第5話 日常 2
家を出発し、山を下る。体の傷や修行の疲れのせいなのか、足が重い。普段なら、30分もあれば町につくが、今日はもう少しかかってしまいそうだ。まあ、考え事でもしてれば、その時間も苦にはならないだろう。
右手に軽く力を込めて炎を出そうとする。が、魔力が足りず、出現しない。いつもなら、負の状態に陥って気絶するまで力を使っても、一日経てば魔力が戻っているはず。てことは、今回は気絶から目覚めるまでに、一日かかっていないということになる。
こういう暇なときに炎を出しているだけでも、制御の修行になるってのに残念だ。
師匠には、無茶な修行はやめろと言われているが、当然やめるつもりはない。俺は早く強くなりたいんだ。あの日の母を、守りたいものを守れるくらい強く!そして、母を殺したあいつら、ああいう奴らを殺せるくらい強く。
...もうどうにもならない過去だ。けれど、あの日の出来事が今の俺を作っている。...といっても、覚えていることはあまり多くない。10年前、師匠に拾われた俺は最初、自分の名前も思い出せなかったらしい。それから、生活していく中でのふとした瞬間に、記憶が少しずつ戻っていったのだ。それでも、あの日のこと、それよりも前のこと、母のこと、曖昧な記憶は多い。
ただ、母が殺されたこと。あの場の全員を焼いたこと。それだけははっきり覚えている。その単純な真実は、俺を突き動かすには十分だった。
「あっ。」
そうだ。炎を出せないなら、負の状態になれば...。
そう思ったが、師匠の資料の記述を思い出した。
『ソレイユの記述 炎の記述』
炎の力は、雷の後、風と共に起きた力である。
使い手は、魔力を炎の薪とし、体外へ炎を出現させられる。
魔力を燃やし尽くすと、炎はさらなる薪を求め、使用者を薪として燃える。
炎の力の負の状態は、『灰』と呼ばれ、灰状態になると、正の状態時以上に炎の威力が上がり、使用者の体へも牙をむく。
灰状態は、燃え盛る炎がさらなる薪を求めた結果であり、灰状態に陥った者が力の使用を止めると、魔力が回復するまで、力を使用することはできない。
正の状態は灰に至るための火種であり、正無くして、負はあり得ない。
。
。
。
そうだ。魔力が回復してない今、灰状態になることはできない。それを思い出し、他にやることもないので、余計うなだれて道を歩く。
しばらくして、遠くに円形状の大きな広場が確認できる。
あれがヌスの町の闘技場。町で一番大きな建造物だ。もうしばし歩くと、闘技場の周りの街並みも見えてきた。日差しは、家を出た時よりも高くなっていた。
「ちょうど昼時かな。」
そう思うと、腹がすいてきた気がして、町に入るなり、近くの食堂へと入る。ヌスの町に来た時は必ずこの食堂に立ち寄る。ここの野菜のスープがお気に入りなのだ。
「おじさん、ヌスの野菜スープと水ちょうだい。」
声をかけられた中年の男は嬉しそうに返事を返す。
「ユウヒじゃないか。二か月も顔を出さないもんだから、レオルの実験台にでもされちまったのかと思ったぞ。」
冗談だとは思うが、それを聞いて、その可能性も無くはないな、と思った。
軽く世間話をし、食事を受け取ると、窓際の席へ向かう。
「おいユウヒ。」
店主に呼び止められて振り返る。すると、パンを投げ渡された。
「その包帯、無茶な修行やってたんだろ?それ食って早く治しな。」
「ありがとうおじさん。この後ヨルカに治してもらうつもりさ。」
「あー、そうかそうか。あんまりあの子に心配かけるなよ?」
はいはい、と軽く返して、今度こそ席に向かう。先ほど狙っていた席は他の客に取られてしまった。
食事を終えて、外へと出る。食堂に入った時よりも暑くなっている気がする。額の汗をぬぐい、目的地であるヨルカのいる店へと向かう。
白く、清潔感のある二階建ての建物。ぶら下げられた横長の看板には「薬屋」と大きく書かれている。
ここは老夫婦が経営する店であり、名前の通り、薬を様々取り揃えている。そんな老夫婦の手伝いとして、店の奥で仕事をする少女が一人。三角巾を頭に巻き、そこから垂れる、一本の編み込まれた金髪の束が、うなじを見せたり隠したりして揺れている。薬品の数を数えている最中で、こちらには気づいていないみたいだ。
驚かしてやろうと思い、足音を殺して忍び寄る。
彼女の背中を目の前にし、
「よお!」
と大きな声を出しながら、ヨルカの両肩をたたく。
「ひゃあああー!!」
悲鳴を上げながら、俺から距離をとり、力なくしゃがむ。
「ユ、ユウヒィ…。驚かせないでよもう。」
大声の主が誰かを確認すると、離した距離を一気に詰め、抗議するように顔を近づける。
「ははは、ごめん。無防備だったからついやってみたくなっちまった。」
ヨルカは俺と同じ歳の少女、加えて姉弟子でもある。魔女レオルに弟子入りしたのは6歳のころ。自身の身に宿った力に気付き、正しくその力を使えるようになるために、熱心に修行していたとか。
それから時が経ち、今はその力を活かして、店の手伝いをしている。
幼いころに両親が病気で亡くなり、祖父母の経営するこの店で暮らしている彼女は、大切な人を失う悲しみが人一倍分かる。彼女がこの店を手伝いたいと言い出したのも、その悲しみを少しでも減らしたいという願いゆえだ。
そんなヨルカの力は、彼女の願いに沿った優しいものだった。緑色の水の力。水の力の中で、武器としての力ではなく、人を癒すために存在する力である。師匠が俺の傷をまともに治さなかったのは、ヨルカを当てにしてのことだろう。師匠曰く、その辺の医者よりもヨルカのほうが優秀、とのことだ。
「それで?二か月ぶりに山を下りてきたと思ったら、全身包帯だらけ。顔は見たかったけれど、傷まで診るなんて言ってないわよ。」
頬を膨らませながら怒るヨルカ。しかし、それはかわいらしいものであって、全く怒りの熱が伝わってこない。
「あー、ごめんな。俺も傷を診てもらうつもりはなかったんだけどさ。師匠に言われて仕方なかったんだ。」
適当に謝ってみる。
「そうでしょうとも。お師匠、今朝ここへ寄ったの。ユウヒが二か月も山から下りてきてないって話をしたら…それはそれは…怒っていたのよ?」
怒っていた。つまり、この清潔感ある場所に、
「そ、そうか。今日のお仕置きはかなりきつかったんだぜ?なんて言っても...」
言いかけて、ヨルカに右手で待ったをかけられる。
「聞きたくない。」
そう口にし、店の奥に歩いていく。
「こっちに来て。すぐ治しちゃうから。」
頼もしい言葉が耳に届き、ヨルカの後をついていく。
椅子に座らされ、包帯を全てとるように言われる。そして、包帯の下の傷ややけどが露わになる。
「結構無茶したのね。痛かったでしょう?」
傷の具合を見ながら、ヨルカが問う。
「いや、もう慣れたよ。」
何でもないと、ケロリと答えて見せる。
「はあ。痛みは大切な機能なの。体の不調を知らせてくれるね。そんな簡単に慣れないでよ。」
悲しさと呆れ。二つの感情を感じる。
ヨルカは、自分の右手に薬品の粉を乗せる。その後、当たり前のように彼女の手のひらに薄く緑色の水が広がる。薬品はその水に溶けて消えてしまった。
その右手を、傷ややけどのある部位に乗せていく。右手の触れた部位の傷ややけどは、右手が離れた時には、痕すら残さず消えていた。
「ヨルカ…、また力増したか?」
そう言われて微笑むヨルカ。
「まあね。でもこれは、薬と力の合わせ技よ。私の力だけじゃ、まだこんなに綺麗にいかないもの。」
そう言って最後に、左頬のやけどに手を伸ばす。
「でも、ユウヒが傷だらけになるたびに治療してるんだもの。そろそろ、このくらいの傷なら私の力だけで治せるようになるわ。」
頬に触れる手が温かい。熱とは違う、別の温かさだ。それが心地いい。
「さあ、終わったわ。お代は500ギース。」
「高くない?」
「お店の薬品使ってるんだし、力だって疲れるし。あと、驚かしたし!」
まだ引きずっていたのか。
「わかったよ。ほい500ギース。」
「はいちょうどね。お金払うのが嫌ならケガなんかしないでよ。」
「ごもっともだな。まあ、灰状態になったら、いやでもケガするんだけどさ。それじゃな。」
そう言って、店を出ようとする。
「あ、そういえば。」
が、引き留められた。なにか用を思い出したらしい。
「…どうしたよ?」
「明日、剣の大会があるのよ。ヤイチが出場するの。しかも、ハートから騎士団も見に来るんだって。」
とても楽しそうに笑うヨルカ。
ハートっていうと、王都だな。なんでわざわざこの町の剣の大会なんかに。
それに、
「ヤイチが?」
ヨルカの幼馴染で、剣士を目指す少女だ。俺とは犬猿の仲である。
「うん。騎士団も見に来るし、きっとそのまま騎士団に入っちゃうわ。」
「ふーん。まあ、この辺じゃ、あいつにかなう剣士志望なんて大していないだろ。もう顔見なくて良くなるなら、平和でいいな。」
「そんなこと言わないの。そういうわけで、明日応援に行きましょう?」
「え?いやだ。」
「即答しないでよ。久しぶりに顔出したんだし、たまには付き合ってよ。傷だって治してあげたでしょ?」
「……。」
少し考える。
「なんか、おいしい屋台もたくさん出るって話よ?」
「よし行こう!」
「即答ね…。」
食べ物の前では、どんな嫌なことも霞んでしまうのであった。
「そうは言っても、お前のほうは明日いいのかよ?店があるだろ?」
「ああ、それなら大丈夫。明日お休み貰ったの。その代わり今日は私一人で店番。」
抜かりはない。そう言いたげに腰に手を当て、胸を反らせている。
「だから、ばあちゃんとじいちゃんいないのか。」
「ええ。二人で湖に涼みに出かけたわ。仲が良くてとっても羨ましいの。」
ニコニコと話すヨルカを見ていると、こちらも笑顔になる。
「そっか。そろそろ行くわ。明日は昼前にはここに着くようにする。」
「忘れちゃだめよ?」
くぎを刺された。忘れるものか。そんなことしたら、今後傷を治してくれないかもしれない。
「ああもちろん。それじゃ、またな。」
そうして、店を出る。
「うん。また明日。」
右手を小さく振って、俺を見送ってくれた。
店を後にする。目的も達成したし帰ろう。そうして、町を出るために歩き始める。
なにか、言いようのない物足りなさを感じる。
「もう少ししゃべっていても良かったな」
まあいいか。どうせ明日会うんだし。今日は早く寝よう。
少し浮足立って帰る。それは、明日出会う屋台のせいか、それとも…。
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