capture4 過去

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メゾンハイツ2号棟の部屋に帰宅したソラは、懐ですっかり寝入ってしまっている小動物…ワタリギツネの仔をタオルケットに包んで竹行李こうりの蓋に寝かせた。


「体温と揺れのせいだろうな。まあ子供だから、仕方ない…ゆっくり寝かせてやろう。これでまた一つ、生命を掬った…。よしよし、もうすぐ家族の処に帰してやるからな」


温かく柔らかなワタリギツネの仔の柔毛にこげを堪能しながら頬を弛めるソラの横顔は女神と見紛うほどに綺麗で、啓司はまるで蟲針で縫いとめられたかのように立ち竦んだ。


『お前の希望ねがい、しかと聞き届けた。イスナよ、どうか安らかに眠れ…』


累々と横たわる内臓なかみを喪った血まみれの亡骸。炎を上げて燃え盛る家。

降りしきる雨。

そして、雨音の中の、静かなる慟哭───。


啓司は霊体である性能上、意図せずとも思念を傍受することができる。ソラから伝わってきたのは、ワタリギツネの仔への安堵の感情ともう1つ、いまは亡き「誰か」を悼む深い悲哀だった。

感覚を研ぎ澄ませていれば更なる詳細を手繰り寄せるなんて容易たやすいのだが、一方的に知ってしまうことはフェアではない。

ゆえに、啓司は敢えて問いかけた。


【なあ…ソラ。答えにくいんなら、ムリにとは言わねぇけどさ……イスナ…って、誰なんだ?】


「!」


遠慮がちな問いかけを受けたソラは、虚を突かれて大きな瞳を更にみはった。


「なぜ、その名を……」


どうして知り得ないはずの人物の名が彼の口をついて出たのだろうかと考えかけて、思い当たる節が浮上して思わず息を詰める。

啓司は生霊だ、つまり幽霊。

思念・思考を拾ってしまうのは性能上、致し方のないことだ。


【こんな状態だし、その……なんか…色々と流れ込んできた】


動揺を悟られまいと誤魔化そうとする気配に、啓司は眉間にシワを寄せる。ごく短かに息を呑んだソラの些細な仕種を、彼は見逃していなかった。


【だからさ…アタマ悪いなりに考えた。そういや俺、お前のこと名前と人間じゃねえって事くらいしか知らないんだよ】


「……お前のことだ、教えて欲しいと…言うんだろうな」


【なあ、その前に一つだけ勘違いしねえで欲しいんだけどよ…。俺はイスナが何者か知りたいんじゃねえ】


「……は?」


【イスナを引き摺るお前…ソラの事が知りてえんだよ】


「なにを言い出すのだ、貴様は…」


訴えかける啓司の目に濁りはなく、どこまでも頑迷で意志を曲げない強さがある。

予想とかなりかけ離れた、斜め上からきた要望にソラは純粋に驚いた。

過去、ここまでしてまで踏み込もうとする輩はいなかったし、ソラ自身が受け容れなかった。

そう………決して受け容れなかったのだ。

なのに、今はどうだ。いつの間にか心の隙間に挟まりこんで、違和感がなくなった啓司を好ましくすら思っているだなんて、本当に馬鹿げている。

《…自分は一体、どうしてしまったのだろう…》

永らく生きているのに、今更ながら己の感情に理解が追いつかない気持ち悪さに、ソラは忸怩たる思いで渋面した。


【教えてくれ。……なんで、お前は常に自分を含めた全てを憎んでるんだ…?】


「そう言われてもな、記憶を読めばいいだろうに」


この異形は、常に孤独を纏っている。

それが堕落者アン・シーリーを駆逐する上位捕食者の貫禄だと思っていたが、どうやら違う。彼女を取り巻くのは、孤独と無数の怨念と絶望だった。

……自分はそんな彼女を理解したいし、救いたい。

ソラにとって嫌な、つらい記憶を掘り起こすかもしれないが、それでも自分には救い出すための情報が必要なのだ。

感情を堪えるような、哀しみに満ちた声音に揺るぎそうになるが啓司は口を引き結んで畳み掛けた。


【たとえ記憶を読んでも、お前自身から聞いたことにはならねえだろ? 何があったのか……俺に、ちゃんと教えてくれよ】


しかし、触れる境界線を見誤ってはならない。

ここで強く働きかけることは、彼女の内情に土足で踏み込むことと同じである。 

何度か接触を試みたが…彼女には過去にまつわる「何らかの」深い悲しみが寄り添い染み付いていて、浅く記憶を読むと同時に硬い殻に突き当たり、啓司はその度に焼け付くような絶望を味わっていた。


【…頼む】


居心地悪そうに居住まいを正したソラに、啓司は口許だけで笑った。きっと、ソラは話してくれる。啓司を生霊だと見抜いた時のように嫌な顔をするかもしれないが、きっと大丈夫。

彼女は優しさから、人も霊も傷付けまいと感情に蓋をしていたのだろう。

本当に凡てを憎んでいる者に、他人を慈しむことはできない。

……現に、ソラはワタリギツネの依頼を果たして生霊である啓司じぶんを受け容れている。


「どうしても、聞きたいのだな?」


紫灰アッシュ・モーヴの瞳がじんわりとゆっくり金碧色へと移ろっていくのは、ソラの負の感情が高まっている証拠だ。

目の色が変わる、それほどまでに回想を憚るような出来事でもあったのだろうか。

ソラの事ならば何でも知りたい啓司は、好機とばかりに身を乗り出して大身振りで頷いた。


【おう。どうしても、聞きてえ】


「…聞いて面白くなくても、文句は受け付けないぞ」


【言わねえよ。俺から言い出したしな】


「……ふ。おかしな奴」


悲しみを浮かべた表情は暗い。けれど、真心の籠った笑みは啓司の心の正中を射ていた。


【いいな、その表情カオ。いつも、そうやって笑ってろよ…お前】


「…気が向いたら、な」


啓司はセミダブルベッド(元々部屋にあった残置物)に深く座り込むと、傍らにいたソラの腰を柔らかな仕種で抱き取る。

諦めたのか、或いは気を許したのかソラに逃げようとする素振りはない。

後者なら嬉しいと妄想しながらしりを撫でた啓司は、思い切り手の甲を抓られて野太い悲鳴を上げた。


【いっで!!】


「…予告せず今のようにくだらん事をしたら、今度は燃やす」


ソラは静かな威嚇をしながら啓司の傍らを離れるが、その顔は林檎のように赤くなっていた。

だが、たかが威嚇に怯む|啓司ではない。

満更でもなさげな素振りの背中を力強く引き寄せた瞬間、ソラの身体が跳ねるように震えた。


「…ばっ、莫迦っ…何をするんだ!?」


【まあまあ、そう言うなって】


逃げ出そうと身を攀じるが、抵抗する間も与えずそのまま引き寄せた勢いで、包むように抱き締められる。


「…まったく…お前というヤツは…」


【なあソラ、辛いことを思い出させるかもしんねえけど、少しずつでいいから、話してくれ。今度こそ逃げねえで受け止める】


「分かったから、少し腕を弛めろ。力加減を知らんやつと執拗しつこいのは嫌われるぞ」


そっと弛んだ腕のなか、ソラは啓司の膝に座り直した。


「…まあ、そうだな。少し歩み寄ってやらんこともない。……私も、その……お前のことだけは嫌いではないし……それに、約束したからな」


【ソラ…】


歩み寄ろうとする心の変化が嬉しくて、啓司は膝に坐すソラをやんわりと抱き締める。

感情の赴くまま振舞ったのにも拘わらず寄り添ってくれたソラに、鼻の奥がツンと痛んだ。


「くすぐったい。……仕様のない奴だな、お前は」


そっと押し充てられた肌の温もりはないのに、シミ出した生ぬるい感覚は彼が泣いていることを伝えてきた。

啓司の温かい人柄と心根を理解したソラは、一度深く溜息をついたのち徐に重い口を開いた。

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