第27話 十七年目の再会

谷山柾一の逮捕、起訴。そして処刑。そのために、事件から十五年間は寝食を忘れ必死に谷山を追い続けた。


時効期間が過ぎてからは、自分の手で谷山を捜し出し、抹殺する。このことのために三年四カ月と十三日、先の十五年以上の執念を燃やし続けてきた。


そしてようやく谷山を発見したのだ。交通事故に見せかけて殺害する。谷山と後藤田のどちらが運転していたか分からない程の事故であればより完璧で、全てが丸く、というと語弊があるが、収まってくれるのだ。


後藤田はこれが最良の手段と考えて、親友草野直樹に打ち明けて谷山殺害後の懸念を払拭するつもりだった。海野の行動を抑え、谷山と自分との関係を社会の表面から消し去ってしまう、これを草野に委ねようとしたのだ。

 

親友は了解を与えてくれると確信していた。自分が亡くなっても、後顧の憂いは何もなかった。父の退職金と弔慰金、それに預貯金のすべては、亡くなった兄の娘真希に取得させていた。代襲相続という形を取って、後藤田は相続放棄をしていたのだ。父の保険金の受取人は兄名義だったが、これも保険会社との話し合いで亡き兄の妻美由紀と娘真希に保険金が下ろされた。


大阪府和泉市王子町つつじヶ丘の家も、後藤田が亡くなれば、兄の娘真希に行くよう遺言が書かれてあった。時効が完成する可能性が高いと判断したとき、後藤田は谷山の最後の住民票所在地近くに家を購入した。多くの府警OBが住むことから近隣の人たちには警察団地と呼ばれる地区に、後藤田は中古の一戸建を購入して、谷山の消息をひたすら探ってきたのだ。


ヤツを殺す。そう、必ずヤツを殺してやる! ただそのためにのみ生き、食べて寝る。それを繰り返す毎日だった。


谷山殺害手段を何度も何度も確認し、神の反対をも拒む強固な意志で、後藤田は親友の説得に臨んだ。


「久しぶりだな」

 

直接顔を合わすのは本当に久しぶりで、互いに月並みな挨拶が口を吐いたが、無二の親友とはこんなものなのだろう、後藤田の意図は完全に直樹に読まれてしまっていた。


「出来ればまだ知られたくなかったんだが、山松が谷山と知ってしまったようだな、後藤田。だが俺はお前に、絶対、ヤツを殺させはしない!」


「エッ!! お前、もう……」

 

後藤田はいきなり直樹に出鼻をくじかれ、二の句を継げなかった。しかも、神の反対をも凌ぐ強固な意志など、直樹の次の言葉の前では何の力もなかった。


「お前は知っているのか。野々口先生の孫の英世君は、亡くなった彼の戸籍上の父の子ではないということを。今年十六になるが、お前に心当たりはないのか!」

 

昨夜遼から、英世の父は戸籍上の父ではないと聞かされたとき、直樹には確証はなかったが思い当たる節があった。それを後藤田にぶつけてみたのだ。


「エーッ!?」

 

直樹の言葉に、後藤田は絶句して、全身の力が抜けてしまった。ソファーに手足を伸ばしたまま、体中で訳の分からない塊がもがいていたが、開いた目と口から一気に溢れ出た。


「あー! 済まなかったー! 富美子ー! 英世ー! 許してくれー!」

 

守るべき者を守らず、自分は何と身勝手で無責任な生き方をしてきたのだ。「少しは自分のほうを向いてください」と言って受話器に涙声を漏らした、富美子の十七年前の言葉が、連山に響く木霊のようにワンワン耳の中で反響して、長い間消えなかった。


「な、後藤田。今すぐにでも会いに行きたいだろうが、こんな時間だ。今夜はウチに泊まって、明日、一緒に水尾へ行こう」

 

時間のこともあるが、こんな精神状態では野々口教授はまだしも、息子の英世に会わすわけに行かなかった。知らなかったこととはいえ、十六歳の英世にとって、後藤田を許すのは容易なことではないのだ。

 

―――それに‥‥‥。

 

直樹は最近、国防組織らしき影の存在を身近に感じ始めていた。海野の調べでは、挑発を繰り返す北朝鮮、ウクライナへの野望を捨てようとしないロシア、それに尖閣はおろか九州にまで食指を動かす中国。


これら三国からの危機に対し、国防的反撃を兼ねた核兵器取得を画策する組織の存在が明るみになっていた。実際にも、クーデターを企図するロシア軍内の反政府勢力から、小型核爆弾取得を試み交渉に当たっていて、そのための資金源にS資金が目をつけられたのだ。


三国からの我が国国防計画の中身も可なり具体化されたもので、今後起こりうる三国の強い協調体制にくさびを打ち込む第一段階として、【中国国境付近から核弾頭搭載ミサイルを発射し、北朝鮮の現政権を混乱の危機に陥れ自壊させる】というものだった。


第二段階は、北朝鮮難民を利用しての中国の政治経済体制危機の着火だった。


そして次の段階は、ロシア天然資源に対する中国とロシアの紛争誘発というもので、いずれにしても右派国防組織の描く計画には膨大な資金が必要で、また人的にも隠密裏に有志を募っているという噂も流れていた。


このようにS資金関係は極左の武闘集団・田池一派のみならず、自衛隊ないし防衛省の極右グループ、それにアジヤ人の犯罪組織まで巻き込む複雑な様相を呈していた。迂闊な行動は、野々口教授のみならず孫の英世と彼の母富美子まで危険に曝すことになってしまうのだ。


その夜、草野家の離れに床をとってもらい横になったものの、後藤田は一睡も出来なかった。とっくの昔に諦め、一人の人間を恨むことだけを生きる縁(よすが)にしてきた自分に、かけがえのない、全地球より重い大切な家族がいたのだ。富美子と英世の十六年間を償うため、今後の自分の生涯を捧げよう、いや捧げねばならなかった。

 

―――生きたい!

 

どんな無様な生き様であろうと、生きたい! いや、生きねばと、後藤田は心に誓った。谷山への復讐は、英世と富美子に較べれば、価値のない、取るに足りない小さな存在になってしまった。少なくとも、谷山と差し違えて自分の命を落とすことは出来なかった。

 

翌朝、草野家の母屋に招かれ、家族と朝食を共にした。直樹の隣に座りながら、後藤田は息子の遼に目が行ってしまい仕方なかった。


「そうか。遼君は、嵯峨野北高校へバイクで通っているのか」

 

自分の息子英世は高校へも通えず、高卒認定の受験勉強をしているという。祖父豹一郎を守るためにではあるが、何と健気で、不憫であることか。後藤田は箸を持ったまま、眼鏡がかすんで手が用をなさなかった。


「おじちゃん。ハムエッグが冷めちゃうよ。どうしたの?」

 

愛に何度促されたか知れなかった。


「御免ね、愛ちゃん。おじさん、あんまりお腹が空いてないようで、それに目にゴミが入って痛くて仕方ないんだ」

 

照子から手渡されたティッシュで目を拭きながら、後藤田も何度も言い訳を繰り返したのだった。家族団欒の席で朝食をとるなど、それこそ十八年、いや二十年振りであった。


「どうする? タクシーで行くのもいいが、バイクで行くか?」

 

目立たず、三十分は時間の節約が出来るのだ。奈良の十津川村へも走らねばならないことを考えると、自ずから走行手段は決まってくる。後藤田は二十数年振りに直樹の後ろに股がったのだった。

 

野々口豹一郎と英世の隠れ家は、神明峠を左に折れて、距離にして三キロ余りの谷間の入り口にあった。山中正が丹精込めて作った山小屋風のアトリエで、目の前にせせらぎが囲むように緩く走り、杉の大木が左手にそびえていた。


「おお!」

 

門前に止まった大型バイクCBX1000に、豹一郎は窓の隙間から警戒の視線を注いでいたが、同時にヘルメットを脱いだ直樹と後藤田に驚きの声を上げた。


「先生。申し訳ありません。知らなかったこととはいえ、何とお詫びを申し上げてよいのか。うー!」

 

玄関戸を開けて迎えに出た豹一郎の足下に、後藤田は身を投げ出し泣き崩れた。幸いなことに英世は居なかった。


「‥‥‥そうか、やはり君だったのか」

 

室内に案内して、縮こまる後藤田に豹一郎は苦笑いを返した。後藤田か山岡のどちらかとの確信はあったが、何れかは決めかねていたのだ。


「先生。御存じだったんですか」


「草野君。英世の血液型がOなんだ。富美子のも同じで、亡くなった明夫君がAB型なんだよ。誰が見たって、英世は明夫君の子じゃないよ。でも富美子も明夫君も私に何も言わないんだ。僕が口を挟める問題じゃないよ。さあ、英世には後でゆっくり会えばいいから。とりあえず、十津川の富美子に会いに行ってやってくれないか。君が英世の父と知ったことが分かれば、一番喜ぶのが富美子なんだから。それに、今後は富美子と英世は君が守ってくれるだろうし」

 

豹一郎が後藤田の肩に手をかけ、笑顔で見上げると、


「それはもう、 絶対!」

 

義理の息子は、強い口調で断言したのだった。極右の国防一派であろうと極左のテロ組織であろうが、況んやアジヤ人犯罪グループであっても、全警察組織を動員して守ってみせるぞ! 


【お前ら、警官を嘗めたらアカンぞ!】

 

もう少しで後藤田は口から出かけたが、辛うじて抑えたのだった。

 

組織、特に強固な組織は敵に回すとやっかいであるが、味方に付ければこれほど頼もしいものはなかった。国防右派のグループにとって、後藤田の妻と息子に手をかけることは即、警察組織を敵に回すことを意味するのだった。


「さあ、英世は山中さんとこへ出かけているから、通りすがりに顔だけ見たらいい。本当の父親のことは、母親の富美子の口から語らせるのが一番ショックが少ないし、それが筋だ。君との今後もスムーズに行くだろう。富美子には私から連絡を入れてもいいんだが、それは野暮というもんだ。直接会って、十七年振りの再会をゆっくり味わうことだ。さあ、草野君。頼んだよ」

 

豹一郎は苦笑いを浮かべて、地に足が着かず心ここにない後藤田を、直樹に委ねたのだった。


「後藤田。あの子が英世君だろう。先生もおっしゃっていたように、お前のことは富美子さんから聞いた方が、英世君のためにもお前のためにもいい。今日は顔だけ見て、これから十津川へ行こう」

 

ナビに導かれ、山中正雄宅前に着くと、英世が正雄の妻民子と庭先で話していた。笑顔の愛くるしい、何ともいえない雰囲気を漂わせていた。


英世は母親似であった。顔も体形も、御世辞でも後藤田に似ているとは言えなかった。


「いいな、行くぞ」

 

自分の背中で嗚咽を漏らす親友に断わりを入れ、直樹はナビの目的地を吉野郡十津川村の小森に設定したのだった。

 

京都を出て国道二十四号線へ入っても、後藤田は泣いていた。海野の話では、カラオケでは決まって後藤田は〈赤いハンカチ〉を熱唱するとのことだった。海野には理由が分からなかったが、直樹は知っていた。


山岡も同じ〈赤いハンカチ〉を歌い、涙を流すという。画面に出てくる女優―――四十年前の彼女と、富美子が顔も仕草もそっくりなのだ。


「さあ、シャキッとせにゃぁな。もうじき、世紀の再会やからな。裕次郎は亡くなってしもたけど、俺はまだ生きてんやからな」

 

五條市へ入ると、さすがにこれではいかんと思ったのか、後藤田は裕次郎の名前を出して照れを隠した。息子と違い、妻には五分と五分のタイで会わねばならないと思う男なのだ。

 

五條から一六八号線を南へ下ると、木材運搬用のトラックと出会う頻度が多くなる。外材に押されがちの木材市場であるが、ここは木の国。その心臓部なのだ。


「さあ、後藤田。十津川村に入ったぞ」

 

険しい山々を縫い、日本一の面積を有する村へ入る。後藤田は平静を取り戻していた。肩を握る両の手の感覚がぎゅっと落ち着いて、直樹に伝わっていた。


「小森地区は、‥‥‥もうすぐだな」

 

十津川村役場を過ぎ、後藤田が直樹の肩越しにナビをのぞき込んで確認する。


「そこだな」

 

山腹に点在する二つの集落を過ぎ、三つ目の集落の外れで直樹はモンスターを止めた。富美子の母・橋鷹マサの従姉の嫁ぎ先で、ここに匿われていたのだ。


二人がバイクから降りようとすると、裏山から柚子を竹籠に抱いて富美子が帰ってきた。柚子の実をくり抜いた特産品〈ゆうべし〉の材料、柚子の収穫季節が訪れていた。


「‥‥‥」

 

記憶をたぐり寄せるように、富美子は大型バイクに乗る二人の中年男性に首を傾げ、ゆっくりと麦わら帽子をとり姉さん被りを外した。ジーンズにピンクのブラウスがよく似合う。


「あっ!」

 

うっすらと汗がにじむ上気した頬に、見る見る涙が伝った。


「あー!」

 

赤いハンカチの画面そのままに後藤田に駆け寄り、泣きながら何度も何度も彼の胸を叩いた。


「うん、うん。うん、うん」

 

直樹は背中で、親友の力強い声を黙って聴いていた。優秀な警官が、ようやくあるべき本来の宝を取り戻したのだった。

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