第5話 選択の誤り

可奈子の死が遼に与えた衝撃の中で、最も始末に終えなかったのは、日を追うに連れじわじわと気力を萎えさせるボディーブロー効果だった。クラブ活動が終わるまでは勝ち残りをかけて、サッカーへの集中の持続が望めたが、シーズン終了は達成感の欠片もない抜け殻を生み出してしまった。


受験に向けて、最後の追い込みにさしかかっていたが、一滴の学習意欲も湧かず、ただぼんやりと時の流れに身を委ねる日々であった。当然、成績が落ちてくる。やっかいなのは、自棄に陥るにはブレーキをかける自制心が健在で、将来に対する欲もそれなりのものがあって焦りが生まれ、じっとしていてもいつの間にか精神は葛藤状況に追い込まれてしまうことだった。身動きの出来ないまま、暗い底なし沼へズルズルと引きずり込まれる、救いようのない―――あの、底へ、底へと落ちて行く感覚。悶々とする日々であった。


丁度そんなときだった。大阪の有名私学・清嵐(せいらん)高校が、サッカー選手として遼に白羽の矢を立ててきた。駿足のMF、キャプテンとしての統率力も買ってのもので、副キャプの笠田とセットで府下ベストワンを目指す。耳に心地よい殺し文句を引っ提げて、万年二位の監督・次位大二郎が山手中及び草野・笠田両家を訪れたのだった。

 

名門サッカー校は学業もトップクラス。これまでのサッカー推薦打診校とは雲泥の差があるもので、渡りに船とはいわないまでも、乗る価値は十分あると思った。母は反対しても父は許してくれる、遼は高をくくっていたが、認識の甘さにすぐ気づかされてしまった。


「お母さんと同じく、私も反対だ」

 

父の直樹は首を縦に振ってはくれなかった。今後は学業に励めとのアドバイスだった。


「お前は学者になった方が良いし、それが向いている。サッカーというスポーツは魅力があり過ぎて、つい辞めどきの判断を誤ってしまう。このままサッカーを続ければ、お前の学者としての可能性は確実に潰れる。だから可能性を残すためにも、学業とサッカーの両立可能な春丘高校がベストの選択だ」

 

恐ろしいほどの確信で、公立の春丘高校を勧めた。


「ああ!」

 

夫の断定に、母は感極まり涙を流す始末だった。これまで果たそうとして幾度試みても失敗に終わったのに、夫の判断で息子をサッカーから遠ざけるチャンスがようやく訪れたのだ。照子は諸手を挙げての賛成だったが、


「僕は清嵐高校にする。サッカーで身を立てたいし、ワールドカップやオリンピックにも出たいんだ。学者になるなんて、考えたこともないよ」

 

遼は意地を張って、大見得を切ってしまった。将来の可能性と不安。特に知的世界への願望は渇望に似たものがあり、サッカーに全てを捧げる決意のブレーキが、知的世界への憧れであった。二者択一。トップレベルの過酷を知る身には、両立の困難は既に小学六年で認識していた。


〈メッシのようなフォワードを目指せ!〉。

 

不安を払拭するため、事ある毎に呪文の如く反芻してきたが、高校受験を前に、不安が最大値に達しつつあった。サッカーの選択=さらば学業、学者としての人生、であったのだ。当然、父は息子の不安を看破していたが、遼は完璧に心理を読んでしまわれ、意地でも父のアドバイスに従うわけに行かなかった。


「よし分かった。そこまで言い切るのなら、お前の思い通りにすればいい。ただし、一つだけ条件がある」

 

簡単に引き下がる相手でないのは百も承知だった。カント哲学に傾倒し、一徹に筋を通す男なのだ。合理経験主義とでもいうべき思想の持ち主。早川久男の父に対する分析で、経験から得たものを謙虚に受容し、これまでの自己の形成法則に当てはめ、不都合が生ずれば修正を加え、新たな合理法則を定立する、との考えであった。当然、経験を踏む分、息子よりも合理的選択可能性を持つことを肯定するが、頭ごなしに遼の考えを否定せず、修正的方向転換に導かれることが多い。


また反骨精神も旺盛で、弱者に対する思いやりが強く、曲ったことを嫌った。三年前まで大手都銀の高槻支店長だったが、本店からのリストラ命令を拒否し、部下を残すため、真っ先に自分が辞めて、金剛山の登山口・富田林で学習塾と空手道場を始める男だった。

 

笠田からの電話で偶然、息子が原田に卑怯な殴打を受けたことを知ったときも、直樹は学校へ出かけ、校長室で原田の頬を力まかせに引っぱたいた。


「なにすんねんや!」

 

壁ぎわまで吹っ飛んだ原田が、精一杯の虚勢を張って睨み上げたが、


「殴るんなら、正々堂々とやれ。卑怯な真似はするな!」

 

音もなく近寄った直樹に恫喝され、原田は哀れなほど卑屈な謝罪と弁解を繰り返したのだった。

 

中学生離れした体力が自慢の遼だが、格闘家として著名な父には及びもつかず、争う気力すら湧かなかった。女性問題で一つ負い目を感じているが、それ以外ではスキのない、間違ったことはしない男だった。銀行勤めをしながらも、大学へ研究論文を提出し、空手と古武術の組み手を一日たりと欠かさない。そんな父の生きざまは、息子に強い影響を与え、幼少時から学究世界とサッカー以外のスポーツへの憧憬を生み出し、サッカーを始める小二まで、遼は武術の基礎をたたき込まれていたのだった。父から条件を出されたとき、遼は言下に撥ね付けることは出来ず、


「条件というのは?」

 

ソファーから身を乗り出し、正面の父の顔をのぞき込んだ。


「大したことではない。推薦入試でなく、一般入試で清嵐高校を併願受験し、特別枠の理数科合格。これがお父さんの条件だ」


「えっ! そんな‥‥‥」

 

清嵐の理数科は最難関の公立・茨木高校レベルで、今の遼の成績では確実に落ちてしまう。


「大丈夫よ、遼。お母さんが協力するから」

 

元高校教師の母が、父の隣から微笑みかけた。母の他意のない申し出だったが、息子は額面通り受け取れず、学業への引き込みに有利だからだと、勘ぐってしまった。


「一応、努力してみるよ。取り敢えず、清嵐進学を認めてくれてありがとう。必ず一年でレギュラーを取って、卒業するまでに全日本のメンバーに選ばれるよう努力するから」

 

皮肉ではなく、遼は素直に礼を言った。明日といわず、今この時点から、どん底からの解放の兆しが見えたのだ。一瞬、可奈子に後ろめたさが湧いたが、解放の喜びが優っていた。

 

八方塞がりのどん詰まりからの脱却が果たせたのは、翌年の一月半ばだった。推薦枠入試の笠田と違い、遼は一般入試で、受験勉強の継続が必要だったが苦にはならなかった。勉学に打ち込むのは可奈子を忘却の淵へ沈める罪悪感がともなったが、逃れたい思いもあり、それが目先の受験に引き寄せられ、空白の反動のごとき受験への集中であった。


両親、特に母とはこれまでになかった連帯と、良好な母子関係が形成された。専門の化学を含む理科はいうに及ばず、英語と数学のサポートも十全といえるもので、遼は模試の席次が返ってくる度、上昇しているのに驚かされるのだった。


「さあ、遼。四度目の模試の成績は、清嵐の理数科の合格ラインにあったから、大丈夫よ」

 

ここまで上がるとは予想も出来ず驚嘆の域であったが、直前・短期の集中が如何に有効か、遼は身をもって実感したのだった。二月二十三日に届いた合格通知には、母の言葉通り清嵐の理数科合格が記されていた。これで父との約束は完璧に果たせ、公立受験は不要となるはずであったが、一カ月に満たない僅かの期間に極端な事情の変化が訪れていた。推薦入試が決まり、新人練習に参加していた笠田が退部してしまったのだ。


「草野もきっとやめてしまうわ。一年だけで四十六人も部員がいてんや。まともな練習やなできへんし、自主性なんか認められへんねん。おまけに監督が無能やし、上級生のシゴキは無茶苦茶や。‥‥‥俺、清嵐やめて別のとこへ行こう思ってんねん。もっとよう調べて、学校決めるんやったわ。お前と一緒にプレーして、プロに進むのが夢やったのに。うー!」 

 

八年間苦楽を共にした親友が自宅を訪れ、涙の告白であった。


「‥‥‥そうか」

 

我慢強い男の右目と口の青あざが痛々しかった。推薦入試なので公立を受けるわけにいかず、笠田の今後は自ずと決まってくる。遼と違い、プロを目指す決意に迷いがないので、高校へ入学し卒業することは笠田にとってさほど大きな意味はない。いずれにしても親友の退部は、公立受験の大きな誘因になったことは事実であった。


「ね、遼。清嵐の理数科に合格したのだから、茨木高校を受けてみない?」

 

笠田には気の毒だが、照子にはありがたい事情の変化であった。


「‥‥‥茨木高校か。でも受けるなら、やっぱり春丘高校にするよ」

 

受験界の常識なら茨木高校だろうが、内申点に不安があったのと、可奈子との約束を実行に移す思いに駆られ、春丘高校に決めた。クラス二位の席次で、春丘はほぼ確実との母の予測であったが、入試判定資料となる内申点は以前の十段階評価での四に匹敵する程度の点、五段階評定では二の点数しかつけられていなかった。


「どうして、遼の内申点がこんなに低いの?! 悪くったって、以前の八に匹敵する点はつくはずなのに! これじゃ、落ちてしまうのは確実じゃない。春丘は進学校だから、入試点の配分比率が高められるといっても、この内申点じゃ無理だわ。本当に、こんな無茶苦茶なことってないわ。一体どんな基準でつけているのか、重山先生に聞いてくる」

 

照子が息巻いて担任を問いつめたが、


「‥‥‥いや、提出物が出されていない教科があって。それに、体育の評価が低いんですわ」

 

一度出し忘れただけの音楽のレポートと体育の低評価をくどくどと言い募られ、照子は到底納得いくものではなかったが、重山も伊達に年は取っておらず、頑(がん)として結論を曲げず善処することはなかった。

 

怒り心頭に発した母とは、不思議なことに父は好対照だった。大学進学には清嵐入学が有利と読んだのか、批判めいた言葉の一つもあっていいと思うのに、拍子抜けするほど淡泊だった。


「くそっ! 天ボケ重め!」

 

ベッドに寝そべって天井を見上げたまま、遼は吐き捨ててしまった。授業と同じく天然ボケを通せば良かったものを、あろうことか内申点を五段階評定の二をつける、呆れんばかりの下げようだったのだ。私学へ行くと決めてかかり、遼の内申点を誰かに回したのであろう。天然ボケの考えそうなことだが、少々やりすぎではないか。執念深い質(たち)ではないが、遼はどうにも我慢がならず、明日―――すでに午前零時が経過して今日になってしまったが、清嵐高校の始業式当日を迎えたというのに、春休み中と変わらぬ憂うつの延長であった。


「遼。‥‥‥遼クン。もう一時前よ。早く寝ないと遅刻するわよ」

 

階下からの、気遣い気味な母の声に、


「分かってるよ。今から寝るところなんだから」

 

遼は不機嫌を隠さなかった。


「‥‥‥」

 

息子の部屋のライトが消えると、照子は中庭を囲む暗い廊下からダイニングへ戻り、再び夫の向かいに腰を下ろした。


「ねぇ。遼は清嵐高校へ行きたくないのかしら」

 

夕刊を読み終えた直樹に、待ちわびたかのように照子が口を開いた。

 

―――また、あの話か‥‥‥。

 

直樹はうんざりで、口をへの字に曲げ不快があらわだった。不当な内申操作が許せない気持ちは分かるが、いつまでも事あるごとにこじつけられたのでは、聞かされる方はたまったものではない。原田を叩いたのも一因ではないかとの負い目があるだけに、直樹は出来ればこの話題から逃げたい。


それに、息子に与える悪影響も看過しえないものだった。若い魂は自己が受けた不条理には敏感で容易に忘れ難いのに、母親が火消しならぬ火付け役を演じておっては、遼は葛藤状況からますます逃れられなくなってしまう。直樹は新聞をたたむと、おもむろに正面の妻を見つめた。


「内申点の不当操作を許せない気持ちは分かるが、何時までもそのことに心を捕われていても仕方がないじゃないか。くよくよ考えて意味のあることならいいが、過去に捕われて現在・未来に弊害が及ぶならやめることだ。過去は現在・未来を生かす礎(いしずえ)にすべきもので、それらを閉塞するなら存在意味がない。息子に与える悪影響を考えてみろよ!」

 

最後は珍しく怒気を含ませた。


「そんな‥‥‥」

 

つもりじゃない、と言いたかったが、照子は言葉をのみ込んだ。そんなつもりがあるのは百も承知なのだ。同じ教職にあったものとして、担任の内申点操作はどうにも我慢ならなかった。息子の内申点が誰のところに行ったかも分かっている。その子の親が担任に盆、暮れの付け届けを絶やさなかったのも知っていた。

 

親しい母親に、


「注意しないと、お宅のお子さんの内申点取られるわよ。あそこのお子さん、ずいぶん重山先生に気に入られていて、実力以上の高校を受けさせてもらえそうよ」

 

と、警告を受けていたからである。

 

―――でも、まさか‥‥‥。

 

照子は笑い飛ばしたかったのに、自分の息子に二ランク以上も低い内申点が付けられ、三ランク上の高校に合格した生徒が先ほどの親の子であってみれば、警告を信じないわけには行かなかった。忘却の効用―――十年近く高校で教鞭を取っていた身には、痛いほど分かっているし、生徒の心理や対処法も確立できたつもりであったのに、いざ、自分が不条理な地位に立たされると、夫のような割り切りは困難だった。

 

―――でも、これからは忘れることにしよう。

 

忘れられなくても、口に出すのはやめよう。直樹の対応で、照子もようやく踏ん切りをつけることが出来たのだった。遼の始業式当日の決断というのも苦々しい思いであるが、それも未練なのだ。

 

―――でも、あんなに怖い顔をすることはないでしょうに。

 

照子は目の前の夫にふくれっ面を向けたが、もとより効果はなかった。直樹はテーブルの地図にコンパスと定規を走らせ、ツーリングポイントの確定に余念がないのだ。丹後半島へのツーリングは三回の雨天順延を余儀なくされていて、来週の日曜日がラストチャンスであった。

 

直樹は二十人余りの仲間と、〈ハリマオ〉と名付けたライダーの会を結成していた。児童期のテレビドラマ〈怪傑ハリマオ〉にちなんだ命名で、会員は三十歳以上の男女がメイン。六十代と思しき女性も二人いて、遼は幼少時、子供心に驚いたことがあった。


半数が独身。既婚者は直樹を除き、すべてペアメンバーで、顔ぶれもバイク店オーナー、教師、医師、弁護士など多彩だった。バイク好きが高じ、マニアックなコレクターも何人かいて、マニアには垂涎(すいぜん)もののクラシックバイクにもお目にかかれる。BMWのS1000XRはいうに及ばず超希少ハーレーの51FLパンヘッドまであって、しかもライダーは二台とも女性で、一人は医師もう一人は弁護士だった。


父のバイクからして、三十三年前に製造されたホンダCBX。別名〈モンスター〉と呼ばれ、今もその名をほしいままにする〈怪物〉の性能、テン半(一O四七cc)であった。

 

ツーリングも味のある、渋い穏やかなものを楽しんでいるが、熟練の域に達したメンバーのテク(テクニック)はすこぶるハイで、思いがけない難所に出くわしても、全員、難なく乗り切ってしまった。今も鮮やかに脳裏に焼きついて離れないのは、突然の崖崩れに襲われ、あわや大惨事という事態が巻き起こったときのことだった。


落石中の岩場を、父の背にしがみついて疾駆しながら遼が振り向くと、後続メンバーたちはリーダーのトレースを正確無比に走り切って、全員、カスリ傷一つ負わなかったのだ。リーダーへの信頼と連帯。危機状況に至り初めて鋭い爪を現わす、奥ゆかしいが恐るべきハイ・テク集団に、八歳の遼は文字通り震える感動だった。


〈実力至上主義〉

 

サッカーに対する遼の哲学が、この時、形成されたといっても過言でなかった。

 

幼少の頃からバイクに慣れ親しんできた遼には、バイクの魅力にとりつかれたライダーたちの心は言わずもがなの理解であった。駆動中、マシーンは体の一部という感覚。自然との臨場感・一体感も車ではとうてい味わえない魅力なのだ。父のかつての四駆車が長期に渡り、祖父宅のガレージでほこりをかぶっていたのも無理からぬことであった。


「‥‥‥お・や・す・み・な・さ・い」

 

照子の皮肉たっぷりの挨拶も直樹の耳には届かなかったのか、彼は道路マップに目を落としたまま顔も上げず、丹念にツーリングポイントをチェックしていた。

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