第12話 癒えない傷
翌日の朝ご飯は、焼き油揚げと雑穀米と白菜のお味噌汁と切り干し大根。
いたって質素な食事なのだが、真珠は微笑ましい反応をみせた。
真珠はまず、醤油で味付けをした焼き油揚げの匂いを嗅ぎ、頬を緩めた。
「いい匂い! おいしそう!! 草世って、お料理上手」
「食べないうちから、上手だなんて言っていいのかい? 食べたらまずいかもよ?」
「匂いでわかるもん! 絶対に、おいしい!」
真珠は物覚えが早い。箸の使い方が格段に上手くなっている。焼き油揚げを箸で挟むと、落とすことも、顔を近づけることもなく、口へと運んだ。
サクッという音とともに、真珠の顔いっぱいに笑顔が広がる。
「おいしい!! カリカリしている。これも油揚げなの? 昨日のとは違う」
「料理の方法で食感が変わるんだ。これは、油揚げを七輪で焼いたもの。……ネギは嫌い?」
焼き油揚げを食す前に、真珠は上に散らせた青ネギを箸でピュピュッと飛ばしたのだ。小口切りにしたネギまで箸で掴めるとは、器用なものである。
「うん、嫌い。変なにおい」
「じゃあ、もらうよ」
草世が真珠の皿にある青ネギを自分の皿に移動していると、不意に視線を感じた。草世の皿にある焼き油揚げを、真珠が食い入るように見ている。
「もっと食べたい?」
「あ……でも、草世の食べるのがなくなっちゃう……」
「僕はそこまで油揚げが好きなわけじゃないし。あげるよ」
「えっ⁉︎ いいの?」
「うん」
「草世、やさしい! 大好き!!」
真珠は体を揺らして、無邪気に喜んだ。
曇りのないその笑顔は、草世に言い知れぬ感情をもたらす。この子と一緒にいたら楽しいだろう、そう思ってしまう。
一緒にいたら楽しい──その下にある感情を、言葉にしたくはない。
思考を変えたくて、草世は昨日、聞きそびれてしまったことを質問する。
「そういえば、どうして大きくなったんだい? 薬をもらいに来たときは、五歳ぐらいの大きさだったのに……」
「希魅様は霊力がとても高くて、千歳を超えているの。だから、男でも女でも、子供でも老人でも、どこの国の人にでも変身できる。でもわたしはちょっぴりしか生きていなくて、霊力が弱いの。だから、小さな女の子にしか変身できなかった。でも、草世のお嫁さんになりたいって思ったら、霊力が高くなった。希魅様は、なにか意味があるんだろうって。草世を騙して遊んで来いって、白狐の村を出る許可をだしてくれたの。でも、安心して。騙したりしない。そういうの、わたし、好きじゃない。お礼がしたいの。やさしくしてくれたから……」
やさしくしてくれたから……、そう紡いだ声が震えた。
薬をもらいに来たときのことを思い出して真珠が感激したのが、草世にも伝わった。
草世は、特別にやさしくしたわけではない。医者としての役割をこなし、哀れな女の子に同情しただけ。ただ、それだけのこと。けれど、仲間たちから虐げられていた真珠にとっては、その同情の中に込められたやさしさが嬉しかったのだろうと想像できる。
「恩返ししたいの。草世のお嫁さんになって、役に立つからね!」
「…………」
真珠の曇りのない笑顔から、草世は視線を外した。
床支村の人々が真珠を拒んでいる限り、ここには置いておけない。それは真実でもあり、言い訳でもある。
(僕は、彼女の想いに応えられない。器の小さな人間が、誰かを幸せにすることなど、できるはずがない……)
草世は真珠に向き直った。気が弱く優柔不断な性格であるが、それに逃げてしまっては、お嫁になりにきた真珠に失礼だ。彼女の勇気とやさしさに応えるために、誠実さを示さなくてはいけない。断るという形で──。
「真珠ちゃん。恩を返さなくていいし、役に立つ必要もない。なにもしなくていいんだ。僕は……結婚願望がない。妻などいらない。一生独り身で、いたいんだ……」
毅然とした口調で話し始めたというのに、結婚の話にふれた途端、声の調子が弱々しくなってしまった。
嘘だから。本心では、元許嫁を忘れ、新たな女性と家庭を築きたいと願っている。しかし同時に、自分のようなつまらない男なぞ、結婚する価値がないと卑下もしている。
相反する、心。
(菊音から離れ、都からも離れたら、心の傷が塞がり、ゆくゆくはどこに傷があったのかさえわからないぐらいに忘れられるだろう。そう、思っていた。そのために、床支村にやってきたというのに……)
けれど、村に来て一年半。いまだに引きずっている。そればかりか、自分は苦しみの中にあるのに、裏切った菊音は幸せを掴んでいるのではないか。結婚して子供がいるのではないか。
どす黒い心は妬みを生み、菊音が幸せにならないように願ってしまう。
「草世、どうしたの? 元気ない」
真珠はうなだれている草世を心配して、ちゃぶ台をぐるりと回ってきて彼の前に座った。草世の手を取る。
「大丈夫。わたしが、側にいる。ずっとずっと、側にいるからね」
「放っておいてくれ。僕は情けない人間なんだ……」
「そんなことない。放っておけない。気にする」
あやかしだからなのか、それとも子どもだからなのか。真珠の一文は短い。だからこそ、まっすぐに伝わってくる。
草世はつい、弱い心をさらけ出してしまう。
「僕は浅ましい男なんだ。人の顔色を伺って、いい人を演じている。だけど、心は真っ黒。昔の女性を恨んでいる。こんな男、結婚しないほうがいいんだ。幸せにできない……」
「わたし、幸せ! 草世といると、幸せ。大好き!!」
年下の女の子に慰められる居心地の悪さに、草世は嘲笑った。
「ごめん。冗談だ。今言ったこと、全部忘れて。嘘だから。……そういえば、いまさらなのだけれど、足の怪我はどうなった? 普通に歩いているけれど」
「治った」
「本当に? 一日で治るものではないと思うけれど……」
「草世のお薬のおかげで、治った。心配してくれて、ありがとう。草世、大好き!!」
足の怪我が治っていることを教えるために、真珠は立ち上がった。ぴょんぴょんと飛び跳ねて見せる。すると脚がちゃぶ台にぶつかって、白菜入りの味噌汁がこぼれた。
「あっ!!」
「真珠ちゃん、落ち着いて! 怪我が治ったの、わかったから!」
「ごめんなさい……」
こぼれた味噌汁を拭く草世。真珠がシュンとしていると、草世は明るく笑った。
「気にしなくていい。真珠ちゃんがお味噌汁をこぼしたのは、まだ一回だけだ。僕なんか、今までに千回はこぼしている」
「千回も? ふふっ」
真珠は笑顔をこぼし、それから思い至った。
ほうじ茶をこぼしたときも草世は、「僕もよくお茶をこぼすんだ。今までこぼしたお茶を数えたら、百回はあるかもしれない。君はたった一回だ。だから気にしなくていい」そのように言った。
そのときは素直に信じて、なんてそそっかしい人なのだろうとおかしく思った。けれど、そうではないことに気づいた。慰めるために、草世は嘘をついてくれたのだ。
(草世、やっぱり、やさしい。大好き!!)
白狐族の掟とは別に、真珠は家族からきつく言われていることがある。──人間に関わるな。人間のために妖術を使うな。
(白狐の村を出るときに、両親から縁を切られた。二度と帰ってくるなって怒鳴られた。これ以上、嫌われたっていい。草世のために、妖術を使う!)
大好きな草世と一緒にいるために、真珠は覚悟を決めた。
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