第23話 押しかけ女房の真珠です

 真珠が草世の家に来てから、一週間が過ぎた。

 丹地風呂屋に行く草世の後を、真珠もついて歩く。真珠は建物の中に入ることはしないが、草世のことが心配で、放っておけない。

 草世は、呪詛についての情報を誰からも得られずに焦っていた。頼みの綱の直志の両親は意気消沈しており、記憶が曖昧。さらには日に日に衰弱していって、布団から起き上がれない時間が増えている。

 直志は、さらに状態が悪い。完全に人間らしさを失い、理性も思考も感情も常識も恥も捨てた、凶暴さが際立つ生き物と化している。

 柱にくくりつけたままでは可哀想だと思い、錠前をつけた部屋に閉じ込めた。直志は奇声を発しながら、戸に体当たりを続けている。

 いつか戸が押し破られ、外に飛び出した直志が村人たちを殺めてしまいそうで、怖い。

 草世は、決断を迫られていることをひしひしと感じる。


「どうして誰も、呪術や呪詛のことを知らないのだろうか……」


 ため息混じりにこぼした疑問に、真珠が答える。


「多分、それを持ってきた人は、呪術とも呪詛とも言っていない。別な言葉を使ったと思う」

「ああ、そうか……だろうね……」


 草世は自分の頭を叩きたくなった。考えてみたらすぐにわかることだ。だが、真珠や直志や両親のことで頭がいっぱいで、脳が疲弊していた。真珠に指摘されるまで、思い至らなかった。

 呪術も呪詛も、「呪」という文字を使う。悪いイメージしかない。それを好き好んで、家に置く者はいない。

 家内安全、商売繁盛を願って、福をもたらすものを人々は求める。丹地家だって、そうだろう。


「神棚にお札が置いてあった。それらの中に、呪詛が混じっているとか?」

「わからない」


 草世と真珠が並んで歩いているのを、吾平が遠くから見つけ、わざわざ近寄ってきた。


「仲良くお散歩かい? 別嬪べっぴんの押しかけ女房がいて、先生は幸せだなぁ」

「押しかけ女房? どういう意味?」


 小首を傾げた真珠に、吾平は鼻の下を伸ばした。


「男の家に居座っている女のことを、押しかけ女房って言うんだ。真珠ちゃん。先生に物足りなくなったら、おいらのところにおいで。でへへ。可愛がってやるからよぉ」


 だらしない顔をしている吾平に、草世は(春子の後を追いかけていたくせに! 軽薄な男だ!!)と憤る。

 それから、考える。吾平の移り気が不愉快なのか、それとも、真珠を口説いていることが不愉快なのか。

 複雑な心中の草世とは対照的に、真珠は顔を輝かせた。


「押しかけ女房! 本当だね!!」


 真珠の脇を、川に洗濯に向かう女性が挨拶して通る。


「こんにちは。今日はいい天気ね」

「こんにちは。わたし、草世の押しかけ女房です。はい、今日はいい天気です」

「わわっ!」


 草世は真珠を道端に連れて行くと、よくよく言い聞かせる。


「そのようなことを言うのはおかしい。やめなさい!」

「なんで、おかしいの? 本当のことだよ」

「わざわざ自分から言う人はいない」

「ふ〜ん?」


 真珠は右を見た。ちょうど、畑に向かう村長が歩いて来るところだった。村長と目が合うと、真珠は愛想良く挨拶をする。


「こんにちは。今日はいい天気ですね。押しかけ女房の真珠って、呼んでください」

「ははっ! 押しかけ女房か。確かにそうじゃな。傑作だ!!」


 村長に笑われ、草世は耳まで真っ赤になった。村長の姿が消えてから、草世は修正を試みる。


「大切な話だから、よく聞いてほしい。真珠を妻にする覚悟はなく……まぁ、この話は、今はやめておこう」


 妻問題は埒が明かなくなりそうなので保留にする。それよりも、人前で押しかけ女房だと言わせないことが先決だ。


「自分から言うのはおかしいが、他人に言わせるのもおかしい言葉なんだ。いい意味ではない」

「でも、あの人、言った」

「あいつは無神経だから。気にしなくていい」

「気にする。わたし、押しかけた女房だもん」

「女房になってはいない」

「じゃあ、今からなる。押しかけ女房、気に入った。無神経になったら、言ってもいい?」

「そういう問題ではない」


 真珠は気に入ったものに対して、頑固なまでに使いたがる。困ったものだ。

 だが……と、草世は考える。にんにくニンニンのことは忘れてしまったようだ。翌日以降、一度も使っていない。一晩寝たら、忘れてしまうのだろう。

 そういうわけで草世は(どうせ、明日になったら忘れるだろうから、いいか)と、押しかけ女房を二人の間だけで使おうと提案した。

 真珠は手を叩いで喜んだ。


「嬉しい! ありがとう。草世、やさしい。大好き! あ、大切なこと思い出した。大好きであーる。にんにくニンニン!」

「真珠っ⁉︎」


 真珠の天然さに、草世は翻弄されっぱなし。頭も心も真珠で占められていく。



 ◇◇◇

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