第6話 醒める

 山の家に到着するころには、辺りは暗くなってきていた。夕方と夜の中間、家から漏れる光は外を照らすかどうか迷っているかのように、控えめに感じられた。


「ただいま帰りました…よ。」


帰宅の報告をしながら家の扉を潜るユウヒが見たのは、本に囲まれながら、杯を片手に頬を赤に染めるレオルの姿だった。


「あー、帰ったかユウヒー。」


普段よりもややふわっとした声は、酔っていることの証である。卓上に積まれていた本は雑にどけられ、そこに茶色い液体の入った透明な瓶が置かれている。ユウヒはそれを見て、小さくため息をつく。


「酒を飲むにはまだ早いんじゃないですか?」


「ばーか。俺は今日仕事から帰ってきて疲れてるんだぞ?ちょっとばっか早くたっていいじゃないか。なんだ?お前も欲しいか?」


そう言って、杯をユウヒに向ける。


「何言ってんすか。俺は飲めませんよ。この国は20歳以下の飲酒を認めていませんから。あと二年は師匠の酒仲間にはなれません。」


「なんだよぉ?誰も見てないんだから、ちったあ付き合えよ。無茶はするくせに、細かいんだよお前ぇ。」


椅子から立ち上がり、ユウヒに近づくと、ぐりぐりと杯を頬に押し付ける。


「ちょ、やめてくださいよ。なんで今日はそんなに酔っているんですか!?あんた酒強いでしょーが!!」


「酔っている風にふるまうことが、よりよく酔える秘訣なんだよぅ!」


「じゃあ、酔ってないじゃん!離れてくださいよ!」


突きつけられている杯を押し返す。だが、レオルはやめない。そんなやり取りを続けていると


「まあいいから…、飲め。」


先ほどまでの酔っぱらいの雰囲気が、その言葉からは感じられなかった。その言葉には、普段のレオルからも感じられない真面目さが窺えた。


「…師匠?」


その気配を感じ取り、思わず杯を受け取っていた。


レオルは酒を渡すと、先ほどまで座っていた椅子とは別の、隣の椅子に腰かける。そして、空いた椅子をポンポンと叩き、ユウヒに着席を促す。ユウヒは怪訝そうにレオルを見ながら、椅子に座る。


しばし沈黙が訪れ、カラン、と杯の中の氷が溶けた音が鳴った。先に口を開いたのはユウヒだった。


「…どうしたんですか師匠?なんか師匠らしからぬ真面目な雰囲気が感じられますけど。」


「ああ、そうだな。いつもの俺らしくない。…お前にこれからする話はな、昔話だ。そして、他人の話じゃない。素面の時にしたい話でもない。」


「大事な…話ですか?」


「さあ?聞いたお前がどう思うかだな。とにかく、それ飲んでみろ。」


首をくいっとして、ユウヒに酒を進める。レオルと杯を交互に見て、少し悩むユウヒ。


「…今回だけですよ。」


何か事情があるのかと、そう思ったユウヒは、今度は拒まなかった。


「ぐえっ!?」


苦味。そのあと続けて辛味。それら両方に付き添う甘味。


はっきり言って不味い。そうユウヒは思った。


顎を突き出して、その不味さに耐えるユウヒ。を懐かしそうに眺めるレオル。


「やっぱ…、親子なんだな。」


「へ?」


親子。レオルはそう口にした。


「お前の親父も、初めてこれを飲んだ時はそんな反応だった。」


話が見えてこないユウヒ。しかし、自分に関係のある話である。ユウヒは杯を置き、レオルに向く。


「一体、なんの話ですか?」


ユウヒの質問を聞き、腰の衣嚢へ手を伸ばす。取り出した品を机にそっと置く。


「これ…、もしかして。」


その品は、ユウヒには覚えのあるモノであった。


「ああ。あの日、オモンの森でお前の近くに落ちていた指輪さ。」


ユウヒの過去。真っ赤に燃え、そして灰になったユウヒの過去の記憶の中でも、ひときわ赤い指輪。曖昧になってしまった記憶だが、この指輪を忘れることは無かった。記憶の中の母がいつも身に着けていた品だ。


「師匠が持っていたんですね…。でも、なんで今まで隠してたんですか?」


すこし黙った後、レオルが口を開く。


「この指輪をお前に見せるってことは、お前の過去についてを、俺の知る限り伝えなけりゃいけないってことだ。そうなったらお前はきっと、この生活を捨てちまう。あいつが望んだ、お前の幸せを…壊すことになるんだ。」


苦しそうに言葉を吐くレオル。ユウヒには、これから彼女が述べようとする事に、いまだ見当がつかない。


それでも、感じた疑問を投げかけてみる。


「じゃあどうして、今日、それを話そうと思ったんですか?」


「…毎度無茶な修行をするお前を、見ていられなかった。母親を殺した奴らを殺したいっていう、過去に向けた殺意。それを原動力に生きるお前が痛々しくてな。」


黙って話を聞くユウヒ。


「お前は知らないだろうが、今日の朝、お前は気を失っていたにもかかわらず、体から炎があふれていたんだよ。心臓が止まるかと思ったよ。あんなものはもう修行じゃない、自殺行為だ。」


朝、レオルは燃えるユウヒを見て、あの日と同じようにして力を止めたのだろう。もし、レオルの帰りが遅くなっていたら、ユウヒは死んでいたかもしれない。


「それで思ったのさ。はたして真実を伝えずに、俺の知っている幸せをお前に与えることは、本当に幸せなのかなってな。」


ユウヒの手から杯を奪い、レオルは一気に飲み干す。


「師匠…。」


心配そうに声を発するユウヒ。


空になった杯を眺めるレオル。


「幸せなわけないよな。だってお前は、今の生活の中にいない。あの日にまだ立っているんだから。だから話す。俺の知ってること全部。そんで、お前は、お前自身が幸せになる道を進め。」


杯を置いて、ユウヒを見る。ユウヒは、レオルの覚悟を感じ、ごくりと唾を飲む。


レオルはふうっと息を吐き、気持ちを整える。もう酔いは醒めただろうか。


「まず、お前の母親を殺した奴らはとある組織に属していた。その組織の名は『月』。今もこの国で暗躍している最悪の連中だ。母親殺しの実行犯はおそらく、『月』の下っ端だろう。そして、その主犯はまだ生きていると、俺は考えている。」


ユウヒの瞳孔が開く。母の仇が生きている。


この情報がユウヒを幸せに導くかは不明だが、少なくともこの時のユウヒにとっては、歓喜するに足るものであっただろう。


外には完全な夜が訪れ、今宵の月は、窓より漏れる光をも照らすのであった。

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