第8話 醒める 3
空になった杯に、酒を注ぐレオル。
「あいつは…、ヒゲツは、結婚したら子供と楽しく暮らしたいと言っていた。きっとお前のことだ。」
黙って言葉を聞くユウヒ。
「あいつが指輪を持って行ったあと、あいつが『月崩し』として活動したっていう話は全く聞かなかった。きっと、大勢の幸せじゃなく、自分の幸せに目を向けたからだ。」
チラッとユウヒを見るが、俯いているせいか表情が見えない。
「家族で平和に過ごすことを望んだんだ。だから、それの障害になる『月崩し』を捨てた。」
杯を満たす酒を一気に飲み干すレオル。
「だが、お前が物心ついたときすでに、母親と二人暮らしだったってことは、あいつは『月』から隠れられなかったんだろう。アジトをさんざん潰して回ったんだ。恨みは相当だったはず。奴らは国中に情報網を張っているから、見つかるのは時間の問題だったんだ。」
つまり、ヒゲツは『月』によって殺された。そう言いたいのだろう。
「それじゃあ…、なんで母さんは殺されたんです?標的が父さんなら、森にあいつらが来る理由がないでしょう?」
「そうだな。でも、それはお前の母親が『月』と無関係な場合に限った話だ。ユウヒ、お前は俺が連れ出すまでに、オモンの森の外に出た記憶があるか?」
少し考えた後、首を振って返事を返すユウヒ。
「だろうな。きっと、母親も外には出ていなかっただろう。なぜ森に引きこもったのか?それは、隠れることの重要性を知っていたからだ。」
「じゃあ、母さんも『月』に狙われていた…。だから、隠れていたと?」
「おそらくな。これは推測だが、お前の母親は、『月』に攫われた被害者の一人だったのでは?そして、ヒゲツに助けられた。それが二人の出会いだったんだろう。」
「でも、もしそうだとしても、父さんはアジトの敵を殺していたんでしょう?なら、母さんが特定されているのはおかしいですよ。」
「ヒゲツは短期間で多くのアジトを潰している。いつ休んでいるか分からないくらいな。だから、偶然、殺し損ねた相手がいてもおかしくないだろう?疲れが溜まってたんだ。ソレイユの日記にも書いている。偉大な成功に手を伸ばし続けても、手を休ませることを怠れば、たとえ成功に触れたとしても、掴む力は残ってはいない。ってな。」
力の発見者ソレイユの言葉を持ち出す。
「すみません。俺、ソレイユの日記はちゃんと読んだことないです。」
それを聞いて、やれやれ、と首を振るレオル。
「勉強になることが書いてある。ちゃんと読んどけ。…とにかく、その殺し損ねた相手のせいで狙われたんだろうな。」
「でも、力のない女性はたくさん集めていたんでしょう?母さんに固執する理由がわかりません。」
その質問に、レオルは二本指を立てて説明する。
「考えられるのは二つ。一つは、組織の情報が広まってしまうことを防ぐため。もう一つは、宿主としての素質が高かったため。前者は、お前の母さん以外も解放されているから、今更情報漏洩を気にしても仕方ない。だから、可能性としては後者のほうがあり得る。」
杯を口に近づけ、中身が空なことに気付く。ユウヒもそれに気づき、瓶を持って杯へと傾ける。
「宿主っていうのは?」
瓶の中身を注ぎ終わり、机に置く。
「月の宿主。連中が力のない女を攫うのは、宿主の候補を見つけるためなんだよ。んで、宿主っていうのは簡単に言うと、月との子供を胎内に受け止めるための器だ。後で詳しく説明してやるよ。」
月との子供。ユウヒには意味が分からなかったが、とりあえず読んで字の通りに受け取ることにした。なんとなくだが、レオルが普段の様子に戻ってきた気がした。
「それにしても、生徒から質問が飛んでくるのってやっぱ良いなあ。まあ、お前の場合は知識が偏っている節があるが。」
教育者らしいことが出来てうれしかったのか。さっきまでの緊張感が少しほぐれ、体に入っていた力が少し抜けるのを感じた。
「脱線したが、良質な候補者を捕らえるために居場所を突き止めて追ってきたんだろう。だが、母親は子を守るものだ。力が無くても必死に抵抗したんじゃないか?そして、奴らはそれに対抗する中で、思わず殺してしまったんだ。これが、あの日起こったことだ。お前の断片的な記憶と俺の知識を組み合わせた、推測の域を出ないものだがな。」
ユウヒはその推測に納得がいかないようだ。
「奴らが宿主候補者を殺してしまった理由はほかにもいくつか考えられるが、どれも推測、答えからはズレている気がする。だが、今大事なのは、だれが殺したかだ。『月』の者で間違いないだろうよ。さらに言えば、黒いローブっていうのは連中の象徴でもある。白い月を一層際立たせるという意味があるらしい。」
ユウヒは息を吸いながら上を見上げる。呼吸を止め数秒。一気に息を吐く。
「たぶん、師匠の推測はほとんどあってると思います。うっすらだけど、あいつらが『月』って単語を口にしていた気がしますし。ただ…。」
何か違和感がある。師匠の推測は、どこかが決定的に間違っている気がする。確かめようもないが。
「ただ…?」
レオルが、その先を促すように聞いてくる。
「すみません…。うまく言えないです。でも目的は決まった気がします。」
それは、『月』を灼くという決意。レオルが予想していた答え。
「まあ、答えを急ぐ必要もないだろう。もう少し考えてみろ。少なくともお前の父は、お前の平和を望んでいたはずだ。」
笑いながらレオルはしゃべる。だが、その眼には悲しみの色がにじんでいた。
「…そうですね。あ、そうだ。明日、剣の大会を見に行くことになったんでそろそろ寝ます。」
珍しそうにレオルが「ほお?」と声を上げる。
「お前、去年までは興味も示さなかったのにどうした?」
「…美味いものが出るらしいので。」
目をそらしながら答える。断じて、それに釣られたわけではない!
「ははん。ヨルカに誘われたな?あの子も、お前の扱いが巧くなったな。連れ出し方をよくわかっている。」
一瞬で見破られた。そんなにわかりやすいのだろうか?と、本気で心配になるユウヒ。
「まあ楽しめ。ハートの騎士も見に来るんだろ?例年よりも盛り上がるんじゃないか?それにヤイチも出るんだろう?」
「あー、そっすね。」
露骨につまらなそうな顔をするユウヒ。
「まったく、昔からお前らは仲が悪すぎるな。」
困った弟子たちだ。首を傾けながらレオルは思う。杯の酒はすっかりぬるくなっていた。
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