第23話 そして灰は息を吹き返す

 左腕以外を失った男は天に向かって、その腕を伸ばした。太陽は空の頂点を離れ、ゆっくりと落ち始めていたが、その熱はいまだ世界を温め、眩しく男を照らした。


「ま、負け。勝てるはずなのに。負けた。ははは。負けた。あぁ主よ、私の、私の信仰が足りなかった。あぁ、あぁ。」


やがて宙を漂っていた左腕は糸が切れたように地面に転がり、同時にレインも意識を落とした。


カイナはそれを見て、ため息をついた。


「尋問はハートに戻ってからだな。」


ユウヒは一瞬の出来事にただ驚愕していた。ユウヒには自信があった。あの化け物を倒すことができるという。しかし、カイナが一瞬で全てを終わらせた状況を見て、その自信が自惚れであり、同時に、カイナと自分の実力差がひどく開いていることに打ちのめされた。


(俺の今までの修行の時間は、あの人の足元に及ぶだろうか。)


ほんの少しの間とはいえユウヒの力は、カイナに期待され、レインを倒せるほどの力であろうと認識されていたはずだ。


実際、ユウヒはレインを上回り始めていたし、戦闘を続行出来ていれば、レインを倒すことも出来ただろう。


だが、それはギリギリ達成できるだろう、ユウヒにとっての偉業である。


故に、カイナが期待するような、事態を早く収束させるほどの力はユウヒにはまだ無かったということだろう。


ユウヒは息を深く吸うと、灰状態を解除した。体を焼く炎は息を潜め、ジワリとした痛みだけが爪痕として体に残る。


ぐったりとした体をなんとか持ち上げ、壁際から立ち上がる。ゆっくりとカイナの方へと歩き始める。痛みと疲労感のせいか、視界がぼやけて、真っ直ぐに歩けない。


カイナが、そんなユウヒに気付き、声をかける。


「座ってて良かったんだぞ?君は、誰がどう見ても重傷を負っているのだから。」


そんなカイナの言葉に、首を横に振りながら近づくユウヒ。


「いや、大丈夫です。そんなに痛くないんで。」


カイナの横に立ち、レインを見下ろす。そして、とある疑問を投げかけてみる。


「副団長様は、本当に俺がこいつを倒せると思っていましたか?」


ユウヒのその言葉にカイナがピクリと反応する。


「副団長が俺の力に期待してくれていたのだとしたら嬉しいんですが、どうも…そうじゃない気がしたんですよね。」


ユウヒはカイナに顔を向けながら話す。


「あなたほどの実力の持ち主なら、俺とこの男の最初の衝突で、俺の実力は大体把握できていたと思うんです。最初、時間稼ぎを提案したのに、その提案を直後に変更したのは、俺が、時間稼ぎ目的で戦ったら死ぬと分かったからじゃないですか?俺が、こいつを倒すつもりで…、全力で戦わなければ時間稼ぎにすらならない、そう思ったんじゃないですか?」


そんなこと確認してどうなるというのか。ユウヒ自身そう思っていたことだろう。


ただ、一度疑問に思ってしまったことはハッキリさせないと気が済まない。ユウヒ自身が朧げな記憶を保持しているからこそ、そうした気持ちになるのだろう。


カイナは真剣なユウヒの表情を見て、暫く黙り、やがて軽くため息を吐いた。


「悪くない推理だ。だがまだ甘いな。」


カイナはニヤっと笑いかけると、レインを見下ろす。


「君は、私が君の力を低く評価していると考えたんだろうが、それは違う。私の力でレインを倒すには時間が必要だった。これは本当のことで、君に実力があろうが無かろうが、共闘する時点で、時間稼ぎを任せることは決定していた。だが、君とレインの最初の衝突を見て、君の力が中々に強いものであることが分かった。…そこで私は、私の力を保険にしたんだ。」


「保険?…」


カイナが頷く。


「そう。君の力は、このレインに勝るとも劣らないものだ。もしあのまま時間稼ぎを頼んでいたら、君の脳裏には私のことがチラついてしまったのではないだろうか?そうして、君の意識の中に私が存在すれば、レインも私を警戒しただろう。そうなれば、私の力を溜める時間稼ぎは容易ではなかったはずだ。君が全力で戦い、それぞれの意識から私が薄れることで、時間稼ぎは成立する。一度集中してしまえば、この男は君に執着し続けただろうからね。」


カイナはあの状況で、そんなことを考えて行動していた。ユウヒは彼の言葉に、ポカンと口を開けていた。


「君がコイツを倒せたのなら、それはそれで良かったんだ。だが、勝利への道は多い方が良い。君のおかげで、たった一つの道だけを選ばなくて済んだんだ。これは私と君が勝ち取った勝利だよ。」


そんな言葉が、ユウヒには嬉しかった。まったく期待していなかったわけじゃない。それを知れたことが嬉しかった。ユウヒは無力じゃない。それを知ったことが、自信になった。


「とはいえ、ユウヒ、君がコイツに勝てたとしても、それはギリギリの勝利だったと思う。実際、今回は君が戦闘不能になってしまったのだからね。まだまだ未熟なことに変わりはないさ。」


ユウヒは、一瞬でも浮かれた自分を殴りたくなった。たしかに、レインとの実力差があまり無かったとしても、先に倒れてしまえばそこでお終いだ。


「まあ、これから君はもっと強くなる。…君はこれからも強さを求めるのだろう?」


「はい。強くなって、『月』を潰します。」


カイナは一瞬目を見開く。その時のユウヒの目が、彼の体を灼いた炎よりも熱く燃えているように見えたからだろうか。


「そうか…。ならば、ハートに来い。一般人が今回のように力を使うことは本来禁止されている。正式に認められて、正しく力を振るえ。君は、力を振るうにふさわしい人物だ。私はそう思う。」


カイナはそう言って、左手を伸ばしてきた。握手を求めているようだ。


ユウヒはその手とカイナの顔を交互に見て、手を握った。


「さて、コイツを外に運ぼう。そろそろ外の方も片付いているはずだ。」


そう言って、レインを担ぐ体勢に入るカイナ。ユウヒはその時に、レインの左手を見ていた。


またしても、月のマークがそこにはあった。酷く頭の奥が揺さぶられる。


「うっ…。」


とっさに頭を押さえる。カイナがその声に反応してユウヒを見る。


「どうしたユウヒ?やはりどこか痛むか。」


「いや…、大丈夫です。あの、コイツの手のひらの…」


「あぁ、『証』のことか。」


「証?」


「ああ。衛星…、『月』の幹部連中の証さ。コイツらは左手の平に月を描くことで、自分の地位を表しているのさ。」



「…つまり、手のひらに証のある人間は、『月』の幹部連中だってことですか?」



「あぁ、そうなるな。…どうした?顔色が悪いぞ?」


何かが、何かがユウヒの頭の奥を叩いている。


ずっと閉じていた扉を、誰かが必死に叩いているような、そんな感覚。


頭がひどく痛む。スノウの『証』を見た時よりも強く、苦しい。


ユウヒの心臓の鼓動が速くなり、その音は、持ち主の耳に届く。


目の前が真っ暗になり、ユウヒはその場に倒れた。心臓の音に紛れて、カイナが叫ぶ声が聞こえた気がした。






真っ暗な世界に、一つの光景が浮かぶ。



黒いローブを纏った人間が複数。女性を家の外へと引っ張っていく。



誰だろう?なんだこの家?なんか視点がいつもより小さい。


そんなことを考えていると、自分の見ている光景が揺れ始める。転びそうになりながら、その女性へと手を伸ばす。


ああ、この光景を知っている。これは自分の記憶だ。



女性も手を伸ばす。強く引っ張られながらも、強く、強く伸ばす。


助けを求める手じゃない。これは、あぁ、母さんか。俺を心配して伸ばしてくれている優しい手だ。


その手を掴めなかったことを覚えている。だから、そのを覚えている。



いつも隠していた彼女の左手。白い手を、これまた白い手袋で隠していた。そんな左手を覚えている。


どうして、これほどまでに強く記憶しているのだろうか。


どうして、今まで忘れてしまっていたのだろうか。



どうして今、レインの『証』を見て思い出してしまったのだろうか。


どうして、愛する母の左手がこんなにも憎いのだろうか。


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