第2話 火の不始末

 「猟師…さん?」


森の外についてあまり知らないユウヒは、これが最近の流行りなのかな?というように彼らの全身をなめるように観察する。やがて、猟師ではないことを確信すると、母を呼ぼうとして、台所のほうを振り向く。その行為と、母親が扉へ駆けつけたのはほぼ同時だった。


「母さん?」


母親の顔が青ざめている。それに、握られたこぶしは震えていた。


「どうして、どうして、なんでここが…?」


まるで悪夢を見たかのような、いや、今目の前にいる黒いローブの者たちは、間違いなく彼女にとって悪夢だった。ただならぬ空気を感じたユウヒはその場から動けずにいた。数秒の沈黙、口を開いたのはローブの者たちだった。


「見つけたぞ、月を捨てた裏切り者。月の宿主でありながら…なぜ?愚かな。」


ローブのせいで顔は分からなかったが、男の声だった。男はそう言うと、彼女の右腕をつかみ、外へと連れ出す。外では、待機していた者たちが5人ほどいた。


「いや!やめて、はなして!」


彼女が必死に抵抗する声を聞いてようやく、ユウヒは我に返った。とっさに母親の左腕にしがみつき、連れて行かせまいと、力いっぱい引っ張った。その様子を見たローブの者たちの一人がこちらに近づいてくる。


「やめて!その子に手を出さないで!」


その言葉もむなしく、ユウヒは近づいてきた男に顔を思いきり殴られてしまう。強烈な一撃を食らったユウヒはそのままテーブルの方に突っ込んでしまう。頭を揺らされ、視界がぐらぐらしているが、それでも立ち上がり、しかし、転びそうになりながら母親を追う


「ユウヒ!」


そんな我が子を心配する声をあげながら、外へと引きずられていく彼女。左手を思いきりユウヒのほうへと伸ばす。しかし、それは助けを求める手ではなく、傷ついた我が子を心配する、傷を癒してやりたいという、母親の手であった。


「母さん、かあさん。」


視界はまだ揺れている。今日はあんなに機嫌がよかったのに、体は重く、前へと進むべき足はしっかりと目的地をとらえていない。右手を前に突き出し、少しでも母親までの距離を稼ぐ。そのまま扉を出たあたりで倒れてしまい、そこで意識を失った。遠くでユウヒの名前を呼ぶ声がした。




 ユウヒが目を覚ますと、何やら右手に何かが被さっているように感じられた。まだ覚醒しきっていない目でそれを確認しようと、倒れたままの状態で視線を少し上に向ける。


「かあさん?」


外から、こちらに向かって倒れている母親の右手がユウヒの右手を包んでいる。しかしそこにはすでに温もりは感じられない。顔を見たいが、床に伏せるように倒れているせいで確認できない。ようやく少しずつ状況が理解できてきたユウヒだが、母がピクリとも動かないことで、事態の深刻さが一気にのしかかってきて、混乱に陥ってしまう。


「か、かあさん?起きてよ。」


まだまともに起き上がれない体を引きずるように、母の体に密着する。何か液体のようなものが顔や体にまとわりつくが気にしない。そして、背中をさすってみるが反応はない。その代わり、さすった手に奇妙な感触が残った。


「え?」


その疑問を含んだ声は、驚きと焦りが入り混じったせいでうまく発声できておらず、ただ空気を外に出すだけのものだった。手に付着したそれは、あの真っ赤な指輪より黒く、そして、あの指輪よりも母を赤く染めていた。母の周りを確認すると、そこには血溜まりが出来上がっていた。先ほどユウヒの顔や体に付着したのは彼女の血であったのだろう。信じられず、涙がビタビタと頬を這っていく。しかし、その涙は頬の血を洗い流しはしなかった。悲しんでいると、間もなく後ろから何者かに首をつかまれ、持ち上げられる。


「あ、あぁ…。」


母親から少しずつ離されていく。必死に腕を伸ばし、ばたつかせるが、当然つかめるわけもなく。


「小僧、名前は何という。」


ユウヒは答えない。いや、そもそも、今自分をつかむ男など眼中にない。いまだに母親を見ている。正面は分からないが、母親の背中は、刃物で切られたような傷が何か所もあった。母親の周りの血が、こぼれた水のように広がっている。きっと腹や胸も背中と同じようになっているのだろう。


「…。この女は裏切った。罰を受けたのだ。悪いことをすれば、罰を受ける。わかるな?」


なおも無言。涙と鼻水が血だまりにぶつかり、ユウヒの言葉の代わりに音を立てる。


「おまえの母親は愚かだ。裏切らなければ、我が子に母親を失わせずに済んだというのに。」


ようやく男を認識し、顔をそちらに向ける。


「母さんが…悪い?」


黙ってうなずく男。その後方には先ほどまで外にいたはずの5人のローブたち。そちらのほうに目を向けても、男の言葉が正しいのだと、目で訴えてくるようにしてこちらを見ている。再び、母親へと視線を向ける。これまでの母との生活を思い出す。


「髪を切ってくれた。」


ポツリとユウヒが口を開く。


「なに?」


いきなりどうしてそんなことを言い出したのか、男には、男たちには理解できなかった。

「服に穴が開いたときは、縫って塞いでくれた。けがをしたときは一生懸命治療してくれた。できなかったことが出来たときは、頭をなでてくれた。」


言葉に徐々に力が込められる。全身に熱が広がる。


「母さんは悪くない。傷つけたお前らが悪い。母さんは…」



         優しい人だ!



 ドカン!大きな爆発音とともに、家が吹き飛んだ。控えていた五人のローブたちは爆発の威力とその爆風に殴られ、家と同じく吹き飛ばされた。家の壁だった木や食器、壊れた家具などに飲み込まれ、体のあちこちを強打した。土煙で目の前が見えない。上と下がわからない。爆風に揺られた木々がまだガサガサと音を鳴らしている。ようやく煙が晴れ、青空が顔を出し、彼らは自分たちが倒れていることに気づく。


何が起こったのか?彼らは体の痛みに耐えながら、ゆっくりと立ち上がる。そして、20メートルほど先に立っている仲間の姿をとらえた。彼らは、その男が先ほどの爆発に巻き込まれたにもかかわらず立ち続けていたことに関心、感動した。


「ああ、立っている。さすがは我らの先導者様だ。統率力だけでなく力も、やはり我々とは格が違う。」


どうやら、ユウヒを持ち上げていた男は彼らを率いている存在のようだ。力も、彼らの中で一番らしい。


そんな男の足元にユウヒは転がっていた。体はボロボロで、荒い呼吸をしている。先ほどの爆発の衝撃で苦しんでいるのか?男のほうも先ほどの衝撃で、彼を落としてしまったのか?男はユウヒを掴みなおすわけでも、見るでもなく、ただ、上げている右腕の先、先ほどまでユウヒがいた場所を絶えず見ている。全身を黒に包んだ男は微動だにせず。


「少し様子がおかしくないか?」


「あ、ああ、確かに。」


「先導者様?いかがされましたか?」


その場から声をかけてみるが返事はない。彼らは互いに顔を合わせうなずくと、体をいたわりながら、しかし急いで先導者のもとへ駆けつける。駆けつけた彼らの反応はそれぞれで、目を覆ったり、口を押えたり、膝から崩れ落ちたり、様々だ。とにかく、目の前のそれを見て驚いてしまったのだ。


 全身を黒に包んだ男。ローブの黒ではない。全身を焼かれ、真っ黒焦げにされてしまっているのだ。爆発を受けても微動だにしない?動けなかっただけである。声をかけても返事がないのは、すでに息絶えているからだ。仲間の一人が、立ち尽くす焼死体の足元を見る。その場所を中心に爆発した跡がある。つまり、この場所こそが爆心地。そんな場所にいたら、死んでしまうのは当然だ。


では、同じく焼死体の足元に転がっているあの子供はなぜ、なぜ生きているのか?


先導者は子供を片手で持ち上げられるほどに体を鍛えていたし、成人だ。その肉体は子供よりも焼けるのに時間がかかる。であれば、子供のほうはとっくに死んでいてもおかしくないはず。にもかかわらず、生きているとはどういうことなのか。考えられる理由は一つであった。


「貴様…力が使えるのか?」


その答えに至ったときには、彼らのユウヒを見る目は先ほどのものとは違い、半分を恐怖が占めていた。もう半分は、仲間を殺された恨み。それぞれが恐怖しながらも戦闘態勢に入る。そして、五人は各々の力を一斉に発動させた。五人の力はすべて同じ、青い水の力だ。それを剣のような形に整え、ユウヒへと向ける。そのうちの一人がこんなことを口にする。


「まさか、子供に力を使うことになるとは…。だが、なぜだ?宿主に力は宿っていなかった。ならば、宿主のに力が宿るなんて…あり得るのか?」


とにかく信じられない。そんな顔だ。混乱している。


「ち…ちか…ら?」


ユウヒ自身も、初めて起こった現象、いや起こした現象を信じられず、そして、知っているはずの単語の、その馴染みの無さに混乱していた。ユウヒは力という言葉の意味を理解していた。しかし、それは単に筋力の話だ。目の前で自分に向けられる水の剣や、さっきの爆発のことを彼は力とは呼ばない。だって、今までそんなもの見たことはなかったのだから。


ユウヒは荒い呼吸をしながらゆらりと立ち上がる。体中ボロボロで、いたるところから血が流れていく。そして、血走った目でローブの者たちをにらむ。一瞬、その圧力に負け、ローブの者たちは一歩引くが、それを乗り越え、ユウヒを殺しにかかるのもまた一瞬であった。


「やれえええぇぇ!!!」


その掛け声とともに、一斉に剣を振りかぶる。それとほぼ同時にユウヒも吠えた。


「ああああああああああっ!!!」


次の瞬間、ユウヒの全身から炎が起こり、振りかぶった彼らを、先ほどの爆発の時のように吹き飛ばす。先ほどよりも遠く、そして、強く。ユウヒは分からないまま、がむしゃらに、その赤い炎を撃つ。その炎は木々にも吹き飛んだ。


「ぐあああああっっ!!」


ユウヒの叫び声よりも大きな悲鳴を上げるローブの者たち。先導者同様、そのほとんどが黒焦げになる。


「はぁはぁ…あっ…はぁ。」


さらに息を荒げるユウヒ。全身の傷は先ほどよりもひどい。どうやら力を使うとこうなってしまうようだ。


「守る…。守らなきゃ…母さん。」


ユウヒは自分の後ろで倒れているであろう母親を守るつもりだ。まだ死んだとは思っていないのだろう。いや、ただ受け入れたくないだけなのかもしれない。


「母さん、あいつらやっつけて、助けるから…だから…。」


そう言って、母親のほうへ振り返る。


 さて、ユウヒが力を使って先導者と呼ばれる男を焼いたとき、爆発は放射状に起こった。初めて使った力を制御できなかったのだろう。だから自分を傷つけた。だから、守りたかったものすらも…


                           焼いてしまったのだ。



振り返ったユウヒが目にしたものは、焼けた肉の匂いを漂わせた黒い何かだった。白く美しかった母親は血によって赤く染められ、それを覆い隠すかのような黒で埋め尽くされた。左手であっただろう部位には、なぜかあの真っ赤な指輪が、そのままの形で残っている。


「か、…は?」


言葉が出ない。視界が揺れる。立っていられない。それを視界にとどめていられない。何かこみあげてくる。


「う、うげぇっ。」


そのまま地に伏して吐いてしまう。消化され切っていない食物が、朝食時の母親の顔を思い出させる。


「お、おれが…おれが…?」


自分が殺してしまった?そんな疑問なのか事実なのかわからない言葉を、ユウヒは頭で繰り返す。パチパチと、木が燃える音が森に響く。それは徐々に大きく、木を次から次へと焼いて強くなっていく。


 丸焦げになり死んでしまったローブの者たちの死体の中で、ただ一人生き残った者がいた。生き残ったとはいえ、全身は焼け焦げ、地面に接する体には絶えず激痛が走り、その痛みに苦しみ、地面をゴロゴロと転がっている。肺が焼け、空気を体内に受け入れるのが難しい。ただ転がるだけでも呼吸が欲しいところではあるが、焼けた肺が、喉が、それを拒む。意を決して、少しでも体が地面に触れない状態、立ち上がった状態になるべく体を動かす。しかし、焼け焦げた足はうまく動かず、何度も倒れてしまう。それでも何とか立ち上がると、炎によって暖められた風が体を撫で、それもまた激痛を生んだ。


「っっ!!」


声は出ず、体に残ったわずかな空気が音となって口から出る。その激痛に耐えながら、遠くで地に伏している子供をにらむ。一歩、また一歩、踏み出すごとに襲い掛かる激痛に慣れた。その代わり、食いしばった口から血が漏れ、目はさらに血走る。ユウヒに近づけば近づくほど、熱気は増していき、燃え盛る木々の近くのほうが涼しいほどである。その熱気の中心にうずくまっているユウヒからは、十秒おきくらいに、炎が噴き出されている。そのユウヒが、まるで糸で上から引っ張られるかのように、ゆらりと立つ。一瞬天を仰ぎ見て、そのあと、近づいてくる丸焦げの生き物を視界にとらえる。


「ころさせ…ない。来るな…。」


朦朧とする意識。それでも、目的は明確に。しかし、その言葉を最後に、ユウヒは意識を失ってしまう。目を白くしたまま、だらりと、情けなく立ったまま。ユウヒが意識を失って、制御装置を外されたかのように、ユウヒから放たれる炎は勢いを増す。当然、黒く焦げた生き物が感じていた熱気は、炎へと変わり、近づくものを容赦なく焼く。黒く焦げた生き物は、それを意にも介さずまっすぐに進む。すでに彼も意識はない。ただ怒りが、憎しみが、意識の代わりに足を動かす。やがて、その体は炎によって完全に消し去られ、炭となった。主を失った憎しみたちはどこを目指したのか。あの空へと向かったか、あるいは、主とともに焼かれてしまったのか、それは誰にもわからない。ただこれで、ユウヒを、ユウヒが守りたかったものを襲う者はいなくなった。それに安心したかのように、ユウヒから放たれ続けた炎は息をひそめた。


 しかし、それはほんの一瞬のことであり、この場の一切を焼き払うための準備のように思えた。




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