第11話

 うちは目ぇを点にして口もぽかんと開けてたように思います。


「いずみちゃん、早う。早う描いて? うちのノート使てくれてかまへんから」


 いうて催促してくるんで、うちは言いました。


「冴子、申し訳ないんやけど、うちこういうの無理やわ……。ほんまごめん。見てるんが気色悪い」


 あの子の「描いてくれるやろう」いう期待のこもったキラキラした目ぇに遭うて断るんはほんま骨でした。胸がちくちく痛みました。


 そやけどほんま、うち無理やったんです、あかんかったんです、あんなんは。


 案の定、冴子はすっきりと綺麗な顔を曇らせて、


「なんでえ?」


 言いました。


「いずみちゃんが将来、漫画家さんになった時、役に立つかもわからへんのに」


 言うから、


「いやぁ、うちはでも恐怖もんの漫画は描かへんし」


 とか何とか言うて、渋々やけどごめんしてもらいましたよね。

 そしたら冴子は仕方なしにまた自分でスケッチするいうて、またそこへ座り込んでその気色の悪いもんを睨み睨みしながらノートに一生懸命写してましたわ。


 うちはそれを横に立ってぼんやり見てたつもりが、いつの間にかあの子の真剣な眼差しにまた吸い込まれるみたいに意識を持っていかれてました。まつ毛がちらちら動くんに釘付けにされてました。


 あの子には左側の髪の毛ぇを耳にかけて、その時にちょっとの間、耳たぶを親指と人差し指でくねくね揉むくせがあったんですけど、それがどうにも色っぽい仕草でねぇ……。こう、首ががばっと露わになってね。大体それをするのは心ここにあらずの時とか、手持ち無沙汰の時とかで、この時も、目の前のもんを凝視するのんに集中してたんやろうね。

 あの子の一生懸命なんはようわかってたけど、うちは白い首に見惚れてました。


 ドン引きはしてたんですよ。あないな気色悪いもんを、あないに大事そうに見つめるあの子に。

 せやけどなぁ、それでいてその時、うちはそこも引っくるめて自分がものすごう強うあの子に惹かれて行ってるんもわかったんです。


 ドン引きして距離を感じる反面、この子のことをもっと知りたいいう気持ちが大きゅう膨らんでいきました。


 捕まえられそうで捕まらんもんを捕えたいいうんかな。そういう心の動きはもしかしたら男性的なもんなんかもしれへんけど、とにかくそういう気持ちがうちの中に確実に芽生えていったんですね。


 で、この時初めて自分の心の動きに気づいてぎくっとなりました。深く追及したらあかんと本能的に感じました。


 一時間ぐらいそうしてたら冴子が、


「あかん! もう限界や!」


 言うてスケッチを止めました。


「蟻が多すぎてもう何がなにかわからへん」


 見せてもろたらたしかに何かしら黒い小さいもんが塊になってうようよしてるんかなぐらいのことしかわからん絵でしたね。目の前に描いてるもんがあるからこそ、かろうじてそのように見えるいうようなね。

 最初の絵もそうでしたけど、それがなかったから何の絵かさっぱりやと思います。


 うち、思わず笑てしまいました。「こんなもん」て言うては悪いけど、「こんなもん」をあないに必死な顔して描いて、仕上がったんがこれいうのと、あの子のギブアップした様が面白うて、ついね。


「何なん、いずみちゃん。そない笑うんやったら描いてくれたらええのに」


「ごめんごめん。バカにしてるつもりはないんやけど。冴子の一生懸命なんが面白かったもんで。せやけどなんでこんなもんがそないに気になるんか、うちにはわからへんわ」


 そうやって笑うことでさっきの胸に走ったぎくっとした感触がうやむやになってくれることに、うちは内心ほっとしました。

 でもそれはほんの束の間ぁのことでした。


 うちの言葉を受けて冴子が言うたんです。


「せやかていずみちゃん、これは自然のことなんやよ、生命のサイクルなんやよ。魂の抜けた肉体を微生物が分解したり、小さい生き物が解体していく。これはその自然のサイクルの過程の様子なんよ。自然のことなんやから美しいことなんやよ」


 そんなようなことをあの子は言うて、うちはその言葉にやられたんです、後から思うにね。


 あの子の言うことはすぐにはようわからんことが多かったけど、この時もほんまにそうで、せやけどそれがまたあの子を遠い存在に感じさせて、「捕まえたい!」いう気持ちがかきたてられたんがわかりました。


 またひやっとしましたね。うちのこの気持ちは何やろう、て、変な言い方かもわからんけど危機感みたいなもんを覚えたんです。


 それが証拠に見て、ほら。この日ぃの日記は何も文字はなくて冴子の簡単な姿絵だけになってるやろ、そんだけ動揺したんや思います。


 これはちょうど、蟻が集ってるんを見てるとこやね。


 その日ぃの晩は、「冴子のことをもっと知りたい」いう食い気味な素直な気持ちと、「この気持ちは何なんや」いう不安が行ったり来たりして、ふと時計見たらもう夜中の三時も周ってたんやったわ……。

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