第一章 ヌスの町
第4話 日常
肌を焼く炎は熱く、呼吸に混じる空気はぬるくて不味い。辺りは真っ赤に染まる。
嗚呼、この光景はあの日の光景だ。何度も何度も夢で見た。きっとこれも夢だ。少し離れた場所に立っているのは母の姿か。顔は見えない。もう、覚えてもいない。そして、その母を取り囲む黒いローブたち。母を奪ったやつらだ。許さない。死んだあの男たちを、いまだに殺してやりたい。拳をギュッと握る。それに応えるかのように、炎が奴らに覆いかぶさる。そして、そのすべてを焼く。中心にいた母も当然。これがあの日に起こったことなんだ。
守りたい人を守るために、偶然掴んだ奇跡に頼って、怒りに任せてあいつらを焼いた。その奇跡がどういうモノかも知らずに焼いた。そして、守りたい人までも焼いてしまった。母のことをうまく思い出せないのはきっと罰なんだ。扱いきれないモノに頼った者への。
でも、じゃあ、どうすればよかったんだ?どうしたら母を助けられたんだ。どうしたら守りたい人を守れたんだ?その答えがここにあるんじゃないか?そう思っているから、こんな夢を何度も見続けるのだろう。たとえ、何度も身を焼かれても、どんなに苦しくても、答えが見つかるまでこの地獄は続く。たとえ、灰になっても。もうやり直すことのできない過去だというのに…。
「…ウヒ。ユ…ヒ。」
誰かが呼んでいる。この地獄みたいな光景から、自分を引っ張り上げようとする声。
「ユウヒ起きろ!」
はっきり聞こえた。そう感じたところで、夢は終わり、現実の感覚が戻ってきた。目を覚ますとそこには、白髪銀眼の女性の顔があった。
「やっと起きたか。まったく、しばらく留守にしていた師匠を出迎える準備もしていないとは…、不埒な奴め。」
呆れたように右手を額に当て、首を振る。
ここはとある町はずれの山。ユウヒは現在、その山にある家で、魔女の弟子として暮らしている。眠っていたユウヒを起こした女性こそがその魔女であり、名をレオルという。
「し、師匠!」
相手が自分自身の師と分かると、飛び起きて向かい合う。
「おかえりなさい師匠。今回は早かったですね。」
なにか隠しているのか、レオルへ向ける笑顔は少しぎこちない。そんなユウヒを見て、少し黙った後、レオルも口を開く。
「まあな。思ったよりも仕事が早く終わってな。俺自身、もうちっと骨のある仕事だと思っていたから残念だよ。」
不気味なほど満面の笑みでレオルが話す。
「そ、そうでしたか。まあ、こんなところじゃなんですし、とにかく家に戻りましょう?」
ユウヒが先ほどまで眠っていたのは家の中ではなく、家を出てすぐの場所であった。加えて…
「そうだな。まさかこんなところで、傷だらけの愛弟子と茶でもないだろう。」
…全身に傷を負っていた。ユウヒはレオルの言葉に、痛いところを突かれたといわんばかりに、肩をビクリと震わせる。その反応はレオルにとって愉快なものではあったが、ユウヒが傷だらけになった理由については大方見当がついており、彼女としては不愉快なものであった。
「なんだろうなぁその傷は?ただ家にいただけなら、そんな傷つかないよなぁ?んん?」
レオルの笑顔は先ほどよりも眩しい。しかし、ユウヒは知っている。その笑顔は笑ってなどいない。彼女が割と本気で怒ったときの顔であるということを。
「はは…ははは。師匠、いい笑顔ですね…。う、うれしいなぁ。まさか、俺に、人を笑顔にさせる才能があったなんて…。」
そう言いながら、一歩、また一歩、レオルから距離をとる。
「ほお?それは知らなかったなぁ。よかったな。自分の才能に気付けて。ああ、そういえば、俺もお前の才能を一つ知っているぞ?」
一歩、また一歩、ユウヒとの距離を詰める。
ゴクリ、とつばを飲み込むユウヒ。その行為とレオルの笑顔が消える瞬間は全く同時だった。
「人を怒らせる才能だああああああ!!!!!」
「ぎゃあああああああああ!!!!!!?」
ユウヒの絶叫がやまびこになって空に響く。このやり取りは、レオルが長い留守から戻ったとき、必ずと言っていいほど起こる。懲りないユウヒに対して、レオルのお仕置きは次第に強さを増し、それとともに、ユウヒの絶叫も順調に大きくなっている。
木造の小さな家。中には大きめのテーブルが一つ。その上や床にはたくさんの本が平積みになって置かれている。足の踏み場は無いように見える。そのどれもが、「力」に関するものであり、レオルがその分野にかなり精通していることがわかる。奥には小さめの台所。この場所だけは他と違って、かなり整理されている。
この家では基本的に、料理はユウヒが担当しており、台所は彼の守備範囲である。よくレオルが新しい本を手に入れては、置き場に困り、台所を開放するように促すが、これまでその要求が通ったことは無い。そして、現在のような状況に至る。ユウヒは何度か片付けようとしたが、レオルに、場所が変わっては困ると言われ、諦めたようだ。
そんな居間に無理やり椅子を置いて空間を作る。ユウヒがそこに座らせられ、傷を手当されている。というよりは、包帯で傷を隠されている。
「まったく…、無茶な修行はやめろと、あれほど言ったはずだが?」
ユウヒの体中に包帯を巻きながら、何度目かもわからない言葉を口にする。
「…。」
ユウヒは黙ったまま、うなだれている。先ほどのお仕置きが中々効いているらしい。
「お前を拾ったときは、ここまで無茶する奴だとは思わなかったよ。」
レオルが目を細めながら、過去のことを思い出しながら言う。
10年前、オモンの森がたった一日にして消えてしまった。それは、ユウヒの力によって引き起こされた悲劇。いや、彼もまた被害者であるからこの言い方は適切ではない。とにかく、あの日起こったすべては、外側にいた人々にとっては祟りや天罰の類として、今も語り継がれている。それだけ大きな事件だった。レオルはその日、仕事で近くの村を訪れていた。
そして、森の中から大きな力の存在を感じ、偶然、ユウヒと出会ったのだ。彼を助け出した後、近隣の村々で、彼について知っている者がいないか訪ねて回ったが、森の中で母親と二人で暮らしていたという、猟師からの情報以外に詳しいことは知ることが出来なかった。しかし、あの赤い指輪を見て、何かを知ることはできたようだ。そして、その何かを、ユウヒにはまだ教えていない。
「よし、包帯はこんな感じでいいだろう。」
そう言って、軽く背中をたたく。
「こんな感じって、全然治療になってませんよ?ただ巻いただけじゃないですか?」
不思議そうにユウヒは言う。
「ああそうさ。だって血は止まっているし、お前の炎で傷は、雑だが塞がっているんだろ?なら後は俺の仕事じゃないよ。体のやけどと塞いだ傷、ヨルカに治してもらってきな。」
「えー?」
めんどくさそうなユウヒ。
「えーじゃない。どうせ、俺がいない間ずっとここにいたんだろう?顔くらい見せてやりな。さあ、行った行った。」
手で追い払うように、ユウヒを家の外へ促す。ユウヒもうなだれながら従う。ユウヒが外に出ようとしたとき、レオルが思い出したかのように話しかける。
「ああ、そうだ。ユウヒ、お前、今回の修行内容を教えていけ。」
「え?」
意外だったのか、ユウヒは少し固まる。
「師匠なら、言わなくてもわかっているでしょう?」
レオルは、力についてかなり知識がある。加えて、ユウヒとは10年一緒に暮らしている。もしかすると、ユウヒ以上にユウヒの力を知っているかもしれない人だ。そんな人が、ユウヒの体を見て、何をしていたか分からないはずがない。そうユウヒは考えたのだ。
「まあいいから。」
意図がわからないまま、ユウヒは口を開く。
「『負の状態』をどれだけ保てるか試していました。」
『負の状態』。力における二つの状態のうちの一つである。この世界には現在発見されている力が4つある。火、水、風、雷である。それぞれ、使用者によって色が変わり、その色ごとでも力の性質は変わってくる。
ユウヒの力は赤色の火の力である。赤、青、緑、光、闇、五色の色の炎の中で最も安定した、扱いやすい力である。そして、先に述べたように、力には二つの状態がある。使用者の魔力を力に変換して発動している状態である『正の状態』。そして、変換する魔力が底をつき、生命に近いところを力の源とする『負の状態』である。負といっても、力の強さとして正に劣るというわけではない。むしろ、力と一体化することが出来、正の状態よりも力を発揮できる場合が多い。ただ、その力の在り方は正しくはないのだ。
火の力の場合、魔力という薪を燃やした後、使用者自身を薪として燃えるのだ。その結果、ユウヒのように、全身にやけどや傷ができる。力は、この世界の生活の中で役立つとともに、戦いの中でも大いに役立つものだ。ならば、自分たちの身を守る力が自分らの身を傷つける。そんな力は間違っているのだ。それゆえに、負の状態に進んで成る者はいない。魔力が尽きたら力の使用をやめる。それが普通、正しいことだ。だが、ユウヒは進んでそちらに向かった。あろうことか、本来苦痛を伴うはずの状態を保とうとしたのだ。
だから、レオルはそんな修行、いや苦行を自ら行うユウヒを叱るのだ。
ユウヒが修行内容を伝えると、レオルは目を閉じ、はあっとため息をすると、
「俺のいない2か月間ずっとか?」
すこし間が空いてユウヒが言う。
「…ずっとじゃないです。傷が出来たら、落ち着くまでは休んでいましたし。」
「そうか…。もういいや、行け。」
そう言うと、今度こそユウヒは家を出て行った。しばらくした後、レオルはさっきまでユウヒが座っていた椅子に座る。
「…お前の子は、今も母親の仇を討とうとしているよ。でも…。」
そんなことは、俺もお前も望んじゃいない。だろ?
そんな言葉を口にする。心で思う。彼女はユウヒに力の使い方を教えた師ではあるが、実際のところ、力の使い方などではなく、幸せに生きる方法のほうが彼には必要だと、そう思うレオルであった。
「まあ、俺には無理だな。」
力を扱い、今も研究する彼女。その功績、偉大さから、魔女の称号を手に入れた彼女。力以外に教えられることなど何もなかったのだ。
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