003 水の王国ミュロス、南東の街タンダル

 『ミュロス』。ノルーサに存在する7つの国家、その中央に位置する王国。別名『水の王国』。豊富な水量がその由来であり、その多くは国の北東に悠々とそびえ立つミュロス山からもたらされる。その清流の恵みによって国土の殆どが草原や森林といった緑で溢れる自然豊かな国でもある。

 『タンダル』はミュロスの南東に位置する街である。それなりに大きな街ではあるがタンダルの北の方角にある街が王都ミュロスにより近くまた交易の街として栄えているため、冒険者や商人にとってはその街までの中継地という扱いだそうだ。

「タンダルは牛さんのミルクが美味しいので訪れたら是非飲んでみてくださいねぇ」とは森の爺様、ライ爺の孫娘であるメェ姉様の言葉だ。メェ姉様は穏やかで優しい性格の女性でペンネにとって母でもあり姉のようでもある人だ。人里離れた森の中で生活するペンネやライカが生きていくのに困ることがないように、と文字の読み書きや計算、ノルーサの地理や歴史など様々なことを教えてくれた。そのお陰で森の外での冒険者生活を開始して半月弱経つが現状困ったことは何一つない。



 タンダルの街へ入ったペンネ達は早々に宿を探し寝床を確保した。先程通ったタンダルの西門からそう遠くない宿で、2人用の部屋がちょうど空いており値段も手頃だったため即決だった。宿屋『パルピー』の女主人に5日分の宿泊費を支払い2階の部屋に案内してもらい、中を軽く見渡す。1人用のベッドが2つと小さなテーブルが1つ、大きな窓の近くに棚があるだけ……と簡素ではあるが掃除が行き届いており清潔感のある悪くない部屋だった。

 一息つくためにベッドに腰掛け窓を見た時には外は既に薄暗く青い夕闇に染まっていた。

「明日の予定はいかがなされますか?」

 ペンネと向かい合うようにもう片方のベッドに腰掛けたライカが口を開く。黒猫はお気に入りの場所を見つけたのか、ペンネが座るベッドに畳んで置いてある毛布のふかふかな部分に体を沈めている。ちなみに黒猫は他の客に迷惑をかけないことと少しだけ撫でさせてあげることを条件に部屋での同衾を許可してもらった。一括前払いで宿泊費を出したことも相まって、女主人はご満悦で部屋に案内してくれてなんと今日の夕食分のスープもサービスしてくれるそうだ。黒猫様様である。当の本獣は少し不服そうではあったが。

「ん~、明日は街を見て回ろうかな。折角ワーラでいっぱい依頼をこなして余裕ができたんだし」

 今朝まで滞在していた街『ワーラ』で冒険者として依頼を数件こなして報酬金を受け取っているためそれなりに懐が暖まっている。

「ライカが頑張ってくれたから、明日はちょっと贅沢して美味しい物いっぱい食べようね」

「はい、今から楽しみです」

 口元に手を持っていきライカは上品に微笑む。黄色の長髪の先端を寝具に垂らし行儀良く脚を閉じて座り微笑む従者の姿は絵になりそうなほど気品に溢れている。

 ライカはペンネよりも身長が高く細身で均整のとれた体型をしている。凜々しくありつつも女性らしい麗しさも併せ持つ上品な顔立ちは、同じ女性であるペンネから贔屓目なしで見ても格好良く、そして美しい。冷静沈着で誰に対しても優しく礼儀正しく、2人でいるとライカが年上に見えるのかよく姉妹と間違えられる。

「朝になったら市場が開くみたい、きっとミルクもあるよね」

「メェ姉様が仰っていたタンダル名物の牛のミルクですね」

「そう!あの料理が得意なメェ姉様が言うんだから絶対美味しいはず。きっとクロームも気に入るよ」

 そう言いつつ黒猫クロームをそっと右手で撫でる。本獣は特に気にする様子もなくされるがままになでなでを受け入れて気持ちよさそうにしている。

 クロームと知り合って早1年、共に生活するようになってまだ一月と経っていない。最初は撫でることも近づくことも許してくれず森の中で孤独に生きていたあの黒猫が、今はこの有様である。過剰な触れ合いはまだ許してくれない――というよりは照れているようであまりしつこくすると柔らかい肉球をお見舞いされるが、心底嫌がっている様子は見られないのである程度は信頼されてきているのだと思う。森で出会った時の事を思い出しながらクロームを見つめていると本獣に「何よ?」とでも言いたげな半目で軽く睨まれたので、何でも無いよ?と笑顔で返しておいた。

 ふとライカへ目を移すと、ライカがクロームを見ている。どこか遠い景色でも見ているようなその瞳は、きっとペンネと同じように少し前のクロームの姿を思い返しているのだろう。「ライカ?」と呼び掛けるとはっと我に返ったような素振りを見せた。

「どうしたの?」

「いえ……ただ」

「ただ?」

クロームがここまで心を許してくれるようになったのだな、と」

 (それは敢えて言わないでいたのに)と思ったのもつかの間、撫でていた右手にぷにっとした、いつもより強めの衝撃が飛んできた。

 

 その日、クロームが再びなでなでを受け入れることはなかった。



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