第5話 女の子の正体

 真珠は痛み止めと止血剤を着物の懐に入れると、土間へと降りた。

 門口でちょこんと頭を下げる。


「ありがとう。おいくらですか?」

「遠いところから来てくれたんだ。お金はいらないよ。それよりも、真珠ちゃんのことが心配だ。ご飯をちゃんと食べている?」

「えぇと……多分」

「僕がこんなことを言うのは、差し出がましいのだろうと思う。けれど、なにも言わずに別れたら、後悔する。だから、話しておきたいのだけれど、お腹が空いたり、怪我をしたり、つらくなったら、遊びにおいで」

「え……」

「僕は医者だ。患者の健康状態が気になる。真珠ちゃんは痩せすぎだ。食べるものがないときは、ここにおいで」


 真珠の全身の血液がまるで沸騰してしまったかのように、カアッと熱くなる。

 家族から食べ物を少ししか分け与えてもらえていないことを、見抜かれている。空腹でいることを知られるのは、ひどく気恥ずかしい。

 けれど、嫌われ者の自分を心配してくれる人間がいることに、心がぽわぽわと浮き立つ。

 やさしさに触れて、感情が昂る。精神の乱れは、術の乱れ。変身術が、揺らぐ。

 真珠の着物の裾から、真っ白でふさふさな尻尾がぴょこんと飛び出してしまった。

 二人同時に「あっ!」と叫ぶ。


「あのあの、これは、あの、違うの! わたし、悪い化け物じゃない!! 白狐なの!!」

「白狐……」

「悪いことをしに来たわけじゃない! あなたを騙そうとか困らせようとか、そんなこと考えていない。お金、渡します! 本物のお金です。偽物じゃない。わたし、わたし……」


 真珠は、涙声で必死に訴える。草世はやんわりと頷いた。


「わかっているよ」

「わかっている……?」

「真珠ちゃんはおばあちゃんを助けたくて、僕の家を訪ねてきたんだろう?」

「うん……」

「やさしい子だね。謝らないといけないことがある。実は、少し前から真珠ちゃんが人間ではないことに気づいていた。頭の上に耳が出ているから」

「え……」


 真珠がおそるおそる頭の上に両手をやると、ふさふさの獣耳に触れた。


「きゃあーーーーっ!!」

「ごめんね。怯えているようだったから、黙っていたほうがいいと思ったんだ」

「あ……」


 温かい感情が、真珠の胸にじわじわと広がる。涙腺が熱くなる。

 草世は人間ではないと知りながらも、怪我を気遣い、やさしい言葉をかけ、薬を塗ってくれた。

 彼のやさしさに、真珠の頬を涙が伝う。


「ありがとう……」


 草世は目元を和らげると、手に持っていた手ぬぐいを真珠の首に巻いた。着物から覗いていた真珠のほっそりとした首が、手ぬぐいで覆われる。


「風が冷たい。手ぬぐいを巻いておかえり。返さなくていいからね」

「わたし……ごめんなさい、嘘ついた。おばあちゃんじゃないの。白狐一族の長である希魅様が、怪我をしたの。希魅様は、とっても強いの。海の向こうにある大陸に渡って、王様と結婚したんだけれど、悪さをしすぎてしまったみたい。一万の兵と戦って、それで怪我をしたみたいなの。嘘をついて、ごめんなさい」

「へ、へぇ……一万の兵と……。よく生きて帰ってこられたね……」


 突拍子もない話に度肝を抜かされて顔を引き攣らせる草世と、本当のことを話してすっきり顔の真珠。

 手を振って見送る草世に、真珠は何度も何度も振り返っては手を振り返す。

 草世の姿はどんどん小さくなり、そして見えなくなった。


 彼の姿が視界から消えた途端、真珠は走った。痛めた右足も背中もすでに治っている。

 白狐の霊力は、あやかしたちの中で上位にある。人に悪さをするもののけとは違って、あやかしは品位ある存在。霊力の高さと気位と美しさを備えた白狐一族は、人間の薬などなくても、自然治癒力でほとんどの怪我を治せる。特殊な毒を使われなければ。

 だから真珠も、少し休めば怪我を治すことができた。けれど、草世のやさしさが嬉しくて、怪我を委ねた。

 右足首と口の端に、薬を塗ってくれた彼の温かな手。誠実な眼差し。

 草世とのこそばゆい時間は、真珠の宝物になった。


「草世、草世、草世……。わたしが白狐だと知っても怖がらなかった。やさしくしてくれた。大好き! わたし、草世が大好きっ!!」


 手ぬぐいの端を鼻に持ってきて、彼の匂いを吸い込む。漢方を扱っているからか、渋い草の匂いがする。


「この匂いも大好き。決めた! わたし、草世のお嫁さんになる!!」

 

 真珠は変身を解いた。頭上から降り注ぐ月明かりが、白狐の美しい毛並みを照らす。以前の薄汚れた貧弱な毛ではない。雪よりも白く、月よりも神々しい毛並み。

 月の輪が空から落ちてきて子狐を囲ったかのように、真珠の体が光り輝いた。



 それと時を同じくして——。

 白狐御殿の最奥で寝ていた狐の目が、カッと見開いた。にやりと笑った口から、鋭い犬歯が覗く。

 

「気高い霊力が流れてくるわぁ。うまくいったらしい。赤い月が出た日に生まれた子は、不吉な者ではない。霊力の高い者を地上に遣わしたという、神のお告げ。あほんだらどもはそれを妬んで、真珠の才能を開花させないためにいじめておったが、無駄な努力であった。愉快やわぁ」


 白狐一族の長である希魅。彼女の独特な節回しを聞いている者はいない。希魅に仕えている者たちは、彼女に死が迫っているのを悟るや否や、次の長となる者の屋敷にご機嫌伺いに行ったのだ。

 希魅は胴から流れている血を舐めた。みるみるうちに傷口が塞がっていく。


「瀕死の演技をするのに飽きたわ。毒など、うちには効かん。さて、あほんだら連中に会いに行ってやるとするわ。くどくどねちねち、嫌味ったらしく説教してやるわ。真珠の兄が次の長など笑えるわぁ。うちの元気な姿を見せて、悔しがる顔を見てやるとするわ」


 檜で作られた純和風の御殿。純白の毛が映えるようにと、赤い御簾が垂れ下がり、御格子は黒で塗られている。

 檜の爽やかな香りがする美しい御殿の中を、希魅が四本足で歩いていく。四つの尻尾が揺れる。




  

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