002 新たな街の入口にて
頬に柔らかいものが触れる。
そのぷにぷにとした感触によってペンネは眠りの世界から引き戻された。小さく口を開け息を吐いた後に少しだけ目を開けると、ふやけた視界に映ったのはふわふわとした黒い毛玉。視界に映る毛玉は、短い前脚を精一杯前に伸ばしその先の柔らかい部分を頬にぺしぺしと触れる。適度な固さがありつつも柔らかで弾力があるそれは少しひんやりとしていて気持ちいい。
「ペンネ様、起きてください」
「…ん〜…?」
ペンネが夢うつつにそのぷにぷにを味わっていると右隣から声が聞こえた。ペンネの幼馴染であり従者でもあるライカの声だ。その聞き慣れた声色が聞こえたことでまだ少し曖昧だった意識が色を取り戻す。ゆっくりと目を開けたペンネの目の前には黒い毛玉―—もとい黒猫がおり、今もまた頬をぺしぺしと叩いてくる。ペンネはそのもう1人の従者をゆっくりと両手で抱き上げた。成獣にしては少し小柄な黒猫は、持ち上げられたのが不服だったのか届かなくなった前脚の代わりに後脚を勢いよく前へ伸ばす。その様子が可愛かったので少し眺めていたが不意に鼻を塞がれてしまい「ふにぇっ」と気の抜けた声が出てしまった。少女の手から器用に脱出し着地した黒猫に「失礼しちゃうわね」とでも言いたげに鼻をつんと突き出しそっぽを向かれた。その一連の様子を見ていた同じ乗り合いの馬車の
「ペンネ様、そろそろ到着いたしますよ」
そう話すライカが馬車の進行方向へ顔を向けたのでペンネも前を見ようと体を起こす。慣れない長時間の馬車での移動に加え先程まで寝ていたためだろうが体が少し重く感じる。しかし、まだ遠くではあるが目的地である街の石壁を視界に捉えたことで体の気怠さは吹き飛び、同時にこの街での新たな体験への期待で胸が高鳴っていくのを感じた。
街に入る前で乗り合い馬車を降りる。御者に礼を言い、ずっしりとした体型の2頭の馬にも礼を言い1匹づつ頭を撫でる。馬は目を細めてこちらをじっと見ていたが、撫でていた馬が身震いしたかと思うと御者に促されるわけでもなくゆっくり進みだした。それを少しだけ見送ったのち、街へ入る手続き待ちの列へ並ぶ前に少し街の外周を見渡す。
街はペンネの身長の3倍ほどはある土色の石壁で囲われている。今日の朝まで滞在していた辺境の街―ほぼ村と言っていいほどの大きさではあったが―では堀と木の柵で街を守っていたため、その街よりは守りは堅そうだ。しかしその壁も今や淡い朱を移しつつあり、まだ日がある内に宿を確保したいので早々に列の最後尾にライカと並ぶ。ちなみに黒猫はライカに抱かれる形で腕の中で丸まっている。
街の入口にある大きな木の門は今は開かれていて、先程の馬車もその中を通っていく。御者が御者台に座ったまま何かを設置された石版にかざし、それを確認した門兵が御者に手を挙げて確認の合図をしている。頻繁に街に出入りする時はあの石版で手続きをするのだろうか。
何故か既視感を覚えてしまったペンネが、石版にカードをかざし街に入る馬車や冒険者のその光景を見ていると、ふと反対側の壁際を歩く人影が目に留まった。それは黒髪の少女で、歳は近いように見える。それだけならば特に気にすることもなかった。目に留まったのはその少女がその身体には不釣り合いな少し大きめの杖を持っていたからであろうか、気付けば目で追ってしまっていた。設置された石版で認証を済ませた彼女がその杖を握り街の外に早足で出て行く。その杖に取り付けられた宝石あるいは水晶ような石は、門を出て日陰から出たことで夕日の朱の光を浴びると同時にその薄緑色の光を少しだけ煌めかせた。
「ペンネ様?」とライカに声をかけられたペンネが我に返ると、既に列は進んでおりペンネの前にはすでに2,3人分の空間が出来ていた。適当に誤魔化し列を詰めたペンネはもう一度だけ後ろに振り向いたがすでに少女の姿はなく、淡い朱色に染まった山がペンネを見下ろすだけだった。
「冒険者カードをお持ちの方は提示してください」
門兵にそう言われペンネとライカはそれぞれカードを取り出す。冒険者は冒険者ギルドに登録することで冒険者カードを発行してもらえる。ノルーサの大地を自由に移動できる冒険者にとってはそれは自分の身分を証明できる唯一の証であり、それがなければ街へ入るため煩雑な手続きと門の通行料が必要になる。「旅をするならば持っておいて損はない、むしろ特しかないですぞ」と森の爺様に言われたため、ペンネもライカも冒険者カードを取得している。
ペンネの育ての親の1人である森の爺様、正しくは名をライ爺といい昔は冒険者としてノルーサの大地を旅していたそうでその辺りの情報に詳しかったため森での「
門兵は2人から受け取った冒険者カードを順番に石版にかざす。かざした石版に掘られた溝が紫色に淡く光り、登録が終わったのかすぐにその光は消えカードが返却される。
「水の王国ミュロスの南東の街タンダルへようこそ、お嬢さん達。よき滞在になることを願っております」
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