023 南の森へ
急いで人目の付かない建物の影へ移動し、クロームの様子を伺う。
苦しげな声を洩らしていた本獣であったが、今は目を閉じてゆっくりと呼吸をしている。先程まで顰めていたその顔も今は緩んでいる。
「クローム、大丈夫?」
「……えぇ」
街中であるからなのか、その声はいつもより小さい。
「何があったのですか?」
「……南の森に残していた影が何かにやられたわ」
「やられた?」
「さっきの冒険者の話を聞いて《
「ちょっと待って。あの影ちゃんが不意を突かれたの?」
クロームの影魔法、《
「もちろん周辺の警戒は怠ってなかった。周囲に生物の魔力も感じなかった。その上で奇襲された。まるで急に現れたかのように出てきて、気付いた時には手遅れだった。……直前に意識をあっちに移してたからその瞬間を見てしまったわ。嫌ね、分身だったとしても殺される感覚を味わうのは」
「急に現れた……?さっきも似たような事を聞いたような――」
「あたしの影を喰ったのは大きな黒い蛇よ。あの冒険者達を襲ったという蛇、多分あいつが今南の森にいるわ」
考えるよりも先に体が動き立ち上がろうとする。だがその動きはとっさに握られた手の温もり、その主であるライカによって静止された。
「お待ちください。……まさかとは思いますが、南の森に行くおつもりですか?」
「そうだよ。シィルフィちゃんが危ない」
「クロームの影が遅れをとるほどの強力な魔物です。強個体の可能性もあります」
それはいつにも増して冷静な声――それすらも通り越して冷たさすら感じてしまうほど落ち着いた声で、ライカはまっすぐとこちらを見つめて諭すように語りかけてくる。
「もし向かわれるのであれば私やクロームが全力でペンネ様をお守りいたします。ですが強個体であれば話は別です。先程の冒険者のように誰かが大怪我を負う、あるいは死ぬかもしれません。これは避けられる危険です。ライ爺様の言葉をお忘れですか?」
強個体。「遭遇するようなことがあればすぐ逃げろ」と何度も聞かされていた存在。それほどまでに危険な魔物である。
現にあの銀級冒険者パーティは犠牲を出しつつも街へ帰還した。しかし全員が無事ではなくある者は身体を、ある者は心に傷を負った。漂う血の匂いと紅く煌めく大粒の涙が眼と鼻と脳裏に焼き付いている。
ふと脛に柔らかい感触を感じる。下を見るといつのまにかライカの腕の中から降りていたクロームがそこにいた。それはクロームの肉球の感触だ。離すことなく、かと言って力を込めるわけでもなくペンネの脛に右の前脚を添えている。
だが僅かに、ほんの僅かに。その脚に力を込めて肉球を押しつけているような感覚がある。押しつけた片脚を規則的な間隔でライカが気付かないような力加減で、ゆっくりと。
それはまるで母猫に甘える子猫のようにも見えて――だがクロームはこちらを見ようとはせず押しつけた前脚をじっと見ている。
「ライ爺様の言葉はちゃんと覚えているよ。それでも――私は南の森へシィルフィちゃんに危険を知らせに行く」
まっすぐとこちらを見つめてくるライカを見つめ返して、手を握り返して告げる。
「危険なのは分かってる。戦うつもりはなくても、それでも遭遇してしまう可能性があるのも。でも、今ここで動かないと後悔することになる気がする」
南の森に住んでいるらしいシィルフィとは昨日出会ったばかりで、危険な魔物がいる場所に行ってまで彼女を助ける仲ではないかもしれない。
けれど、後悔はしたくない。
ペンネにとっては初めての魔法使いの友人――になるかもしれない少女、シィルフィ・アネモスリーフ。
彼女に助けはいらないのかもしれない。余計なお世話かもしれない、杞憂になるかもしれない。
それでも自分は動きべきだ。彼女に急いで危険を知らせる必要があり、助けにいくべきだ。そんな感情が不思議と湧いてくる。この感情に細かい理由や理屈はきっといらない。ただ彼女とこれからも仲良くしたいだけ、それだけだ。
「それに、私の魔女様ならきっとこうする」
最後にそう告げると、それが決定打になったのかこちらをじっと見ていたライカは目を閉じて小さく息を吐く。
「分かりました。本来なら私は止めるべき立場ですが、ペンネ様が本気ならばもう止めません」
再びこちらを見つめてきたライカが意を決したように続ける。
「ペンネ様とシィルフィさんが無事に街に戻れるよう、全力でお守りします」
「もちろんライカとクロームもだよ。皆で一緒に戻ってこよう」
足下にいるクロームがいつの間にかこちらを見ている。彼女をそっと抱き上げると、クロームが静かに額をペンネに押しつけてくる。
「これはシィルフィちゃんの事が心配で私が勝手に動いてるだけ。ただの自己満足かもしれない。けれど私は南の森に行きたい。2人に力を貸して欲しい」
「了解いたしました」
「……分かったわ」
2人の従者の了承の声を確かに聞き届け頷く。そしてこの後どう動くべきか、思考を巡らし始める。
「(ありがとう)」
不意に胸元のクロームの額が僅かに揺れる。独り言のように呟かれたその言葉を聞き取ることはできなかったが、先程の何かを思い詰めたような雰囲気はなくなっていたのでとりあえずクロームを撫でておいた。
「かなり重いのだけど、大丈夫?持てるかねぇ?」
「お気遣いありがとうございます。ですが問題ありません」
「もうお店閉まってるかと思ったんですが助かりました、ありがとうございます」
「いえいえ。うちとしてもなかなか買い手が現れなかった商品が売れて大助かりだよ。お嬢ちゃんお金持ちだねぇ」
「多少値が張っても丈夫でしっかりとした物を探してたのでちょうどよかったです。それじゃ、私達急いでるので――ありがとうございました」
「はいはい、ありがとうね~。……あら、あのお姉さん見かけによらず力持ちなのねぇ。――それにしても、
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