第21話 燃える灰 5
落ち着け!落ち着け!
徐々に近づいてくる化け物から必死に後ずさるユウヒ。後ずさるたびに痛む腹部、右腕。落ち着こうと整えた呼吸が、痛みを感じるたびに乱れる。
(体勢をを立て直せ!弱気になるな!)
痛みを堪えて、体に力を入れる。
(痛みを感じるより先に立つ!)
息を深く吸い、一息で立ち上がる。激痛がユウヒを襲うのは一瞬であった。しかし、その一瞬がユウヒの口から苦痛の声を引き出す。
「ぐっ、くぅ!」
叫びたがる気持ちを殺して、近づく化け物を睨む。化け物は面白そうにユウヒを見ながら、右腕に力を込めている。
「右手はもう使えないみたいですね?私は全力であなたを殴りますが、今度はそちらの左手で対処してみますかぁ?」
余裕のレインに、「あぁ、やってやるよ!」と言ってやりたいところだが、仮に次の衝突で左手も使えなくしてしまえば、ユウヒもう戦えない。
(ここまで強いとは思わなかった。たった一回の衝突で右腕が使えなくなるなんて…。普通にやりあって俺が勝つのは難しい…なら!)
ユウヒは恐怖を感じながらも、冷静に勝つ方法を考えていた。そして、その手段の中で、自分が主役じゃないことを理解していた。ユウヒは、カイナの当初の作戦を試すことにした。
カイナは、力を溜める時間を欲しがっていた。そして、その時間稼ぎをユウヒに任せるつもりだった。幸いにも、レインの意識は完全にユウヒへ向けられ、吹き飛ばされたカイナのことは警戒していないかのように見えた。
レインにとって、カイナはどう映っているのか?騎士団副団長である彼を侮る筈はないが、月喰状態で彼を上回ることが出来たという事実がレインに自信を与え、何をしてこようと対応できる気でいるのだろうか?カイナが自分を上回ることなどありえないと油断しているのか、どちらにせよ、ユウヒのやるべきことは、彼の中では決まっていた。
「馬鹿にするなよ?右腕が使えないくらいで戦闘不能になるほど、ヤワじゃないんだよ!」
そう言い放ち、地面を蹴る。腹部の痛みは、身体を灼く痛みに混じって気にならなくなった。レインに飛び込んだユウヒへ、レインの右腕が振り下ろされる。
紙一重で避けたユウヒは、その腕を真横から殴る。ユウヒの左拳に殴られた腕は焼かれ、その部分から力が噴き出す。
(またか!?)
レインの腕に触れた時間はほんの一瞬、薙ぎ払われる前に大きく距離を取るユウヒ。
「ぬぅ、小賢しいですねぇ!そうやってちょこまかと攻撃して、私を倒せるとでも!?」
声色に苛立ちを感じさせるレインは、距離を取ったばかりのユウヒへ突進する。いつの間にか、レインの両足は獣のようになっており、足の先は人間のモノよりも細く、地面を蹴る面積も小さい。だが、その足は不気味さを加速させ、最初ユウヒに襲いかかった時よりも速く移動できている為、劣化している訳ではないのだ。
ユウヒは息つく間もなく回避を迫られ、突進するレインの身体を滑るように、そして、レインの突っ込んできた方向へ飛ぶ。すれ違い際に、レインの右腕をガガッと引っ掻く。さっきよりも力が吹き出し、宙に散っていった。
(これ、まさか?)
ユウヒは、またもレインの右腕から噴き出す力がなんなのか、察しがついたようだ。
回避を成功させ、着地したユウヒはすぐにレインへ向く。レインは、右腕を傷付けられたことに腹を立てているようだ。
「またしても…、貴方はまさか…?いや、だとしても、その前に私が勝てば良いのです!えぇ!」
ユウヒが何かに気付いたことに気付いたようだ。しかし、腹立っていたレインは、そのまま取り乱すかと思いきや、むしろ余裕を取り戻そうとしていた。
(あいつは、腕を傷付けられることを嫌がっているように見える。腹を立てているのも、俺が腕を傷付けるからだ。)
ユウヒはレインの右腕へ意識を集中させる。
「なんですか?その勝利を見据える目は?貴方が何に気付いたか知りませんが、勝てませんよ?」
そう言って、レインは黒い槍を出現させる。ユウヒは深く息を吸う。そして息を止めると、周りの音が一切聞こえなくなる時間が一瞬だけやってくる。その一瞬に、自分の集中力を極限まで高める。
今一度、全身から火の粉が舞う。
(徹底的に、その右腕、攻撃させてもらうぜ!)
走り出すユウヒに、黒い槍が飛ばされる。その全てをユウヒは今までより早く対応。故に避ける速さは尋常ではなく、気付けば、飛ばされる槍を、飛ばされた瞬間に避けている。
近づくユウヒに、右拳を握り迎え撃とうとするレイン。右腕へ力を込めたときには、ユウヒが眼前に迫っていた。
(速い!)
ユウヒが下から浮き上がる。勢いに乗った左拳は炎を纏い、レインの右腕に真っ直ぐ飛んでいく。
ユウヒは、1発殴った後にその場を離れる。その動きを反復して、レインの右腕に攻撃を仕掛けていくつもりだ。だが、それはレインが反応する前に攻撃出来れば成立するものだ。
レインは下から向かってくるユウヒに、右腕を振り下ろす。距離が離れていればともかく、ユウヒはレインにほぼ密着した状態だ。その右腕を避けるには余裕が無さすぎるのだ。
もしこのままぶつかれば、ユウヒの左拳は先程の右拳同様に使い物にならなくなるだろう。
それは避けなければならない。カイナの状態は分からないが、ここで両腕を使えない状態にしてしまっては戦うことは出来なくなる。それは、戦えないことを意味するだけでなく、防衛手段を無くすことも意味している。
振り下ろされる腕がユウヒの目の前に迫る。瞬時にユウヒは地面に伏せ、腕との距離を無理やり作る。と同時に、左手とボロボロの右手を使って、思い切り地を蹴る。
(攻撃出来なかったけど、一撃くらうよりはマシだ!)
その場から離れるユウヒの足を、素早くレインが掴む。
「なっ!?」
あまりの反応の早さに驚愕するユウヒ。レインはそのままユウヒを観客席へ向かって投げた。
「大人しく死んでくださあい!!」
飛ばされたユウヒに追い討ちをかけるように、黒風を槍にして飛ばす。ユウヒは迫る観客席に激突する前に身を翻して、観客席通路へ着地。しかし、顔を上げた時には槍がすぐそこまで迫っており、回避出来ずに全て食らってしまう。
ドゴオォン
やけに響く重音と共に土煙が立ちこめる。ユウヒの姿は確認出来ないが、レインは満足そうにそちらを眺めている。
「ゴホッゴホッ!これ、やばい..。」
土煙の中、ユウヒはボロボロの体を見まわして、そんなことをつぶやく。
(なんて反応速度だよ!?こっちは全力で回避行動をとったんだぞ?あいつ、本当に強い!)
ユウヒは、すでにボロボロの右腕に力を込める。火の粉が散り、血が滴る。ポタポタと刻みよく落ちる血のリズムがユウヒの集中力を再び高めた。
体中にこれまで以上の熱が宿る。体のいたるところから炎が顔を出し、主の体を灼いていく。その炎は、土煙の中でもはっきりと輝き、やがてレインの目にも捉えられた。
「ああ、ああ、まだ、やるのですねえ?」
レインの表情に怒気が宿る。右腕は膨れ上がり、黒い霧に覆われていく。お互いにこれまで以上の力をぶつけるつもりである。ユウヒが腰を落とす。狙うのは重い一撃ではない。素早く、浅い攻撃、それも一回でも多くだ。
レインが瞬きすると同時に、観客席にいたユウヒは、その場に火の粉を残して消えた。レインは一瞬目を見開くが、ユウヒが移動したのだと理解し、空っぽの懐へ目をやる。現れたユウヒを左腕で払おうとする。巨大な右腕では、素早い攻撃を仕掛けようとするユウヒへの対処は遅れる。
だが、右腕よりも速く動かせるはずの左腕でも、ユウヒを捕らえることはできなった。左腕は空を切り、同時に右腕から力が噴き出す。ユウヒの攻撃が当たったようだ。
「ちぃっ!!」
レインは舌打ちをし、背中側へ向かって思いきり右腕を突き出す。次なる攻撃の用意をしていたユウヒを正確に突く。
「ぐああ!!」
ユウヒは体勢を一瞬崩すが、すぐに次の攻撃へ向かう。ユウヒの体からは、血が火の粉のように飛び散っていた。
そうしてやっと、ユウヒは化け物との殴り合いに突入していく。会場の隅で白く淡い光が強まっていることなど、もうどちらも気付かない。
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