【第四章】⑤

 春になった。二回目の三年生が始まる。私のお友達らしい佐倉志織ちゃんは近くの大学に進学した。私の検査が毎週火曜日と金曜日だから、行けるときは付き添うねっていってくれた。誰かはよく知らないけど、去年、私と同じクラスだった女の子らしい。

「紬ちゃんは始業式どうする? 二回目だから出なくてもいいけれど……」

 学校の裏庭にある園芸部の部室。私の前に座る加賀見先生がそういう。加賀見先生は私のクラスの担任で、倫理を担当している。

「出なくてもいいなら……ここにいてもいいですか? 人の多いところはちょっと苦手で……」

「そう。じゃあ、式が終わった頃にまた様子を見に来るわね」

「はい」

 私がそういうと、加賀見先生は部室から出て行った。すぐにチャイムが鳴って、体育館から校長先生の話がここまで聞こえてくる。

 勉強しようと思ったんだけど、十分もすると集中力が切れちゃった。気分転換に花壇でも見てみようかな。そこの近くには桜の木が植えてあるから、今はすごくきれいだろうな。

 外に出て、桜の木を見上げる。やっぱりきれいだった。いくつものピンク色の花びらが重なってて、ずっと見ていられる。

 今、校舎には誰もいない。先生たちもみんな体育館にいるから、自由に動き回っているのは私だけ。そう考えるとなんだか変な気分だった。

「……ふふ」

 思わず笑ってしまう。

 そのとき、ぎし、って変な音が聞こえた。どこからだろう。耳を澄ませてみると、また、ぎし、って聞こえた。上からだ。屋上だとしても、生徒は立ち入り禁止のはずだけど……。

 私は振り向いてそっちに目を向ける。

 屋上には一人の男の子がいた。青い髪。全部のボタンが開いた制服。中に着こんだパーカー。

 そんな子と――目が合った。

 その瞬間、目の前にバチバチって光がたくさん出て、雷が起こったみたいな感じがした。飛んでいる桜の花びらもゆっくりになって、まるで周りの時間が止まったみたいな、不思議な感覚がした。

『学年が上がったといっても皆さんはまだ学生です。というわけで……』

 校長先生の声でハッとなる。慌てて園芸部の部室に戻って、ドクドク暴れてる心臓を服の上から押さえる。

「……な、なに今の……」

 まだドクドクと心臓が激しく高鳴っている。しばらく、私の心臓は落ち着いてくれなかった。

 それから数時間して、私は病院にいた。今日は始業式があって午前で学校が終わるから、それに合わせて病院の先生が検査の時間も早めてくれた。検査が終わって中庭にいると、志織ちゃんが「遅くなってごめんね。待合室にいないからどこ行ったのか受付に聞いたんだよ」っていいながら私の横に座った。ここのベンチは建物の影になっているから、あんまり人が来なくて落ち着く場所。

「今日の検査はどうだった?」

「うん、普通かな……」

「普通かー。いい感じってことだね……ってあれ、元気ないね。どうしたの?」

「うん……えっとね……」 

 私は今から数時間前のこと……始業式で見た男の子のことと、そのとき起こった不思議な感覚を志織ちゃんに話した。すると志織ちゃんは――

「それは恋だね。一目惚れだね」

 って教えてくれた。

「恋……?」

「うん。ビビッときたんでしょ? それは一目惚れだね」

「ビビッと来たかはわかんないけど、一目惚れかぁ……」

「よかったね、つーちゃん。好きな人ができたんだね」

 志織ちゃんはそういって笑った。でもそのあとすぐに、しまったって顔をして。

「あ……ごめん。去年に、つーちゃんとそういう話をしてたんだよ。つーちゃんはこういう恋の話は恥ずかしがって、するたびに顔を真っ赤にさせてたんだよ。それで、『どんな子がタイプなの?』ってあたしが聞いたら、『素直な人がいいなぁ』っていったんだよ」

「そうなんだ……」

 私、そんなことをいったんだ……。おぼえてないや……。

「制服を着てたってことはうちの学生でしょ? 一回だけでも本人としゃべってみたら?」

「うん……」

 髪を青くした男の子。名前はまだ……知らない。でもどうしてか、その子のことが頭から離れなかった。

「あ。あたしゴミ捨ててくるね。ここにいて」

「うん」

 志織ちゃんがゴミの袋を持って建物に戻って行く。私はさっきまでのことを忘れないうちに日記に書いていく。

「一目惚れ、かぁ……」

 書き終わってペンをしまい、私はつぶやく。

「あれが一目惚れだったんだ……すごかったなぁ……」

 まだおぼえてる。目の前がバチバチってなって、心臓がドクドク暴れていたこと。

「でも……忘れちゃったらどうしよう。忘れたくないな……」

 私はさっき書いた文章を見つめる。


『でも、忘れちゃうんだよね、この気持ちも。いやだな、わすれたくないな。

 初めて好きな人ができたのに。初めて一目惚れをしたのに。忘れたくないな。どうやったら治るのかな。どうしよう、どうしたらいいのかな。いっぱい話したいのにな』


「名前だけでも聞けばよかったかなぁ……」

 はぁ、と私はため息をついた。けれど学校の屋上は、本来生徒は立ち入り禁止の場所のはず。どうしてあの子はあそこにいたんだろう。そこまで考えてハッとする。

「……はは」と苦笑して、自虐するみたいにつぶやく。

「好きな子ができても、おぼえていられないのにね……」

 心の中のモヤモヤが大きくなって、心がズキズキ痛み始めて――一瞬フッと意識が落ちる。

「ん……」

 ゆっくり目を開ける。視界がぼんやりして頭の中がふわふわしている。ここは……どこだっけ。ああ……病院だ。今日は何日だったかな。日記を見なきゃ……。

 日記のページをめくっていると――足音が聞こえた。私は顔を上げる。私の目の目には、制服を着た男の子が立っていた。髪がうっすら青色になっている。

「……ハタノ先輩?」

「はい?」

 ハタノ……ハタノは私の名字だ。私の名前は……秦野ハタノツムギ。この子、どうして私の名前を知っているんだろう。もしかして、どこかで会ったことあるのかな?

「あなた……私と、どこかで会ったことありますか?」

「え?」

 男の子はびっくりしていた。

「あ、えっと、僕は……」

 そういったきり、男の子は黙ってしまった。

 なんだかこわいな……。一緒にいないほうがいいかも……。

「あ……ごめんなさい。そろそろ行かなくちゃ」

 私は立ち上がる。ここはえっと、病院だから……看護師さんを探せばいい……のかな?


『私の名前は ハタノツムギ

 病院で急にわからなくなったら看護師さんを探す。それか、スマホの電話帳の一番上にある子に電話する。自分の名前を言えば大丈夫』


 大丈夫。ここに書いてある通りにすればいいんだよね。

「それじゃ、また」

 男の子にそういって、私は建物の中に戻った。

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