第10話 剣の大会 2
太陽がジリジリと照る正午。薬屋の前で誰かを待つ人影が1つ。
金色の長い髪を後ろで結い、白い三角巾を被り、白地に緑色の刺繍の入ったワンピースを着た少女。
太陽が照りつけるものの、心地の良い風が彼女を撫でる。その風に微笑んでいると、遠くから誰かが走ってくる音が聞こえる。
その誰かは次第に、薬屋へと向かってくる。それも凄い速さで。そして、それが誰なのかを認識すると、思わず彼女は声を上げていた。
「ユウヒ!?」
走ってきた誰かとは、ユウヒのことであった。山を10分ほどで下り、その後も止まることなく町まで走ってきたのだ。
「すまん!遅くなった!」
ユウヒは汗だくになりながら、薬屋の前の少女に謝罪する。
「ううん、全然遅くないよ。てっきり大遅刻して、『わりいな笑』とか言うと思ってたから、予想を裏切られて嬉しいわ。」
そう笑顔で返すのは、この薬屋で暮らす少女ヨルカである。
「お、おう、そっか。そりゃよかった。」
それでも少し申し訳ないように感じてしまったユウヒ。
「さあ、行きましょ?」
差し出されたハンカチをユウヒが受け取り、2人並んで闘技場を目指す。その途中には沢山の屋台が並んでいた。普段からあるものじゃない。今日のために出店されたものだ。
「おお、おお、美味そうなものがこんなに…。」
肉や香辛料の香りが漂い、昼時ということも相まって、2人は空腹を感じずにはいられなかった。
「何か買って食べよっか。今日って、この町だけじゃなくて、他の町の商人も出店してるから、普段見ないものが食べられるかも。」
ヨルカの言葉を聞いて、もともと食べ物目当てだったこともあり、ユウヒの機嫌は跳ね上がった。
「なんだって!そりゃ、楽しみだな。そうだ、ちょっと待たせちまったし、俺がなんか奢ってやるよ。」
そう言って、自分の罪悪感を解消しようとするユウヒ。
「別にそんなに待ってないし、気にしなくていいのに…。でも、お言葉に甘えるわ。『人の金で食べるメシは美味い』ってお師匠が言ってたし。」
笑顔で返すヨルカは、レオルがいつか言っていた言葉を思い出す。
「あの人、ろくでもないこと教えるなぁ。まあいいや。何食べたいよ?」
「うーん、あ、あれがいい。」
そうして、しばらく食べ歩いていたユウヒ達が闘技場に着いたのは、待ち合わせから一時間後であった。
闘技場の周りには騎士達が一定の距離で警備しており、例年の大会には無い厳重さを感じる。
「ここに来るまでは見なかったよね。あの騎士の方々。」
「なんでこんなに警備が?毎年こんなだったか?」
「今年はハートの騎士団副団長様が来るみたいだから…そのせいかな?」
首を傾げながらヨルカはそう答える。ユウヒは「ふーん。」
と言いながら、闘技場の入り口へ歩き出す。
「戦える奴が守られているって?副団長って強いんだろ?それより弱い奴に自分を守らせるって…。」
「大したことないなって?」
ヨルカが小走りに、ユウヒの隣へ追いつく。ユウヒがチラッとヨルカの顔を見る。
「まあ、そうも思えるけど…、仮に護衛だとして、こんな平和な町でここまで厳重にする意味はないよな。」
闘技場の入り口を抜け、観客席のある二階へと続く階段へ向かう。
「別の目的が?」
「…例えば、誰かが、あるいは何かが襲ってくる…とか?」
「へ?」
隣を歩くヨルカがキョトンとしながら、可愛らしい声を上げた。その一音には、「こいつ、何言ってんの?」みたいな意味合いを感じ、ユウヒは早足でヨルカを離そうとする。
冷静になると、この町を襲撃する価値があるように思えなくなり、恥ずかしさのせいで早歩きになっていた足が速度を緩める。
「まぁ、なんでもねーよ。忘れてくれ。」
二階への階段を登る。
「い、いいのいいの。前にお師匠から聞いたよ?男子にはそういう時期があるって。」
単純な推理を、痛々しい妄言と捉えられたユウヒは、先程の恥ずかしさを思い出す。
「あぁもう!やっぱりそう思ってた!もういいわ!この話終わり!」
「う、うん。わかったわ。」
捲し立てて、客席探しを始めた。どこの席も埋まっていて、この剣の大会という催しの人気っぷりが窺える。あちこち見ながら歩くが、中々良い席は見つかりそうにない。その時だった。ユウヒの横を黒い人影が通り過ぎた。
一瞬のことだったが、ユウヒが視界に捕らえたその影は、たしかに黒いローブの何者かだった。ユウヒは思わず足を止める。
「ん?どこか良い席見つかった?」
それ以外の理由が浮かばないヨルカは、前方のユウヒに声をかける。
その言葉と同時に振り向く。そこにはヨルカや町民こそいれど、黒いローブなんてものを身につけた人は見当たらなかった。
「なぁ、今…」
ここを誰か通らなかったか?
そう言おうと思ったが、先程のヨルカの反応を思い出し、言葉を飲み込んだ。また痛々しい妄言と捉えられたら、今度は恥ずかしいじゃ済まない。きっと見間違いだったのだろう。そう思うことにしてヨルカに向き合う。
「あー、席な。あそこなんてどうよ?」
そう言って、自分たちとは、中央の闘技場を挟んで反対側にある席を指差す。そこは、周囲の席から隔離され、無人の空間となっている。たしかにこの場所なら、試合がよく見えそうだ。
「ああ、ダメよあそこは。騎士団の方々の席なのあそこ。町の人と一緒の席だと騒ぎになっちゃうかもしれないからって、あんな感じに分けたんだって。」
騎士団は今回、優秀な人材を発掘する目的もあって、この大会を観に来ているらしい。たしかに、町民と一緒じゃ、集中できないだろう。
「そうか…。じゃあ、お手上げだ。良い席はもう無いよ。ちょいと道草を食い過ぎちまったかな?」
ユウヒが頭を掻きながら諦めの声を上げる。しかし、それでも一応、周囲を見回してみる。
「ふふ、そうかもね。でも、道草が美味しかったのだし、仕方ないよ。」
そんな風に笑うヨルカは、自分達のいる側の一番端を指差す。
「あそこなんてどうかな?ちょうど席が2つ空いてる。」
その指先を追っていくと、会場の隅、忘れられているかのようにポツンと空いている席に行き着く。円形状の会場だが、柱が視界の邪魔になるように立っており、あの位置からでは剣士の戦いぶりは見えにくいだろう。加えて、中央から1番遠い後ろの席だ。
「あそこでいいのか?見えなくはないだろうが…いいのか?」
と、そこまで言って気付いた。ヨルカはサラッと会場を見回して、端っこの目立たない2席をすぐに見つけてしまった。ヨルカに言われて席をすぐに発見できたユウヒもだが、ヨルカも相当に目がいいのだ。多少遠くても、柱が邪魔でも、恐らく問題ないだろう。
「うん。大丈夫。早く行きましょ。」
ヨルカが小走りに件の席へと向かう。その後を追うようにユウヒも小走りになる。
席に座ってみると、やはり会場は小さく見え、剣士の顔を認識できるかどうか危うい。
「ヤイチは大丈夫かな?」
席に着くと、ヨルカはそんなことを口にする。
「さてね。どうなったっていいよ俺は。」
それを聞いたヨルカはムッとしてユウヒを覗く。
そうこうしていると、闘技場の中央に町長が現れる。今年で80歳らしいが、まだまだ元気そうだ。たまにレオルと酒を交わしているが、そこいらの若い男よりもたくましい印象をユウヒは持っている。
「ただいまより、剣の大会を開催する!」
会場に響くほどの大声は、1人の人間から発せられたものとは思えないほど凄まじく、会場の賑わいを一瞬で鎮めた。
会場中が町長の言葉に耳を向ける。適度な間を取った後、町長が続ける。
「それでは最初に、ハート騎士団副団長様がお見えになります。あちらの席にご注目下さい!」
そう言って、ユウヒが最初提案した隔離された席を手で示す。
奥の扉が開かれ、会場外にいた騎士と同じ装いの者が2人現れた。どちらかが副団長だろうか?とユウヒは考えたが、数秒後、後から扉をくぐる男を確認して、その男こそが副団長なのだと確信した。纏っている装備はもちろん違ったが、発する雰囲気が、前の2人とは比べものにならなかった。そして、その3人は席に腰を下ろし、それを見て、会場中からザワザワと声が上がる。皆、副団長様に興味津々である。
そのざわつきを抑えるかのような威厳のある声が会場へ届く。
「ハート騎士団副団長カイナである。今日は、存分に剣の腕を振るいなさい。我々は優秀な人材を常に欲している。君たちが優秀な剣士である事を期待している。」
その言葉は今回の参加者へと向けられた激励の言葉。これにより、参加者達の気は一層引き締まっただろう。
「なんか、とても重みのある声だったね。ヤイチ、緊張してないかなぁ?」
心配そうに話すヨルカ。
「あいつが緊張?むしろ昂ってるんじゃねーの?自分の力を存分に見せられるんだからよ。他の連中には是非とも頑張ってもらわないとな。」
ヤイチは、剣士志望の中では珍しい、女性であった。単純な力では劣るであろう男達を相手に、それでも戦ってやろうと、剣士を目指したのだ。今更、緊張も怖気付きもしないだろう。
「それでは、剣士の入場。並びに、試合前の準備運動の時間とする!」
その言葉の後、会場の奥から剣士達が現れる。どれも真剣な顔で、その緊張感はこちらまで伝わってくる。そんな者たちの中で、まるで散歩でもするときのような余裕のある顔が一つ。
黒く短い髪は男性らしさを感じさせるが、多少膨らみのある胸が、そうではない事を知らせている。誰よりも落ち着いていて、誰よりも闘志を燃やしているかのような、そんな印象を受ける。彼女こそが件の女剣士ヤイチ。ユウヒの喧嘩相手であり、ヨルカと同じく姉弟子である。
会場に入ってきたヤイチは真っ先にこちらを発見した。そしてヨルカへ、優しさと気品を感じさせるような、柔らかでいて凛とした微笑みを向ける。ヨルカもそんなヤイチを見て、笑顔で手を振る。
そんな微笑みはユウヒへは向けられなかった。ヨルカへ愛想よくした後、ユウヒを見る彼女の顔は先程と打って変わり、憎悪と邪悪に満ちている。それに同じ感情で対抗するユウヒ。
さて、仲の悪い者同士が出会った時は、一体何が起こるだろうか?口喧嘩?あるいは、フンと喉を鳴らして顔を逸らすか。どちらにせよ、楽しく会話なんてことには絶対ならない。しかしながら、現在のこの状況、客席と会場という距離感では、口喧嘩は起こらないし、何度か顔をずらせば、相手の顔は視界に入らない。前述した事柄は発生しない。
ただ、彼らはこれまで、出会ったならば互いを罵倒しなければ気が済まないという、些か面倒臭い関係性を築いてきた。レオルの下で修行していた時は、修行で疲れているにも関わらず、日が暮れるまで罵倒しあっていた。そのせいで、よくレオルの笑・顔・に世話になった2人であった。剣士の修行をするべく、ヤイチはレオルの下を去ったが、ユウヒとの関係性は変わらず現在まで至る。
そんな長年の付き合いによって、彼らは如何なる時でも互いを罵倒しあえる術を身につけたのだ。彼らはなんと、目を合わせることで意思疎通ができるのだ。
ヤイチ: おやおや、誰かと思えば年中焼身野郎じゃないか。今日はわざわざこんな所までなんの用事かな?
ユウヒ: おいおい、わざわざ言わせるのか?いや、言わないと分からないか。悪いなぁ、お前が察しの悪い奴だって事を忘れていたよ。今日はお前の負ける所を見にきてやったのさ。
ヤイチ: 嘘が下手だなぁ。とうとう自分の力が私に敵わないことに気付いて、みっともなく他の奴らに頼っているんだろう?素直に言わないあたりが、一層惨めだな。
ユウヒ: 俺がお前に敵わない?おいおい、お前が俺に勝ったことがあったかね?12歳の誕生日のとき、「私は大人になった!」とか言って、川の中での競走を提案したお前が深みで溺れかけて、それを助けた時なんてわんわん泣いてたろうが?
ヤイチ: な!?はあ?それがなんで私の負けになるんだ。昔の事を引っ張りだして恥ずかしくないのか!?そういうお前だって肝試し対決の時、跳んできた蛙にびびって気絶してただろーが!
ユウヒ: はあ!?ねえよそんな事!捏造だ!
ヤイチ: 気絶したから覚えてないんだろ!?馬鹿!
と、そこからは馬鹿と阿保の言い合い。嫌味を利かせた罵倒合戦が長く続かないのがこの2人の特徴だ。
そんなことをやってるうちに、準備運動の時間が終わってしまった。
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