第24話 白藍という名の白狐

 草世は散歩に出ると言って、一人、村の西側を流れている川に来た。川のほとりにある石に腰かけ、水の流れをぼんやりと眺める。

 今日は日差しが暖かく、風がない。太陽の光を浴びて輝く川面と、生気を取り戻した草。三寒四温で春が来るという言葉が、頭に浮かぶ。

 考えすぎて疲労した脳と心を休めたいのに、(僕が死んだら、真珠は泣くだろうな……)と、真珠のことばかり考えてしまう。

 真珠は今頃、ひらがなの練習をしているはずだ。夕方には帰るから、それまで家から出ないようにと言い聞かせたので、おとなしく家にいることだろう。


「真珠を室生に預ければよかったんだ。今からでも室生に託して……、いや、無理だ。村から離れるわけにはいかない」

 

 室生樹の家に行くには十日以上かかる。そんな時間の余裕はない。

 草世は手頃な小石を掴むと、川に向かって投げた。ぽちゃん……。侘しい音が響く。

 八方塞がりだった。どこにも希望が見出せない。


(幸せはいつまでも続くわけがないって、心のどこかでわかっていた。真珠との生活は、いつかは終わる。それが、明日か明後日というだけの話……)


 昨日、直志を閉じ込めている部屋の鍵が壊れているのを見つけた。新しい鍵に交換した。

 そして今日。新しく取り付けた鍵が、また壊れていた。鍵は、扉の外側に取り付けてある。中にいる直志が壊したのではない。

 ──何者かが故意に、鍵を壊したのだ。

 壊れた鍵を発見するのが遅かったら……と考えると、ゾッとする。それが、村から離れられない理由。

 鍵を壊したのは直志の両親ではない。二人は衰弱し、布団から起き上がれずにいる。

 また、村人でもない。村人たちは丹地風呂屋を避けている。唯一村長だけが気にかけていたが、直志を部屋に閉じ込めて以降は行かなくなった。直志がケモノのように「殺ス殺ス殺す、村ノ者全員殺ニシテヤルっ!!」と叫んでいるのを聞いて、恐れをなしてしまった。

 

「いったい誰が、鍵を壊したんだ……」


 直志の雄叫びは、部屋の前からでも聞こえる。それなのに鍵を壊すなど、狂気の沙汰としか思えない。

 直志の母親の言葉が脳内に響く。「元のやさしい顔になった。そうして、あの子も泣いたのです。俺を殺してくれ、完全に乗っ取られる前に殺してくれ……そう、泣きながら頼むのです」

 心を決めなくてはいけない。躊躇して、手遅れになったら大変なことになる。村人の安全もそうだが、快活で面倒見のいい直志に、村人殺しの罪を刻ませたくない。

 草世は立ち上がると、ふらりとよろけた。右足を出して踏ん張る。


「大丈夫ですか? ずいぶんと顔色が悪い」


 聞き慣れない男の声。見ると、雪が溶けた草原くさはらに見知らぬ男が立っている。

 腰まである長い髪。その髪が白色であることに、草世はハッとした。

 

「白狐……」

「はい。私は白狐で、名を白藍はくらんと申します。真珠の幼馴染です」

「幼馴染……」


 男の目は、眼球が見えないほどに細い。顎が尖っており、青い着物に包まれた体はほっそりとしている。腰まである白髪が、吹き始めた風にふわりとなびく。

 男は気品にあふれており、美丈夫だ。声は穏やかで、親しみを感じさせる。

 だが、草世は警戒して後ずさった。


「なんの用ですか?」

「真珠のことが心配で参りました。真珠は元気でやっていますか?」

「あなたには関係のないことです」

「どうしてですか? 真珠は私たちの一族の者です。関係ないことはありません」


 草世は固い表情を崩さないまま、ぶっきらぼうに言い放った。


「あなた方は真珠をいじめた。石を投げたり、叩いたり、毛をむしったりしたそうですね。軽蔑します」

「あぁ……」


 男の目は細すぎて、感情が読めない。口角が上がっているが、この話の流れで微笑しているのは不自然。

 得体の知れない、気味の悪い男だと、草世はさらに後ずさった。


「あなたと話す気はありません。失礼」

「お待ちください!! 私は真珠の味方です! 真珠が一族から受けているひどい扱いに、私も心を痛めてきました。私は、真珠を連れ戻しにきたのではありません。真珠からあなた様の話を聞き、ご相談に来たのです。ソウセイ様、ですよね?」


 

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