第18話 燃える灰 2
何が起こった?先ほどまで立っていた場所に、頬が付いている。その状態で見渡せる程度の場所には、『月』の衛星の一人を背負ってきた青年はいない。加えて言えば、その衛星の男も、自身を縛っていた縄と血痕を残して消えていた。
体に力が入らない。この霧のせいだろうか?辺りを覆う黒い霧が、誰かの力によるものだと推測できる。であれば、その使用者は、会場内にいる『月』の人間だろう。なぜなら、この霧は会場の中から発生しているし、同じ会場内にいるであろう騎士団副団長の力は、闇色の風なんかではない。
視界に、自分の右手が入る。全身の力を右手に集中させ、その手で地面を押す。ゆっくりと持ち上がる体は、まるで上から岩で押さえつけられているかのように重い。
そうして、なんとか四つん這いの状態にまでなると、大して体を動かしてもいないのに息が切れる。理由は簡単だ。この黒い霧、正確には闇色の風か。これは、人の魔力を奪うことのできる力だ。その中でも、この霧はとびきり強力だ。触れた瞬間、魔力をごっそり持っていかれた。
一度にそんな量を持っていかれたら、そりゃあ体もびっくりしてその場に倒れるはずだ。魔力は消費すると疲れるものだ。今の状況は、大量の魔力を一瞬で消費したのと同じだ。恐ろしいくらいに体がだるい。辺りには、仲間の剣士や騎士が倒れている。対して『月』の信者たちは倒れている者もいるが、立っている者も多い。
今回の戦い、『月』に風使いが多かった。風使いは、魔力の量が多い者や魔力の節約が得意な者が多い。ゆえに持久戦に優れているため、今回の戦いに参加させられたのだと思っていたが、きっとそれだけじゃない。
こいつらを率いていたやつが闇色の風使いだとすれば、魔力を奪っても倒れないような兵士が欲しかったんだ。今回の攻撃、『月』にしてみれば、ハートの騎士団を相手にするなんて無謀だ。だが、副団長はともかく、会場周辺の騎士なら、こんな強力な霧を食らってまともに戦える奴のほうが少ない。
あとは、残った信者たちで、倒れている騎士たちを殺すだけなんだから。
くそ!やられた…。このまま騎士団にも入れず、いや、剣士としても未熟なまま終わるのか?いや、そんなことは許されない。あんな奴らに負けるわけにはいかない。
全身に残る力を絞って立ち上がる。木刀を腰から引き抜き、構える。その場から一歩、また一歩、敵の元へと進む。かろうじて立っている騎士が、それを見て止めようとするが、体が思うように動かないようだ。それもそのはず。騎士は重い鎧を着こんでいるのだ。疲労困憊の状態の体にそんなのを身に着けていれば、同じ疲労困憊とはいえ、身軽な剣士のように動けるわけがないのだ。
視界がぼやけてきた。見据えるは黒いローブの者たち。それもぼやけて、もはや騎士も『月』も分からない。ただ、そのさらに奥、闘技場に向かってくる人影があることに気付いた。
「貴様、何者だ!」
『月』の信者?が、その人影に向かって叫ぶ。次の瞬間、その信者は、青い水に飲み込まれて、その場に倒れた。同様に、青い水が次から次へと信者たちを襲い、『月』の戦力を削いでいく。
こちらに近づいてくる人影が女性であることが判別できた。丸く、雲のように柔らかそうな帽子を頭に乗せ、紺色の長いマントと、長い銀髪を風になびかせ、下駄をカラカラと鳴らして歩くその女性に、声をかける。
「あなた…は?」
「俺か?剣の大会にウチの弟子が出てるらしくてな?決勝だけでも見ておこうと思って来たんだが…。大変なことになってるみたいだな。」
そう言って、右腕を肩の上まで上げると、斜めにその腕を振り下ろす。すると、その女性を中心に、青い水の輪が広がっていく。それが通過した場を漂っていた霧は、まるで最初から無かったかのように消え失せたのだった。
それを見て、その女性が強力な能力者だと察して、安心したようにその場に倒れこむ。地面に落ちきる前に、女性に抱きかかえられる。
「騎士でもないのによく頑張った。ゆっくり休め。」
薄れゆく意識の中で、ふとあの青年のことを思い出す。彼は、あの場に倒れていなかった。あれだけの霧を食らっても、動けたということだ。一体、どこに行ったんだろう。
数分前。闘技場内。
「ふう…ふう…。流石に、私程度では敵いませんね。」
レインは息を切らしながら、自身の弱さを認める。
「闇雲に力をぶつけてくるだけだからな。元々相性は悪いんだ。観念したらどうだ?」
カイナはまだまだ余裕を感じさせている。それもそのはずだ。彼はただレインの放つ風を剣で弾いていただけなのだから。
「風を飛ばしてきただけということは、あまり近接戦は得意じゃないんだろう?勝ち目はないぞ?」
レインの目は、まだ勝つつもりのようである。ここまで圧倒的に力の差を見せつけられ、自らも勝てないことを自覚しているにもかかわらず、そんな目をするレインが不気味で、カイナは警戒を解かない。
「おや、少し警戒心が高まっているように感じられますね?」
カイナは眉をピクリと動かす。
「それはそうだろう。お前がまだ諦めていなさそうなんでな。」
カイナのその言葉に、にやりと笑うレイン。
「ええ、私は勝ちますよ。私だけでは無理そうなので、皆様のお力をお借りしますが!」
レインは左手を胸の前にかざし、唱える。
「月よ!我は照らし、照らされるもの!汝は照らし、喰らうもの!この身に降りて、我を照らしたまえ!」
刹那、光がレインを貫いた。空から降り注いだそれはまるで雷、轟音と共に彼を喰ったのだ。白い光が落ちた場所からは、それとは全く逆の、真っ黒い霧が湧き出した。それはみるみる溢れ出し、会場の外へと広がっていった。
カイナも霧に飲み込まれたものの、光の水は闇を打ち消すことに長けた力。霧の中にあっても、カイナは魔力を奪われずに済んだ。しかし、霧の発生源に近いせいか、視界が霧に覆われ、状況がわからない。そんな中で、さっきまでとは比較にならない強さで、闇色の風が飛んでくる。
その速度も攻撃力も、目にした瞬間に桁違いなのが分かる。目視した後、すんでのところで回避するカイナ。
最初は、ただ強力なだけでよけるのは簡単であったが、それは徐々に鋭さを増し、際どいところを突いてくる。
そんな防戦一方の状況が続き、次第にカイナの目も慣れてきた。
(おそらく、外の奴らから魔力を奪ったから、あれだけの強さになっているのだろう。それは分かる。だが、そこに至るためのあの詠唱は何だ?あれが現状の引き金なのは間違いないが、あの光は雷属性のそれとも違う。)
そんな考え事をしていると、後方からの風の一撃が頬を掠った。
「っっ!?」
「ああ、今、当たりました?」
そんな不気味な声が聞こえる。
「そこか!」
カイナは、声のする方向に向かって、剣を振る。白く、邪気を払うかのような光は黒い霧を切り裂き、レインのいるであろう方向へと飛ぶ。
何かに斬撃が衝突し、引き起こされた風が一帯の霧を払う。
そんな場所に、第三者が到着した。依然、頭痛は止まず、足のふらつきもまだある。
「なんだ…こいつは…?」
闘技場にたどり着いたユウヒの第一声は、そんな疑問と驚きの込められた言葉だった。
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