004 市場での買い物

 ――翌日。



「焼きたてのパンはいかがですかー!」

「そこの強そうなお兄ちゃん、うちで店見ていっておくれよー」

「朝採れたばかりの新鮮なキャロットがお買い得ですよー!」


「わぁ…!」

 朝の早い時間から市場を訪れたペンネであったが、そのあまりの盛況ぶりに圧倒されていた。

 客を呼び込む女性の声、商品を値切ろうとする冒険者と粘る店主の応酬、焼けた小麦の生地の食欲をそそられる甘い匂いに行き交う人々の流れるような動き。

 森での生活中はこんなにも多くの人間を視界に映すことはなかった。声も。匂いも。雰囲気でさえも。その全てが新鮮だった。ワーラの街の市場のこじんまりとした感じも悪くなかったが、このタンダルの市場のような活気溢れるこの空気も良い。

「凄い賑わいですね…!」と黄色い従者ライカも同様に目を輝かせて辺りを見回している。


「さて、まずは朝ご飯を確保しよっか」

 そう言いながらライカの前に右手を差し出す。ざっと見える範囲だけでも様々な店があるので早速見て回りたいがひとまずは腹拵えが優先だ。昨夜は厚意でご馳走になったスープと手持ちの黒パンという軽めの夕食で済ませたため、胃は既に警音を鳴らしている。

 しかし差し出した掌に一向に返答が返ってこない。肝心のライカはその掌に視線を落とし少し見つめたのち、こちらを見て不思議そうにしながら首を軽く横に倒した。見目麗しい彼女らしからぬその仕草は、まるでその意味を理解できない幼子のようだった。

「はぐれちゃいけないから手をつなごう」

 市場の通路が埋まってしまうほどではないがそれなりに人の往来はある。これから人が増えてくることも予想できる。慣れない土地ではぐれるのは避けたい。

 その言葉で差し出された手の意味をようやく理解したらしいライカの表情が一気に明るくなる。瞳が輝きを増していくのが見える。

「はい、ご一緒します……!」

 そう言いながら掌を重ねてきたライカと共に歩き出す。その手に少しだけ力を込めると彼女もまた握り返してくる。決して離さないとでも主張してきそうな従者の手の温もりとほどよい圧迫を感じ、ペンネの口角が自然と上がる。

 ライカとは赤子だったペンネが森の爺様達に預けられた頃からの仲だ。同じく赤子だったライカと森の中で共に育ち学んだ。今では従者としてペンネを守ってくれている。その丁寧な口調や立ち振る舞いからたまに年上と接しているような感覚に陥ることもあるが――。

(やっぱり妹みたいなんだよね)

 久しく見ていなかったライカの表情を見て、ペンネは少し懐かしい気持ちになった。




 市場を散策し美味しそうな物を1つまた1つと買っていきバスケットへ入れていく。焼きたての茶色パン、橙色のジャムを1瓶、果物、鮮やかな色のレーズンが入った紙袋。バスケットの中がいっぱいになりつつあるので次の店で一旦打ち止めにするつもりだ。

「いらっしゃいお嬢ちゃん方。タンダル名物、牛のミルクはいかが?」

 屋台を訪れると椅子に座っていた男性がすぐに立ち上がる。愛想のよさそうな店主は缶の中へ杓を入れ掬った液体をコップに注ぐ。差し出してきたので中を見ると小さな木製のコップの中で純白のミルクが揺れていた。「どうぞ」と試飲を勧められたのでお礼を言って受け取り、ゆっくりと口へ含む。

「おいしい……!」

 口の中にじんわりと優しい甘みが広がる。独特の嫌な風味はほとんど感じられず芳醇な香りが口の奥から鼻へと駆け抜ける。癖がないながらも濃厚さを感じられる味だ。そしてひんやりとしていて飲みやすい。

「冷たくておいしいですね……!」

 ライカも感想を口にすると、店主はそのにこやかな顔をさらに破顔させる。

「そうだろう?朝搾ったばかりのミルクに専用の魔道具で浄化を掛けてあるから余所のミルクとは味も風味も違う。このミルク缶も魔道具で冷やしてあるから鮮度も抜群、冷たくて喉越しもいい。ノルーサいちの牛のミルクだ、ちょっと値は張るがここでしか味わえないよ」

 店主は最後に「さぁ、どうだい」と締めくくり腕を軽く横へ広げる。その流れるような喋りと動きから自信と商売魂をひしひしと感じる。もちろん、これがお目当てだったため購入する。

「この瓶に入れてもらうことってできますか?」

 そう言いながらペンネは肩に掛けている鞄から瓶を取り出す。小さな鞄から出てきた空のガラス瓶は鞄と同じかそれ以上の大きさだ。

「……こいつは驚いた。お嬢ちゃん、そいつはもしかして――」

 そこまで違和感のある大きさではないので気付かれないと思って取り出したが流石商人とでも言えばいいのか、目と勘は鋭い。軽率だった自分の行動を反省しつつ、目を丸くして鞄を見ている男性に静かに微笑む。瓶を持つ手の人差し指をそっと唇に近づけると、我に返った店主は咳払いをして続ける。

「……まさかをお嬢ちゃんみたいな子が持ってるとはなぁ」

 店主の言うとは魔法鞄。空間魔法が付与された魔法の袋――所謂アイテムボックスである。見た目以上の容量を持ちいくら入れても重量が変わらないそれは、常に物資の積載量に悩まされる冒険者や商人にとって夢のようなマジックアイテムである。流通量が少なく高値で取引されるため限られた者しか所持できない憧れのアイテムの1つだ。

「冒険者の仲間から貰った鞄なんです。小さめの物なんでちょっとだけ多く入る程度ですよ」

 そう言いながら瓶を差し出し、陳列に置いてあるチーズを大きめに切るようにお願いする。変に勘ぐられて周りに注目される前にこの話題を打ち切るためだ。真実は半分しか語ってないが今はこれでいい。

 それで何かを察した店主はすぐに言動を切り替えて対応してくれたので助かった。しばらくタンダルに滞在する予定なのでまた来る旨を伝えると店主は大層喜んだ。店を去る前にもう一度唇に人差し指を当てて悪戯っぽく微笑むと、店主は親指を立て控えめに手を挙げ、にかっと歯を見せ笑って見送ってくれた。



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