02

「…滅多やたらと触るな、煩わしい」


馴れ合い=肚の探り合いが嫌いなソラは、不意に頭へと乗った大きな手の感触を振り払いそうになる衝動を抑えながら再び奥歯を噛み締めた。

なぜだか、この青年霊に触れられると無意識に身体がわななく。

おそらく拒否だとは思うがイスナの記憶を読み取る方が重要なので、ごちゃごちゃしい理由の追求解明など正直面倒くさい。


【でもさお前、いま自分がどんな顔してるか解ってるか?】


「…それこそ…どうでもいいな」


光の加減によって色彩を変える紫灰色アッシュ・モーヴの双眸は、まるでガラス玉のようだ。

目に光がないソラのその表情は、一切の同情を遮断して只管ひたすらに「無」。

吐き捨てて云う麗人に、啓司は渋面を作る。

『触るな』と拒絶を放つ理由は詮索しないが、過剰に接触を拒むソラを不憫に思うと同時にそれ程に他人を信頼できないのかと、無性に悲しくなった。


【よかねえっての。あのな、少なくても俺は心配するぞ】


「なぜ」


【ん?】


「なぜ貴様は…会って間もない奴の事を律儀に気にかける。そこが不可解だ」


【俺さ、お前のこと…もっと知りたいんだよ。だからさ、あとちょっと…ちょっとでいいから歩み寄れねえかな。せっかくの美人なんだ、そんな風にカリカリ怒ったら勿体ねえぜ?】


逃がすもんか!とばかりに言い募る啓司の薄いブラウンの双眸が、ひたとまっすぐにソラを捉える。


「なん、だと…」


それがなんだか熱を帯びているように見え、嫌悪のせいか体感温度が更に2度ほど下がった。


「…私を…知りたい?」


……一体、自分の“なに”を知りたいというのだ?得も然程あるまいに、不可解でしかない。

どうして、そんな真っ直ぐな目で私を見る…。

甘い言葉を吐きつける?……


「一体なんのつもりだ…。ふざけるな」


まさか、……まさかこの男は私を「女」だと思っているのではあるまいか…?

この態度から推察すると、あながちハズレでもなさそうだ。

だとしたら、とてつもなく不毛で、不愉快。

そもそもの話、この身体には、性別が判別できる特徴が存在しないのだから。


【お前は、まあたそうやって言う…。少しは歩み寄りというやつをだな…】


「止めておけ。知ってどうする。必ず後悔すると分かっていながら、なぜ自ら進んでリスクを負おうとする?頼むから、必要以上に構ってこないでくれ。迷惑だ」


言葉に宿る最もデリケートな感情を感じ取ったソラの機嫌は、急転直下に悪化した。

受け止めるだなんて、できる訳がない。

未知の異形に対して人間を含めた誰もが神経質になり、個人の常識・物差しを押し付け、理解されないと分かれば拒絶・排斥に動くのだろう。

今までだって長いことそうだったじゃないか。他人に絆されてはいけない。


「私の事は放っておけ」


さもなくば死ぬぞ、と声を低くして脅せば啓司はシャボン膜のように揺らいで姿を消した。

……そうだ、それが互いに一番フェアな方法やり方だ……。

堕落者アン・シーリーを狩る以上、この青年霊にも確実に死を伴う災厄が及ぶだろう。

宿敵を前に志半ばで散ったイスナのように、もう二度と目前で命が失われる惨劇は見たくはない。

なにより自分は、彼女イスナの遺志を果たすために此処にいる。

依頼約束を果たすまでの関わりなのだ、不必要に愛着が湧くのは好かない。

啓司の気配が消えたことに静かに安堵しながら、作業を再開したその時だった。


【……あのなあ……んなコト言われて、放っとけるかよ…】


体温のない腕が無遠慮に腰へまわり、そのままソラの身体を抱き取っていた。


「何のつもりだ、離せ。今度こそ消し炭になりたいか」


【まあまあ、そんなにカリカリすんなって。な?】


事情に踏み込まれたくないソラは啓司の胸板を殴り付け、脛を蹴って暴れるが、腕には更なる力が込められる。

強くありながらも、逃げようと思えば簡単に逃げ出せる力加減は…間違いなく自身を女性として扱っているのは明らかだった。


「明らかに距離感がおかしいだろう、離せ! おい、聞こえないのか貴様っ」


大まかに意図を汲み取ったソラの胸中に何とも言い難い強烈な怒りの感情が湧き上がる。

怒りのまま声を荒げれば、啓司の怜悧な目許が悲しげに弛んだ。



【消し炭は嫌だけどさ、お前が自分の気持ちに嘘つく方が…俺は嫌だな…】


「っ…」


だからどうしたと撥ね付けるのは簡単なのに、啓司の真摯な眼差しに囚われた瞬間、金縛りにあったような感覚に陥る。


「や……っ、めろ。離せったら!」


【いやだ】 


───────どぐんっ!!


「……くっ、余計な、世話を焼くのは止せ…」


さらに心臓が重く振動する感覚を得たソラは、渦巻きつつある“衝動”に背を震わせる。

どくどくと全身が脈打ち、熱い魔力が遂に頭を擡げようとしていた。


────いけない。────


これ以上、魔力が膨張すれば“今の容姿すがた”を保てないばかりか、建物ごと破壊してしまう虞れがある。

鎮まれ、鎮まれ…鎮まれ、鎮まれ…。

ソラは奥歯を噛み締め、膨張を続ける魔力を抑え込むが…魔力の膨張が留まる様子はない。


【おい、どうした…ひでえ汗だぞ】


汗ばんで震えるソラの異状を感じた啓司が咄嗟に額に触れようとするが、乾いた音と共に手は叩き払われる。


「…やめろっ!馴れ馴れしく触れるなと、何度いえば理解する。貴様のアタマは水樽か」


叩き払われた衝撃に加え、魔的な痛覚を思い知らされた啓司だが、同時に氷よりも冷たいソラの“体温”に目を瞠った。


【お前…っ、生身なのに、なんでこんなに冷てェんだよ?!】


「…これが私の平熱だ。本人が認めているのだから、みっともなく食い下がるんじゃない」


噛み付く彼に対して容赦なく毒舌論破するものの、長いこと人ではない者として過ごしてきたソラはすっかり生身の人気に必須な補足設定オプションを忘れていた事を暗に指摘されてようやっと己の失態に気が付いた。


【はあ!? お前、氷漬けかってくらいだぜっ】


情けないやら、恥ずかしいやら…そんな感情も加味されて苛立ちは刻々と膨張していく。


「いい加減にしないか…。まったく、貴様のせいで余計な時間を取られた…」


相変わらずと口喧しい啓司を煩わしく思いながら、ソラはゆっくりと溜息を吐き出す。

人ならば長く生きるうちに大体の記憶を忘れていくのだが、異形は違う。

過ごした年代の分だけ記憶も“その時々にいだいた感情”も鮮明に残って忘れられないのだ。


【なんだよそりゃ…俺のせいだってか、冗談じゃねえぜ】


「…は?」


腕を組んでふてぶてしく口を突き出す啓司に頬を引き攣らせながら、ソラは増加する怒りのボルテージのまま彼を睨む。

お前さえ大人しくしていれば…わざわざ噛み付いてきさえしなければ過去を彷彿する「余計な感情」は生じなかったのだ、まったく要らないことをしてくれる。

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