016 ボアと森の違和感

 雷の魔力を纏わせたライカの手刀がブロンズボアに振り下ろされる。

 交錯する刹那の間に行われたその一撃は的確にボアの首を捉え、攻撃を受けたボアは突進の勢いをそのままに滑り込むこむように転がり止まった。何度かピクピクと体が震わせていたが、次第に動く回数は減りついにはまったく動かなくなった。


 倒れたボアの状態を確認したライカが首を縦に動かすのを待って側に近づく。

「お疲れ、ライカ」

「ありがとうございます、ペンネ様。このまま街まで運ぶ準備をしますね」

 ライカはそう言うと、ナイフを取り出して獲物の血抜き作業を行う。

 その一連の動きから疲労は感じられず、普段通りの手際の良さだ。ゴブリンの軍団、ブロンズボアとの連戦ではあったが特に問題はないようだ。

 ライカの作業が終わる前にこちらも運搬の準備をしていく。魔法鞄から取り出した真新しい茶色の革手袋を2つい地面に置き、続けて魔筆と魔核を取り出す。

 実際に近づいてみて再確認したが、このボアは大きい個体だ。全長はライカの身長よりも大きいかもしれない。これを普通の手段で運びだそうとするとかなり骨が折れそうだ。

 なので、いつものように魔法をイメージする。

 このままでは重すぎるボアを街まで運ぶための魔法。

 そして街へ戻った時に怪しまれないように説明できる魔法。

 魔核へ書き込む文字は《軽》と《甲》。

 革手袋へ投げ込まれた魔核はいつものように淡い光を解き放ち、それを浴びた革手袋が光り出す。その輝きが収まるのを待って革手袋を確認すると、革手袋はその形を別の物へと変えていた。

 ペンネがイメージしたのは甲冑の騎士が身に付けるような銀の篭手ガントレット。目の前にある革手袋だったものはその色は面影を残すものの、外見はまさしく騎士の篭手のような見た目に変化していた。魔筆の残りは6ゲージ。

「いつもこんな面倒くさいことをしなくても、もうちょっと楽な方法があるでしょうに……」

 少し呆れたような声を出す、肩に乗ったクロームを見て軽く微笑む。

 そして魔法鞄に手を入れ魔核を数個握り取った手の中に魔筆の尻軸を押し当てる。

 充電の終わった魔筆が10ゲージになっているのを確認して、魔筆を魔法鞄へしまい込んだ。




「ライカ、森から結構離れたし一旦休憩にしよっか」

「分かりました、ではボアを降ろしますね」

 前にいるライカとタイミングを合わせて枝に吊されたブロンズボアを地面に降ろすと、重量感を感じる鈍い音が響く。

 それを横たわらせ、布を敷き腰を下ろし篭手を外す。

 革手袋もとい茶色の篭手には軽量化の魔法を付与した。おかげでボアを吊した枝を2人で軽々と森の外まで運び出すことができた。

 肩に乗るクロームが敷布に降り体を伸ばし始めたので、魔法鞄から取り出した牛のミルクを皿によそう。

「お疲れ様、クローム」

 そう言いながら撫でてあげるとクロームは目を細めて気持ちよさそうな表情をしていたが、すぐに手から離れるように動き出しミルクを舐め始めた。その小さな影に後方から追いついてきた影の猫達が合流し1つの影へと戻っていく。

 ブロンズボアを運び出してから今まで魔物と遭遇しなかったのは《影猫シャドウ・キャット》で斥候を生み出し警戒してくれていたからだ。南の森に影を1体残している状態で追加で影を生み出していたので疲労していないか心配だったが、当の本獣はそんな素振りも見せること無くミルクをその小さい舌でちろちろと舐めている。

 その様子を見て安心し、魔法鞄からオレンジパールのジュースの入った瓶と木のコップを取り出す。コップにそれぞれ注ぎ1つをライカに渡してから自分もコップに口をつけて喉を潤す。

 オレンジパールのジュースはその味の調和の良さから、口の中をさっぱりさせたり喉を潤すのに適している。ほどよい甘みとしつこくない酸味が体に染み渡る。

 ふと空を見上げると太陽は真上からは少し傾いているように見える。朝にタンダルの街から森に来た時に掛かった時間から考えても、夕方になる前には余裕を持って街に帰れるはずだ。

「今日の冒険は大成功だね、ライカ」

「……そうですね」

 その返事が少し元気のなさそうな声に聞こえたので心配になってライカの顔を見る。しかしその顔色は一見いつもと変わらないように見える。

「どうしたのライカ?どこか体が痛む?」

「あっ、いえペンネ様。そういうわけではないのですが」

「何か気になることでもあった?」

 ライカは視線を僅かに下に落として何か考え事をしているようだったが、暫くしてその口をゆっくりと開いた。

「先程倒したこのボアに関してなのですが」

「ボア?ボアがどうかしたの?」

「はい。戦闘中に僅かに、ほんとに僅かになんですが違和感のようなものを感じました。森を出るまでは特に何も思わなかったのですが、今こうして一息ついているとその違和感が気になってしまって」

「違和感ってどんな感じ?」

「今まで戦ってきたボアには見られない何か、とでも言えばいいでしょうか。ただその何かを正しく言葉にできないのです」

 ライカが戦闘中にボアから感じた何か。それはきっと今まで何回もボアと戦ったことがあるライカだからこそ感じることができた違和感なのだろう。

「きっとライカだから感じられた違和感、だよね」

「すみませんペンネ様。曖昧なことを言ってしまって」

「ううん、教えてくれてありがとう。感じた事を共有するのは一緒に冒険するに当たってきっと大切なことだよ」

 ライカに微笑むと、彼女は申し訳なさそうに返事をする。

「クロームは何か感じませんでしたか?」

「そうね、私は直接戦ったわけではないからボアには特に何も感じなかったけど」

「そうですか……」

「ええ、けど確かに変な感じはするわ」

「変な感じ?」

「そ。あんた達の両手がボアを吊した枝を持つのに塞がってたからあたしが影を周囲に放って警戒してたわけなんだけど」

「うん」

「……いなかったのよ、魔物が」

「「魔物がいない?」」

「遠くまで影を走らせたわけじゃないからなんとも言えないんだけど、あのゴブリンがいた場所から帰りの道中は周囲に魔物はいなかった。隙だらけのあんた達を狙う魔物が1匹ぐらいいてもおかしくないのにね」

「魔物がいない……。南の森と同じだね」

 南の森も魔物の分布が森の東半分に偏っているとクロームが言っていた。このタンダルの北の森も同じように生息地が偏っているのだろうか。

「……ま、気になるなら帰って冒険者ギルドの受付にでも聞いてみればいいんじゃない?タンダルの周囲の森の魔物の偏りについて」

「そうだね。とりあえず情報を集めようかな」

 ペンネ達が住んでいた森では、タンダルの森で見られるような魔物の偏りはなかった。ライ爺と一緒にいる時に様子見のためかその場から動かず出てこない魔物は何度か出会ったことがあるが、周囲に魔物が全くいないといったことはなかったと記憶している。

 タンダルの森が元々そういう森であるということも考えられる。

(そうではなかった場合は――)

 一度気になってしまうとずっと気になってしまう。

(……ふぅ。一先ずはボアを持ち帰ってからかな)

 コップに残ったオレンジパールのジュースを一気に飲み干し、側に置いた茶色の篭手を見つめた。






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