【第三章】

【第三章】①

「……これは君のですか?」

 放課後。職員室の隣にある生徒指導室。僕はそこで担任含む三人の先生たちに囲まれていた。僕の目の前には校長先生がソファに座っている。

「もう一度聞くよ。このライターは君のですか? 佐倉拓輝くん」

「……はい。そうです」

 僕は机の上にあるオイルライター……昨日、先輩にあげた僕の私物を見ながら、素直にうなずいた。僕の後ろに立っている先生たち三人が同時にため息をついたのがわかった。

「……佐倉。今、持っている物を全部出せ」

 担任がいう。僕は素直に所持品を机の上に全部出した。

 いつも吸っているタバコの箱。いつも使っているオイルライター。複製した屋上の鍵。自分のスマホ。財布。家の鍵。電車の定期。それらを全部並べ終わると、校長先生は呆れたようながっかりしたような、深いため息をついた。

「この鍵は?」

 出した鍵をつまんで違う先生が聞いてきた。がっしりした体格の体育教師だ。僕はほとんど体育の授業はサボるから、この先生の顔は今初めてしっかり見た。

「……屋上の鍵です。去年、職員会議で先生たちが全員いないときに取って、スペアを作りました」

 素直に答えると、また先生たちは同時にため息をついた。担任は片手で頭を押さえ、「やっちまったよこいつ……」とでもいうように首を横に振っている。

 校長先生は心底困ったような顔で目頭を揉みながらいう。

「……ひとまず、これらの物は没収ぼっしゅうですね。君の処分はこれから多岐先生と相談します。佐倉くんは自分の教室で待っているように。私物類は持って帰っていいですよ」

「わかりました」

 机に置いた自分のスマホや家の鍵やらを手に取り、僕はソファから立ち上がる。そのまま背を向け、生徒指導室をあとにした。

 ズボンのポケットに手を入れて廊下を歩いていると、

「うわ、あの派手な子だ……」

「次はなにやらかしたんだろ……」

「犯罪とかしてないよね」

 なんて僕を見てはヒソヒソ話す女子生徒たち。その横を堂々と通り過ぎ、僕は自分の教室に向かう。

 省吾はバイトがあるためとっくに帰った。誰もいなくなった教室で自分の席に座り、スマホを開いて時間を潰す。まずはねーちゃんに『ごめん。タバコ、バレた』とメッセージを送る。すぐに既読がついて『あーあ、お母さんめっちゃ怒るよー笑』という返事とともに『ウケる!』とセリフをいっている猫のスタンプが返ってきた。

 メッセージアプリを閉じてゲーム画面を起動させる。ログインボーナスを取得して、今日のクエストを淡々たんたんとこなしていく。

 担任が教室にやってきたのは、それから一時間もしたときだった。

 退学になるなと半分諦めのような感情を持っていた僕の前に、担任は椅子を引いてそこに座った。そしてゆっくり口を開く――。

 僕は、明日から二週間の停学処分となった。





『お前はテストの成績だけはよかったからな。あと目立つ部分は遅刻とサボりぐらいだったし、見つかったのもこれが最初だったからな……』

 夕方の教室。僕の処分を伝える担任の声。家に帰った僕は自室でベッドの上に座り、放課後のことを思い出していた。

『先生、本当にすみません! ご迷惑をかけてしまって……本当にすみませんでした!』

『いえ……お母さん、頭を上げてください。担任として僕もいたらなかった点があったので……拓輝くんをもっと見てやるべきでした。気がつかず、本当に申し訳ございませんでした』 

『そ、そんな……先生、頭を上げてください! 去年もろくに学校に来なかったのに、退学にならなかっただけでも……』

『……ですが、来年……三年生になったとき、確実に進路や就職に影響します』

『そう、ですよね……喫煙きつえんなんて、やっぱり……』

『……本当にすみません。担任である僕の責任です』

『そ、そんな、先生……何度も頭を下げないでください! この子も悪いんですから!』

『拓輝くんには停学中にやるようにとプリント類を渡していますので、よろしくお願いいたします。なにかありましたら学校にご連絡ください』

『すいません本当に……ご迷惑をおかけして……』

『……佐倉、ちゃんとプリント全部やるんだぞ。あと一応いっておくが、停学中に外を出歩いたらダメだからな。停学期間が延びるぞ。わかったか? その髪の色も停学明けには戻しておけよ』

『……はい。すいませんでした』





 まさか今日にバレるなんて。いや、そもそも今までバレなかったのがおかしいんだ。担任が知っていながら目をつむっていてくれただけで。

「……」

 タバコを吸っていたことと校則違反の屋上に上がっていたこと。その鍵の複製ふくせいを作っていたこと。退学になるなと思っていたけれど。

「停学か……」

 しかも二週間。担任もいっていたけれど、間違いなく進路や就職に影響するだろう。

 今まで当たり前に吸っていたタバコが急になくなって、変な無気力感が全身にかっている。やる気も出ないしなんだかイライラする。家に帰ってきて一時間、格好もずっと制服のままだ。着替える気も起きない。寝れば少しはマシになるだろうか。ため息をつき、ごそごそ布団に入って横になると――階段を上がってくる足音に気がついた。

 母さんだ。面倒くさい。

 近づいてきた足音は僕の部屋の前で止まり、

「拓輝! 拓輝!」

 ドンドンと部屋の扉を叩いて母さんが僕を呼ぶ。仕事の途中で学校から呼び出されたから、今の母さんはすごく機嫌が悪い。声と雰囲気でわかる。

 本当はこのまま寝たふりをしておきたいけど、扉を開けないと余計に面倒くさいことになる。僕はのそのそ起き上がって扉を開けた。

「……なに?」

 僕の顔を見るなり、母さんは叫ぶように怒鳴った。

「あんたね、停学ってどういうことよ! どれだけ周りに迷惑かけたと思ってるのよ! 母さんだって仕事の途中だったのに! どれだけ好き勝手したら気が済むの⁉」

 他人と会う用の顔が剥がれ落ち、すっかり感情をむき出しにしている。

「去年だって遊びまわってろくに学校も行ってなかったし、それで私がどれだけはじをかいたか……学校の先生たちにどれだけ迷惑をかけたか……。だいたいその頭はなによ! また勝手に髪なんか染めて、あんたね、私がどれだけ働いてあんたの学費をかせいできたと思ってんのよ⁉ これでまた変な噂が――」

「わかったよ。出て行くから」

「……は?」

「停学の二週間、ネットカフェにでもいるから」

「そ……そういう問題じゃないでしょ⁉」

「そういう問題だろ、母さんがいってるのは。迷惑をかけたのは本当にごめん。だけど、僕も母さんと顔を合わせるたびにそんなことをいわれるなら、この家にはいたくない。母さんだって僕の顔を見たくないだろ?」

「停学のあいだ、出歩いたらまた期間が延びるのよ。多岐先生だっていってたじゃない。聞いてたでしょう⁉ それでまた停学が延びたら、また私が……!」

「だったらもう、僕とは関係ないっていえよ。自分の子供はねーちゃん一人だっていえよ。それならもう、僕のことで頭を下げることもなくなるだろ?」

「あんた……なんてこというのよ……! 親に向かって……!」

 母さんのキンキンした声が頭に響く。やめてくれ。頭の奥がズキズキして……かなりイライラしてくる。

「……とにかく、僕は停学の二週間この家には帰らないから」

「どこに行く気よ、高校生が行ける所なんてないわよ。出て行くなんて許さないんだから」

「……母さんが許さなくても僕には関係ない」

「それでまた問題を起こすんでしょう⁉ どれだけ私に迷惑をかけたら気が済むのよ。そのたびに私が頭を下げて恥をかくのよ。だいたい去年だって――」

 頭の奥に母さんの声が響いてくる。苛立ちが、どんどん大きくなってくる――。

 ズクズク痛むこめかみを押さえる。鼻から息を吸ってなんとか気持ちを落ち着かせる。こんなに感情が動くなんて初めてだ。今まで吸っていたタバコがなくなったからか、それとも――。

「――あんな学校に入れるんじゃなかったわ。どこから育て方を間違えたのかしら。幼稚園から仲良くなった神宮さんの息子……あんな金髪の子と仲良くしてるから――」

 沸点を超えた怒りが、ぶつりと頭の中で切れた音がした。

「省吾のことは関係ないだろ! もうほうっておいてくれよ! 母さんがそんなんだから、父さんが出て行ったんだろ!」

 母さんが目を丸くする。僕は肩を上下させて呼吸をしていた。こんなに大きな声が出たのか、僕は。それに自分でも驚いていた。

「……っ! 勝手にしなさい!」

 バン! と母さんが雑に部屋の扉を閉めた。勢いで家がほんの少し揺れる。

 僕は頭をぐしゃぐしゃと掻いて深いため息をついた。すごくイライラする。クローゼットからボストンバッグを引っ張り出し、手当たり次第に詰め込んでいく。着替え、下着、スマホの充電器。机の引き出しに隠していたタバコの箱を三つ放り込む。それらを入れてもまだバッグに余裕はあった。

「……はぁ」

 ため息が無意識に出る。なにもかもが面倒くさい。自分が悪いんだけど、なんだかすごく疲れた。その疲れを飛ばすため、新しいタバコに火をつけるのもおっくうだった。

 どこへ行くかな。母さんがいった通り、高校生の僕が行ける場所なんてないのかもしれない。でも、この家にはいたくなかった。

 そのとき、トントン、と扉をノックする音が聞こえてきた。

「起きてる? たこ焼き買ってきたから一緒に食べよ」

 ねーちゃんの声だった。部屋の扉を開けるとそこにはいつぞやと同じく、店の袋を持ったねーちゃんが立っていた。

「ねーちゃん……大学は?」

「んー、タバコ吸ってるのがバレて落ち込んでる弟を見たくてさ、サボっちゃった。中、入っていい?」

「うん……」

 そううながすと、ねーちゃんは部屋に入ってテーブルの近くに腰を下ろした。

「お母さんは仕事に戻ってったよ。めちゃくちゃ怒ってたね。ケンカでもしたでしょー?」

 いいながら二人分の船をテーブルに並べていく。

「あ、ジュースはこれね。好きなほう飲んで」

 てきぱきと買ってきたジュースもテーブルに並べる。その途中で、ねーちゃんは僕が準備していたボストンバッグをちらりと見た。

「もしかして、家出とかする気だったり?」

「……まぁ、ね……」

 僕は素直に答えた。アツアツのたこ焼きを一個食べると、イライラが少しは収まった。

「残念ながら、高校生の君がずっと入れるお店はありません! ネットカフェも学校に通報されちゃうよ。とはいっても、お母さんとケンカしたままこの家にいるのは気まずいでしょ。またなんかいわれるのもいやだろうし。あたしのマンション、来る?」

「え?」

「学生マンションで狭いけど、あんた一人ぐらいは寝る場所あるよ。掃除と洗濯、ごはんとか作ってくれたらあたしも助かるし。最近は変な人がうろついてるらしいから、コンビニも行けなかったのよねー」

「え、マンション借りてたの? 初耳なんだけど……」

「だって今いったし。あたしはこの家から電車で大学通うからいいっていったんだけど、お母さんが電車通学もなにかとこわいからって去年から借りてたの。月の半分ぐらいしかそっちで寝泊まりしてないんだけどね」

「そうだったんだ……」

「あんたはさ、去年家族のことなんか興味もなかったでしょ? お父さんとお母さんが離婚して、それであんたはずっとイライラしてたし。あたしなんか胃に穴が空いて入院したんだよー。お見舞いに来てくれたつーちゃんとずっと話してたなー」

「そう、だったんだ……」

 まさかねーちゃんが入院してたなんて……。僕は今初めてそのことを知った。それぐらい去年の僕は家族のことに興味がなくて、ねーちゃんに全部押し付けてたんだ。

「まず、その髪を黒に戻すこと。タバコがバレたってことはその髪もいわれたんでしょ? 髪の色を戻したら、あたしが大学行ってるあいだはなにしててもいいよ。ただし、ちゃんと学校からもらったプリントをやることと……部屋の掃除とか洗濯とかやってね。それ以外なら自由にしてていいから。外はあんまり出ないようにね。停学延びちゃうと面倒だし。あと、においがつくからあたしの部屋ではタバコ吸わないでね。その条件だけど、どうする?」

 願ってもない提案だった。ネットカフェも行けないだろうとなると、事情を話して省吾の家に泊まらせてもらおうかとも思っていたけど、さすがに二週間も人の家にお世話になるわけにもいかないし。なにより僕が停学になっただけで省吾は普通に学校がある。それに省吾の妹は今、中学二年生だ。そんな思春期の女の子の家に「泊めてください」なんて行けるわけもない。さすがにそれは非常識すぎる。

 僕は一つ息を吐き、ねーちゃんにいった。

「……行ってもいい? ねーちゃんの所」

「あれ、聞こえないなぁ。いう言葉が違うんじゃない?」

「……お世話になります。よろしくお願いします……」

「よしよし、ちゃんといえたねー。えらいぞー!」

 ねーちゃんに頭をわしゃわしゃ撫でられる。子ども扱いしないでよ、と手を払いのけたいところだけど……今日から二週間お世話になる人に、そんな態度は取れないなぁ……。

「じゃ、出れるならもう行くよ。電車で一駅だから、コンビニでも寄って晩ごはん買って行こ」

「わかった」

 ねーちゃんは立ち上がり、僕のそのあとに続く。部屋から出る前、僕はバッグからタバコの箱を全部取り出し、部屋のごみ箱に投げ入れる。そして自分の部屋に背を向け、扉を閉めた。

 ねーちゃんのマンションは狭いといわれたけど全然そんなことはなかった。間取りは1LDKらしい。洋室には絶対入るなといわれたので、僕はとりあえず廊下の隅に自分の荷物を置き、「おじゃまします」とねーちゃんに改めて挨拶をした。

「はいはい。じゃ、晩ごはん食べる準備して。テーブルの上にあるやつは適当に床にでも置いていいから」

 カウンターキッチンにいるねーちゃんが、棚を開けて二人分のコップを準備する。僕はいわれた通りテーブルの上にある教科書やらノートやらをとりあえずどけ、手に持っているコンビニの袋から弁当や惣菜を並べていく。

 ねーちゃんの部屋はほこり一つないほどきれいに掃除されていた。シンプルだけど整頓せいとんされた家具と部屋。まさに大学生って感じがする。

「ちょっと、あんまりジロジロ見ないでよー」

 お盆に二つのコップとお茶のペットボトルを乗せて、ねーちゃんがやってくる。テーブルを挟んで僕の向かいに座る。

「じゃ、弟の停学記念に乾杯ってことで。去年もギリギリだったけど、初停学おめでとー!」

「全然めでたくないんだけど……。なんで乾杯? これ、しなくちゃダメ?」

「しなくてもいいけど、あんたの荷物ほっぽりだすよ」

「えぇー……」

「ほら、乾杯しよ」

「かんぱーい……」

 カチャン、とコップ同士を打ち鳴らし渋々僕はねーちゃんと乾杯した。

 次の日。火曜日。

「あ、そうだ。今日はつーちゃんの付き添いで病院に行くからちょっと遅くなるかも。先にごはん食べてていいからね」

 朝。大学に行く準備をするねーちゃんが、そんなことをいってきた。

「んー……わかった」

 僕は頭をがりがり掻いてあくびをする。着てるのは上下グレーのスウェットだ。停学中というよりニートといったほうが合ってるかもしれない。

「じゃ、留守番よろしくね。行ってきます」

 ねーちゃんが玄関を開けて出て行く。その扉が閉まっても、僕の頭はまだぼんやりした眠りの中から覚めてなかった。

「……もうちょっと寝るか」

 くあ、とあくびをして扉の鍵を閉める。リビングに敷かれている布団に向かって歩いていき、ごそごそとその中に潜る。すぐに眠りに落ちた。僕が次に目を覚ますのは、あたりがあっという間に暗くなったころ。帰ってきたねーちゃんに蹴り起こされるときなのは、また別の話――。

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