あの月を灼くユウヒがノボル

上戸 シカロ

序章

第1話 火種

 とある家族の話をしよう。


オモンの森と呼ばれる、自然豊かな森の中の、開けた場所に住んでいる。昼は太陽の光が優しく照らし、吹き抜ける風は強すぎることはなく、常に心地いい。


夜は、虫たちの声と、風に揺れる木々が、健やかな眠りに導いてくれる。そんな美しい場所で、ユウヒとその母親は暮らしていた。


ユウヒはよく、日が暮れるまで外で遊び、泥だらけになったり、水浸しになったり、毎日楽しそうであった。毎日のように太陽の光を浴びる彼の肌は日に灼けやすく、夏は顔や腕を真っ赤にして家に帰ってくるため、とても痛々しく見えるが、しかし、それがかえって健康な証にも見えてくる。


そんな健康の権化、太陽の化身、子供は風の子という言葉の体現者である少年ユウヒとは対照的に、彼の母親が家の外で過ごす時間は、ユウヒの半分もなかったようだ。


そのせいというわけでもないが、彼女の肌は透き通るように白く、ユウヒが雪を見て


「母さんの肌とおんなじだね。」


というほどである。そんな雪女の肌よりも、真っ白な手袋を一年中左手にはめている。そして、その上から真っ赤な指輪を薬指にはめており、彼女と対面した場合に、一番目立つものとなっている。


ユウヒが以前に、その真っ赤な指輪について訊ねたことがある。母親は珍しく頬を桃色に染め、亡き夫から貰った指輪の話を聞かせてくれたのだった。


「あなたのお父さんがね、『君が月に照らされて、白に塗りつぶされても、自分を見つけられるように』って言って渡してくれたのよ。」


その話をユウヒが覚えているのかはわからないが、桃色に肌を染めた母の表情は印象的で、その時の顔だけは、記憶に深く焼き付いているに違いない。


しかし、現在のユウヒが彼女を思い出すなら、普段の白い肌を染めた桃色は、指輪同様、


 真っ赤に見えるのだろう。


自然豊かな森の中で暮らす親子。昼は太陽の光が優しく照らし、風が心地いい。そんな美しい場所だった。というのも、ほんの数分前までのお話だ。


目の前を埋め尽くすのは赤色の炎。目の前だけじゃない。あたり一面真っ赤である。そんな赤一色の中に、まるで染まることを許されなかった異物のように、ユウヒは茫然と立っていた。絶望の色に染まりながら。太陽が、お前のせいだと言わんばかりにユウヒをジリジリと照らす。


 熱い。アツイ。


 吹く風は、かつての心地よさを失い、ユウヒの呼吸を、その熱風で阻害する。


 クルシイ。苦しい。


そうして、炎、太陽、風に溶かされた異物はようやく染まることを許され、ゆっくりとユウヒの体は炎に侵されていく。


「どうして…。」


どうしてこうなったのか。誰しもが抱く疑問だ。しかし、その疑問に答えてくれる者はどこにもいない。


すべては既に、灰となってしまったのだから。






 その日はいつも以上に天気が良く、森を探検するには最高の日であった。この日に9歳の誕生日を迎えるユウヒは、そんな理由もあって、朝からご機嫌であった。


今朝採れたばかりの野菜で作られたスープと、飼っている鶏が今朝産んだばかりの卵の目玉焼き、そしてパンを頬張りながら、どこを探検しようかということで頭をいっぱいにしていたユウヒを見て、母親は少し心配そうにしている。


「ユウヒ?はしゃぐ気持ちはわかるけれども、あまり遠くまで行かないでね?この前の時なんて、帰りがあまりに遅いものだから、魔獣に襲われたんじゃないかって心配してしまったのだからね?」


そんな母親の姿を見て、胸を張りながら得意げに笑うユウヒ。


「心配ないよ母さん。俺強いんだから。魔物が出てきても風林丸で倒してみせるよ!」


身を乗り出しながらそう言って、外へ向かう扉の近くに立てかけてある木の棒を指さす。


「はぁ、お行儀悪いわ。早く食べてしまいなさい。食器を洗ってしまうから。」


呆れた、とため息をつき、食事を促す。ユウヒは座りなおして、残りの朝食に向き合う。


「ああ、うん。ごめんなさい。」


行儀の悪さを反省し、謝った後、少し急いで朝食を食べる。


朝食を食べ終えると、母親は台所へ向かう。水作業をするため、左手の手袋が邪魔になる。母親は、まず指輪を外し、ゆっくりと手袋を外す。左手が露わになったとき、彼女の表情が一瞬濁ったが、ユウヒには感じ取ることができなかった。隠されていた左手は、右手同様に白くきれいな手をしていた。


「どうしていつも左手を隠しているの?」


至極当然の疑問。であるにもかかわらず、それを聞かれた彼女は少しの間固まっていた。顔には何とも言えない表情が浮かび、しばし目を泳がせた後


「…そうね、難しい話になるからまた今度にしましょうか。」


苦笑いを浮かべ、外した指輪を再度指にはめる。どうやらあまり言いたくないようだ。そして、食器洗いを始めた。


「うーん。そっか。わかった。」


ユウヒが案外あっさりと質問を取り下げたので、彼女は、ホッと息をついた。


「ところでさ、どうしてもういっかい指輪したの?外したままのほうがやりやすいんじゃない?」


ユウヒが生まれてからの9年間、毎日、この一連の動作を行っていたというのに、これらの質問は今日がはじめてだった。手袋の件については、いつか聞かれることはある程度想定していたのか?あるいは、していなかったのか。どちらにせよ、先の答えによって時間を稼ぐことはできた。では、指輪の件はどうなのだろう?先の手袋のように答えをはぐらかすのか?


ユウヒは、手袋の件は、はぐらかされたなどとは思っていないだろう。ただ母親の口から出た言葉をそのまま答えとして受け取ったのだ。そもそもユウヒ自身、これらの質問に深い意味など込めていない。答えてもらえるならばそれでいいし、答えてもらわなくても、それならそれでかまわなかっただろう。ただ、自分が一つ大人になったことで、いつもと違うことをしてみたかったのかもしれない。それが今回の、気づいたことをそのまま聞いてみよう、という行動だったのだ。


さて、ユウヒの二つ目の質問に対しては、先ほどよりも早く、あまり間を置かずに答えが返ってきた。


「そうねえ、失くさないように…かな。」


少し遠く、ユウヒではない誰かに向けて言った言葉のようで、ユウヒは首をかしげながら


「んー、確かに落としたら困るもんね。」


と、納得した。それを聞いて彼女は一瞬驚いたように目を丸くして、


「はははっ、そうね。ええ、おとしたら大変だもの。」


と笑った。なにがおかしくて笑ったのか、ユウヒには見当もつかなかったが、ユウヒと彼女の想像している「失くしたくない物」は別だったのかもしれない。


そのあともしばらく、会話を楽しんでいた二人であったが、不意に扉が、ドンドンドンと叩かれ、二人の視線は外へ向かう扉へと注がれた。この家を訪れるものは全くいないわけではないが、それでもかなり珍しいことだった。とはいえ、たまに来る者は猟師が多く、この時期は狩りが活発に行われ始める時期であったため、猟師が来訪する度に、ユウヒはそれに同行していき、帰ってくると土産話に花を咲かせていた。


「きっと猟師さんだよ!扉をたたく音も力強かったし!今日はいい日だよ!」


今回も同行できると思ったユウヒはますます機嫌を良くし、扉へ駆けて行った。


「まだ、連れて行ってもらえるかわからないでしょ?」


やれやれ、と思いながらも、笑顔のまぶしい息子を見て、自然と口角が上がっていることに気づく彼女。やがて、扉に手をかけて、勢いよく引くユウヒ。しかしながら、そこに立っていたのは、銃を携えて狩りを行う者たちの装いとはだいぶかけ離れた、顔を覆い、黒いローブに身を包んだ者たちの姿だった。

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