03
「さて、暗くなる前に片付けようかね」
スマホの表示画面は16時50分。
無造作に床へ置いたスマートフォンに最後の斜陽がかかり、そこが温い日溜まりと化す。
窓から見える街は、迫る黄昏の気配に活気付き始めていた。
「…そうか、窓から商店街が見えるのだな…」
不快なはずなのに、何故かノイズが心地よい。
夕暮れ時の風が弱々しく吹き付けて前髪を乱していくのを直しながら、ソラはベランダのサッシを静かに閉めた。
“感情を持つな、非情であれ…”
感情のほんの隙間…脆い部分に付け込んで蔓延する怪異から人命を最優先に護るため非情を義務付けられたイスナ。
どんなに本心が血を流しても真に心許せる友もなく、さもしい血縁者しか周囲にいない劣悪な環境下を細腕で生き抜くしかない生き様に、彼女は絶望していた。
どうにも吸収したイスナの感情と記憶が鮮烈で、ソラ自身が時折、飲み込まれそうになる。
「辛い選択をしたのだな、だがもう安心しろ…。私が共に背負ってやる」
ガシャーーーー…ン。
パリーーーン!!
澱を積もらせる胸中に蓋をして、乱雑に積まれた段ボールからガムテープを引き剥がし中の荷物を取り出そうとした瞬間、硝子が割れる鋭い不協和音が薄暗い部屋に響き渡った。
「…今日は本当に賑やかだな。今度は何だ?」
硝子が割れる特有の破裂音がしたのは、キッチンの奥にある四畳半間からだ。
ソラは躊躇なく薄闇が漂う台所を横切って奥に進んでいく。
「いやな気配はないが…」
一足進む毎に、空気が重く冷えて感じられるほどの違和感が纏わりつく。ここに、確実に幽魂が「居」る証拠だ。
闇に眼を向けると、ひときわ暗い四畳半の部屋がまるで待っていたかのようにぽっかりと口を開けて佇んでいた。
「ふむ、ここだけ洋間なんだな…」
一歩踏み出した足裏に冷たく平らな感覚を感じ、同時にここが畳ではなく洋間だということに気付く。
「…これは、また…」
部屋を引き払う際に処理しなかったのか、はたまたできなかったのかは定かではないが放置された家財道具がかつての生活感を残したまま埃を被っている。
どこか生臭く、饐えたような臭気が強く鼻を刺激した。
薄く開いたクローゼットからはみ出ている衣類は多分、Tシャツかなにかだろう。
午前中に感じた視線と、この状況から推察して行き着く答えは1つ。
「ああ、そういうことか。私が、これに呼ばれたのだな…」
怪異として生きてきたが故に『こういうもの』を見るのは初めてではないが、何度見ても嫌になる光景だ。
暗視してもよかったが、うっかり硝子を踏みたくないので照明を点けることにする。
しかし、壁に沿ってスイッチを探るがなかなか見つからない。
「…ちっ…」
見つからない筈はない。マンションなのだから、必ず備え付けられている。
―――ぱちり。
闇雲に探していると突然、蛍光灯に明かりが点った。
「…いやな予感ほど的中するというものな。というか、スイッチ自体を押してないんだが…」
無機質な蛍光灯の光が満遍なく部屋全体を暴くと、フローリングには細かな硝子片が散乱していた。スリッパを履いていたから問題はないが、ガラス片は結構際どい距離にある。
ソラは踏まなくてよかった、と胸の片隅で小さく安堵した。
「ふーん…」
破片の中に、クモの巣状にヒビ割れた埃まみれの写真立てが落ちており、落下したのはどうやらこれの様だ。
しかし、拾い上げた写真立ては“その役目を果たした”と言わんばかりに粉々に崩れ落ちて無味の硝子片と化した。
(…これは…)
託された写真の埃を指の腹で取り払うと、埃の下から被写体が二人が表れる。
被写体の人物は、おそらく登山が趣味だったのだろう。
黒いバックパックを背負い、トレッキングポールを持った黒髪の青年と、金髪の怜悧な印象の青年が肩を組んで笑っていた。
しかし一緒に映っている黒髪の彼の顔の部分だけが不自然に赤黒く劣化して顔貌の判別がつかない。
恐らくこのどちらかが前の住人なのだろう、イスナと大して歳も変わらないように見える先住者に、ソラは少しだけ興味を懐いた
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