第19話 追いつめる

後藤田義信殺害犯・谷山柾一の追っ手。これには三つのグループがあって、一つは遺族である後藤田正義と海野征大。他は草野直樹と野々口豹一郎だった。そしてこの三グループは交錯しながら、着実に谷山柾一に近づいていた。嶋田と同じく、東西組の賭場に出入りしていた谷山。負けが込んでは如何様(いかさま)を繰り返し、落とし前のために左手の小指を切断していた。東西組員の情婦にも手をつけ、その結果、金銭以外の後始末を兼ねて左手の中指もなくしていた。

 この身体的特徴に着目したのが豹一郎で、彼の息のかかった病院・医院に連絡を入れ、指の欠損と心臓ペースメーカーの埋込み、これに該当する患者が現れると、亡き妻名義のアドレス〈osk2003hukkatu@yahhou.co.jp〉にメールが届く仕組みになっていた。谷山柾一が掘り出した供出貴金属の埋蔵場所。これが分かれば、他の四カ所の位置が分かることも豹一郎は突き止めていた。軍上層部の命令で貴金属を運んだ陸軍主計大佐・有泉兼顕(ありいずみかねあき)は天文学者志望だった学究肌で、北斗七星の柄杓になぞらえて貴金属を埋めていたのだ。この点は三カ月前のツーリングの際、直樹も呉で関係者の遺族に会って確かめていた。

「ええ、祖父が信太山というところへ物資を埋めるとき、大佐が『北斗七星を知っているだろう。あの柄杓の形に物資を埋めるつもりなんだ』と、曹長だった祖父に打ち明けて、柄の部分の一組を含め、五組に別けて物資を埋めたんだって言ってました。亡くなる前に母に、『あれは一体なんじゃったんだろう』って、うわ言みたいにつぶやいて、最後まで気になっていたようです。大佐が呉へ帰ってすぐ、心の病に罹って自殺されたのでよけい気になっていたのでしょう。『小百合よ。もう、知っているのはワシだけじゃ』って、よく言い聞かされましたから。同じことを以前、上品なご老人と制服を着た自衛隊関係と思われる方も聞きにお見えになられました。でも私、ご老人とお宅にしか祖父の言葉を教えていません。―――どうしてですかって? だって戦争は嫌いじゃけん」

 信太山に貴金属を埋めさせられた人物の孫は三十代の小学校教師で、直樹と豹一郎それにもう一組の訪問者の存在を直樹に語ったのだった。

 野々口豹一郎の谷山捕捉の手段は彼の専門の医療分野を利用するものであったが、直樹のアプローチは銀行等の金融機関を利用するものだった。嶋田と谷山が何らかの糸で結ばれているなら、嶋田の羽振りがよくなった昭和五十八年から六十年頃、突然資産家に躍り出た者を洗い出せばよい。絞り込んで該当者がなければ、二年区切りで調査年代を広げていけばよいのだ。ただ谷山の性格を考えると、ほとぼりが覚めるまで財宝を寝かせる可能性は低かった。取り敢えず以上の線で谷山を追うのが直樹で、既に述べたように四百三十六人の該当者を絞り込んでいた。

 最後になってしまったが、後藤田と海野の谷山捕捉手段は警察関係を利用するもので、ありとあらゆる方面に網を張っていた。暴力団関係はいうに及ばず、交通取締り検挙者の指紋、谷山の親族や友人等の関係者への聞き込みが主であった。が、この聞き込みは殺人罪の時効が完成してからは困難を極めるようになった。時効が廃止された2014年4月27日以降の事件であったなら、勿論このような困難に直面することは無かったのだが。

「兄さん。谷山は誰かの戸籍を買い取ったかそれとも奪って、その人物になり切っているんじゃないでしょうか」

 海野に言われるまでもなく、後藤田もその結論に達していた。二十年近くも追っているのに、谷山柾一の戸籍も住民票も彼の逃亡以来、大阪府和泉市の王子町に固定され一度も動いていなかった。こうなると、指紋による本人照合が一番確かなものとなるが、交通取締りで上がってきた指紋に谷山のそれと一致するものはなかった。時効が完成してからは、たとえ世に出てきても刑事責任追及はなくなる。後藤田と海野はこれを期待したが、谷山は出てこなかった。すでに新たな家族関係が形成されたか、社会的地位を得てしまっていて出てこられないのであろう。それにもし、海外へ逃亡していたのなら、その間時効は停止するので、殺人罪の時効は完成していない。

 ―――本当に時効は完成しているのだろうか。

 後藤田と海野には悩ましい苦悩の日々で、今年もじりじりと焦りのみが膨れ上がる、暑い夏の日を過ごしようやく秋を迎えたのだった。

「草野が資産関係から谷山を絞り込もうとしているので、我々もこの要素を加えて網を狭める必要がありそうだな」

 後藤田が海野に指示を与えた秋分の日の二十三日、谷山捕捉の第一報を得たのは野々口豹一郎だった。

「そうか! 左小指と中指の第二関節から先が欠損していて、ペースメーカーを埋め込んでいる患者なんだな。―――ほう、名前は山松種夫か。右肩には牡丹の刺青。確かなんだな。分かった、後日連絡するから。ありがとう」

 東京四谷にある医療法人山納会の四ツ谷総合病院。ここの外科で心臓治療を受け持つかつての教え子で親族の、村木賢造が野々口のプリペイ式の使い捨て携帯を鳴らせたのだった。

「英世。やっと谷山の居場所が分かったぞ。谷山から貴金属の埋蔵地点を聞き出し、残りの四地点をインターネット上に流せば、この問題から解放されるはずだ。お母さんとも一緒に暮らせるぞ。本当に良かったな」

 豹一郎は震える手で愛孫の肩を抱いた。二人はこの春から村木の別荘がある京都府の美山町に隠れ住んでいた。田池をリーダーとする極左組織は特に執拗で、遼と別れた中二のときから、英世は八回も転校を余儀なくされたのだった。この三月、最後の中学を卒業し、美山町を隠れ家として選んだのは、田池らの探索困難性は当然として、町内にインターネット通信制の高校があったからだ。英世は通学制の普通科には通えない。田池やアジヤ人犯罪組織に狙われるからだが、かといって高卒資格を取らねば医学部受験は不可能となる。祖父豹一郎の跡を継ぎ、外科医を目指す英世には高卒資格取得は絶対命題といってよかった。

 町民との接触を可能な限り避け、ひっそりと長老ヶ岳の山あいで祖父と暮らす六カ月だった。自然の宝庫といってよい美山町は、二人にどれほどの安らぎを与えてくれたことであろう。観光客を装い、祖父と二人でかやぶきの里を訪れ、清流美山川でとれた鮎と鰻も味わった。

「英世。済まなかったな、こんなお祖父ちゃんで」

 祖父の口癖だった。最近特に涙もろくなって、十津川村に隠れ住む母の名が頻繁に口を吐く。大正生まれの、九十を過ぎる老齢になっては致し方なかった。

「お祖父ちゃん。僕はお祖父ちゃんと一緒だったら、何の不満もないよ。地獄だって、どこだって行ってやるから。そんなに気にしないでよ。それより、手術の話をしてよ。世界一の名外科医になるのが僕の望みなんだから。古武術だけじゃなく、ちゃんと外科医になる手解きもしてくれないと。さあ」

 夕食後の、就寝までの時間が医学の講義で、英世にとって名外科医野々口豹一郎を独り占めする最高のひとときなのだ。美山町に住んだ六カ月だけで、英世は医学部の学部生を超える知識と外科技術を身に付けてしまっていた。

「心臓は、移植後の拒絶反応が難しいんだ。まず反応が出ているか否かの見極め。細心の注意を払わねばならないので、ここではスタッフの連携が特に重要なんだ。それから、拒絶反応だと判断されたときの処置としてはね―――」

 千里へ付属病院が移る前の中之島での手術を含め、百を超える移植手術の執刀。豹一郎には成功より、失敗から得た教訓が遙かに重要だった。口授を一言一句も聞き漏らさず、真剣なまなざしでノートにボールペンを走らす英世を見ながら、豹一郎の目は涙でかすんでしまう。この聡明な孫を、自分が出た北野高校かそれとも天王寺高校、もちろん三国丘でもよいのだが、せめてそれらの一つへ行かせてやりたかった。間違った情報が流され、家族に危害が及ぶ事態が訪れていなければ、確実に右のいずれかへ入学できたであろうに。そう考えると、豹一郎は英世が不憫でならなかった。と同時に、ネット社会に潜む危険。いつ何どき、自分たちと同じ被害者が出現しかねない危うさ。この社会は、大きな危険と隣り合わせの、仮想三次元空間へ移行しつつあるのだ。

「野々口教授。お疲れでしたら、コーヒーを入れましょうか」

 口授が湿り始めると、英世が笑顔で休憩を促す。祖父が好きだ。この世の誰より、この祖父が好きだった。病気がちの父に代わって、幼い頃から祖父がいつも自分の世話をしてくれた。まるでエベレストのような存在だった祖父が、人生の終焉を迎えようとしている。美山町で起居を共にしながら、英世は医学博士野々口豹一郎の全てを吸収しようと決意したのだった。

 美山町へ移って一週間もしない内に、英世は町内のインターネット通信制高校への入学を断念してしまった。本当は入りたかったが、極左組織や犯罪集団の影が忍び寄れば引越しを余儀なくされる生活だった。また、安全確保のためにも、闇の組織にとって捕捉が困難な高等学校卒業程度認定試験(高卒認定)受験がベストの選択であった。

「英世。やっぱり大事をとって隠れ家を移そう。美山町に六カ月も住んだんだから、そろそろ田池たちがここを突き止めるだろう。ここで彼らに見つかると元も子もなくなってしまう。同じ京都府内に、お祖父ちゃんの親友の家があるんだ。同じ大学を出て、彼も医師を志していたんだが、戦争で右腕に重傷負って、医師になる道を閉ざされてしまったんだ。親友は二年前に亡くなったが、息子さんが跡を継いで柚子栽培に従事しているんだ。事情を話せば、必ず匿ってくれるよ。なんてったって、おまえのお祖母ちゃんと友人の奥さんも無二の親友で、二人とも既に亡くなっているが、若い頃はOSKという劇団のトップスターを競い合う仲だったんだから。さあ急ごう」

 東洋古武術の〈気〉の極意で危機を感知したのであろう、豹一郎の行動は素早かった。村木賢造から電話があったその日の夕刻、村木の別荘を引き払い、嵐山の旅館に一泊してから、二人は次の隠れ家へ移動したのだった。

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