寝かせる。冷たい手を握って、再び生気を送る。
草世は骨格が華奢だ。男にしては体が細いというのに、さらに痩せてしまった。手から肉感が失せ、骨が目立つ。
その骨張った手に真珠は頬を寄せ、目をつぶった。涙がはらりと流れる。
「助けてあげられなくて、ごめんなさい。押しかけ女房、失格だ……」
真珠から生気を送られ、顔面蒼白だった草世の顔に赤みが差す。体温が低下していたが、末端まで血液が回り、指の先まで温かくなった。
それでも真珠は草世の手を離すことなく、生気を送り続ける。
草世は、丸眼鏡をかけたまま寝ている。色味の薄い唇。顎の周辺には無精髭が生え、頬が少しこけている。自分で髪を切っているので、不揃いで不恰好。
その髪を、真珠は撫でた。涙は止まることなく、こぼれ続ける。
「草世の、役に立ちたい……」
真珠のつぶやきが聞こえたかのように、草世がいきなり目を開けた。
「……やるしかない……」
「草世、大丈夫? なにをやるの?」
草世はふらりと起き上がると、土間に下り、台所にある包丁を手に取った。格子窓から流れ落ちる陽光で、刃先がきらりと光る。
「なにを作るの?」
「絶対に後をついてくるな。僕が帰ってくるまで、おとなしく家にいろ」
乱暴な物言いに、真珠の表情が凍りつく。
「その包丁、どうするの? どこに行くの?」
草世は医者の黒い鞄に包丁を入れると、文机に座った。半紙十枚に、ひらがなを書く。
「医者としての仕事をしてくる。真珠は字の練習をして待っているんだ。夕方までには帰ってくる」
草世は真珠の顔を見ることなく、黒鞄を持つと、玄関の引き戸を開けた。生暖かい風が入ってきて、草世の不揃いの黒髪をそよがせる。
ひらがなが書かれた半紙を見ていた真珠は、慌てて草履を履いた。
「わたしも一緒に行くっ!!」
「駄目だっ! 家にいろ!!」
「なんで? 嫌だ。一緒に行く!!」
「なんでわかってくれないんだよっ!!」
草世は頭を掻きむしると、泣き顔の真珠に目を向けた。
「白狐には掟があるんだろう? 人間同士の争いに関わってはいけないという掟が!!」
「……なんで、知っているの?」
草世は息を吐いた。肩から力が抜ける。
白藍という、感情の読めない男を信じきれずにいた。しかし真珠の反応を見るに、白狐の掟について、白藍は嘘をついていない。
「真珠、白狐の掟を守るんだ。人間の問題に首を突っ込むんじゃない。僕が解決する。君は関わるな!」
草世は外の景色に視点を定めた。荒ぶる心とは裏腹に、春めいた村の景色はのどかで、遠くに見える雪を被った山々は厳かで美しい。
手のひらに食い込む鞄の重さに耐えながら、草世は静かに言った。
「人間のしていることで真珠に迷惑はかけられない。これは僕がするべきこと。……僕のことは忘れるんだ。今までありがとう。楽しかった」
「無理。忘れられない。草世とずっと一緒にいる!」
背中を向けていても、声から真珠が泣いているのがわかる。
草世は嘲笑った。自分を罵る。
(こんなときまで、いい人を演じてどうする? やさしくするから、真珠を悲しませるんだ。突き放さないといけない。手酷くあしらわなければ。自分を憎ませ、嫌いにさせて、忘れたいと思わせなければ……)
草世は鼻で笑った。声が裏返る。
「はっ! なんてな。嘘だよ。まったくもって、君って単純だ。君を騙すのは簡単だ。やさしくすればいいんだから。一緒にいたいだなんて迷惑だ。君といても、ちっとも楽しくない。家に来られて迷惑だったよ。嫁になりたいだなんてさ。僕には結婚したい女性がいるんだ。綺麗な、都のお姫様だ。だから、君みたいな得体の知れないあやかしを嫁にしたくない。自分の家に帰れ。もう二度とここに来るな。なにもかもが迷惑なんだよっ! 帰れっ! 白狐族の希魅のところに行くんだ。僕の言うことを聞けっ!!」
「草世っ!!」
真珠と過ごした幸せな時間を断ち切るために、草世はがむしゃらに駆け出した。
後ろを振り返らない。向かうは、丹地風呂屋。
今日も鍵が壊されていたが、新しい鍵前は、もうない。扉の前に箪笥を置いたが、長くは持たない。直志は外に出ようと、一心不乱に体当たりを続けている。
「殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス……!!」そう叫びながら。
(直志が外に出る前に、殺さなければならない)
俺が俺でなくなる前に、殺してくれ……。直志の台詞が脳内にこだまする。
「もっと早く、死なせてあげるべきだった。僕に勇気がないばかりに……。ごめん! 共に死のう!!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます