008 精霊の泉と魔女様の墓標

 道なりに歩いて行き、南の森の入口へとたどり着く。木々が穏やかに揺れ木の葉が優しく音を奏でる森の中は、木漏れ日が差しているとはいえ少し薄暗い。

 道具屋の店主の話によるとこの入口から東の方角へ道が伸びており、その先のほぼ森の中心の『精霊の泉』がある地点から北を目指して進むと少し開けた丘へ出る。遠くのタンダルの街を望むことができるその丘には森の魔女様が眠る墓があり、魔女の娘は毎日そこを訪れているそうだ。

 

 腕の中にいたクロームが「降ろして」と言わんばかりに腕を叩くのでゆっくりと地面に降ろす。地面に降り立ったクロームから少し離れると、上品に座った本獣の影が揺らめきだす。その影は揺らめきながら次第に大きさを増していき、しばらくするとその影から分離するように影がひとつ、またひとつと飛び出していく。

 クロームは影の魔法を扱う。これはその影の魔法の1つ《影猫シャドウ・キャット》で、本獣の影に魔力を与えて実体化させ斥候として解き放ち周囲の偵察を行う。魔物との不意の遭遇を防ぐほか、人捜しや進路の確認ができる便利な魔法である。

 本体の影から飛び出し実体化した5体の影達はそれぞれ思い思いの行動をしており、後ろ脚で顔をかく影、地面に揺らめく木の葉の影を前脚で追う影、欠伸をする影、じゃれ合う2体の影。そんな影達もクロームが居住まいを正して彼女らと向き合うと、全員がさっと整列して本体と同じように姿勢を揃える。小さく「にゃっ」と本体が鳴くと、影達は静かに腰を上げ森へと走り出す。1体だけペンネ達の後ろに回った影は、ペンネ達の周囲を警戒する最後尾担当である。

「クローム、私、ライカの順で最後尾が影ちゃんね。それじゃあ行きますか」

 ライカは小さく頷き後方へ移動する。影達を見送ったクロームがこちらを一瞥して森へと歩みを進めたため、それに続いた。




 影による偵察があるとはいえ魔物と遭遇することを想定して進んでいたが道中何も起こることなく順調に進んでいく。クロームが解き放った影達が魔物を狩ってくれているからだと思っていたが、影達と情報を共有できるクロームに聞けばそうではないそうだ。

「じゃあ影ちゃん達は魔物とは戦ってないの?」

「そうね。偵察に専念させてるわ」

 前を歩く黒猫が口を開く。人の言葉を理解し話すことができるクロームであるがペンネやライカなどの素性を知る者の前でしか言葉を話さない。影を走らせた結果、今は他の人間がいないことが判明したためこうして会話している。

「そもそもこの森、魔物の数が少ないのよ。いたとしても低級のスライムやゴブリンだけ、しかも森の東へ集中してる。あたし達が通る場所とは関係ないから放置しても遭遇することはないでしょうし、それに無駄な魔力を使いたくないから。問題ないでしょ?」

「今回は討伐が目的ではないからそれで大丈夫だよ」

 先刻冒険者ギルドで受けた討伐依頼はタンダルの北西の森でのゴブリン討伐であるため、この南の森でゴブリンを狩っても意味が無い。ゴブリン討伐の依頼は、討伐を証明する物としてゴブリンの右耳を削ぎこれを提出することがギルドによって決められている。指定場所以外で討伐したゴブリンの右耳を提出し虚偽の達成報告をすることは違反行為であり、違反が発覚した場合はギルドによって重い罰則が科される。

「魔物の生息地が偏っている…変ですね」

 後ろを歩くライカが何かを考えるように呟く。

「この辺りは森の入口から近いし、冒険者がよく狩りに来てるから森の奥へ引っ込んだんじゃないかしら?」

「そうですね……だとしても森の西側にまったくいないというのも気味が悪いですが」

「そういえば今は森の中に人間がいないって言ってたけど、森の魔女様の娘さんらしき人も見当たらないってことだよね?」

「ええ。住処すら見当たらないわね」

「うーん、魔物のことといい娘さんのことといい謎が深まるなぁ……。あっ、精霊の泉が見えてきたよ」


 森の中ほどに石材で周囲を整えられた地面が現れ、その中心に位置する場所に白い石造りの噴水が鎮座している。ライカの身長ほどの高さの噴水は上の段から絶えずしぶきをあげながら下へ流れ、下の段に貯まった水は側面に備え付けられた穴から地面へ排出され石の側溝を流れたのち近くを通る小川へ流れている。

 人為的に作られたことが明白なこの噴水は『精霊の泉』と呼ばれておりノルーサの大地の各地に数多く存在する。絶えず水が湧き出ているのは噴水の中に水を生み出す魔石が埋め込まれているから、という説があるが詳しい原理は分かっていない。

 というのも『昔、解体を命令したとある領主が呪われて水が飲めなくなった』『魔法で破壊しようとしたら反射して返ってきた』など、数々の逸話があるため今では誰も噴水を解体しようとしない。

 そもそもノルーサの大地では精霊を信仰する民が多いため『精霊様が御座おわす泉』である噴水は大切にされている。


 いつ、誰が、何のために作ったのか分からない謎多き噴水『精霊の泉』。

 その白い石肌は汚れ1つなく、誰かが定期的に手入れしていることが分かる。森の中に鎮座する姿はどこか神秘的であり、木漏れ日を受けて輝いているようにも見えた。

 その噴水へ近づき立ったまま胸の前で掌を合わせ指を組む。精霊へ祈りを捧げる時の構えだ。右に寄りそうライカも同じく手を合わせ、クロームは座ったまま姿勢を正してじっと噴水を見ている。

(精霊王様のご加護がありますように)

 そっと目を閉じ祈りを捧げた。




 精霊の泉から北を目指して歩く。

 森の北にある丘へ至る道は先程までの道ほど整備されていないが人の行き来があるお陰か地面が踏み慣らされておりそれほど歩きにくいわけではない。地面の小枝がパキパキと折れる音が静寂に響くのを聞きながら進む。しばらくすると森の出口が見えてきた。

「良い景色……!」

 森を抜けた先にあるその丘は聞いていたとおり、遠くにタンダルの街の石壁が見える小高い丘だった。さらに進んでいくと丘の北側は崖になっているのが分かる。そしてその崖の手前には土色の石板があった。

「あれが森の魔女様の墓標でしょうか?」

 近づいてみるとその石板には文字が彫られていた。

 

 

 

『   エアリアル・アネモスリーフ

  タンダルを守護せし偉大なる魔法使い

                ここに眠る  』



「『エアリアル・アネモスリーフ』……」

 石板に彫られた名前を思わず読み上げる。

 ペンネの知る魔女様は自身のことを『アルトアート』と名乗っていた。これで『魔女様』と『森の魔女様』が他人であると判断してもよいのではないであろうか。

「よかったわね、あなたの魔女様ではなさそうで」

「……そうだね」

 先程精霊の泉でそうしたように掌を合わせ指を組む。

 精霊信仰では死者の魂は精霊によって導かれると信じられている。

 よって故人の魂が安らかに眠ることができるように精霊に祈りを捧げる。

 タンダルの守ったという偉大なる魔法使いに敬意を表し目を閉じる。

(精霊王様、かの者にどうか安らかな眠りをお与えください)


  目を開けて墓標の先に見えるタンダルを眺めていると、自然とため息が出る。

「どうかいたしましたか、ペンネ様」

「うん。……魔女様の手がかりがなくなっちゃったなって」

 行方知れずの魔女様がここに眠ってはいないと分かって一安心ではあるが、魔女様に関する情報がなくなったのも事実である。ペンネ達が住んでいた森を出て半月も経ってない上にそもそもこんなに早期に見つかるとも思ってはいないが、それはそれとしてがっかりもする。

「そうかしら?」

 振り返ったクロームは耳を震わせながらペンネを見ている。

 いや、見ているのはペンネではない。その先、ペンネの後方。先程出てきた森を見ている。

「森の魔女様の娘に薬のことは聞いてみてもいいんじゃない?」

「えっ?」

 クロームが誰かを見ていることに気付き、ライカと共に後ろへ振り向く。


 そこには黒髪の少女が立っていた。その手にはあの杖――少女の体には不釣り合いな少し大きめの杖が握られている。

 杖の上部に取り付けられた緑の石が太陽の光を受け、一瞬だけ煌めき輝いた。






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