魔法使いのペンシィル ~魔筆の少女と精霊の乙女たち~
咲良あらじ
序章 魔筆の少女と魔女の娘
001 少女ペンネ
青葉の匂いを含んだ暖かな風が
春風はそのまま草原を柔らかく撫で、緑の絨毯がそれを追いかけていく。
馬蹄が地面を鳴らし木製の車輪が軽快な音を立てて回り、草原の中の一本道を進んでいく。
こんな春の気持ちよい陽気と適度な揺れの中で目を閉じればすぐに眠ってしまいそうだな———などと考えていた少女は、突如高所から落下するような感覚に襲われて、ようやく自身が眠りの世界へ旅立とうとしていたことに気付いた。
「んぁっ…」
小さく欠伸をした少女は、ゆっくりと瞼を開く。薄茶色の髪が馬車に揺られ、髪と同じ色のその瞳は動かず、少女は膝を立て座った姿勢のままへ右へ倒れ込もうとする。しかし布の柔らかな音が少女の頭部を受け止めた。
「お眠りになられますか、ペンネ様?」
問いかけられた少女はやはり瞳を動かそうとはせずに、左腕を動かし自身の腹部と大腿部の間にできた隙間に乗っている黒い毛玉のようなものをゆっくりと撫でる。触れられた黒いふわふわ、短い毛の塊——小さな猫は一瞬体を震わせたが、特に気にしていないのかされるがままに撫でられている。時折喉を鳴らしているので気持ち良いのだろう、黒い尾がたまにだらしなく左右に振れている。
そうして何回か撫でていたその手の動きも徐々に緩やかになっていき、ついには止まってしまい少女が先ほどの問いに答える。
「うん、少し寝るね…」
「分かりました、街に到着したらお声かけします」
「ん、ありがとう…ライカ」
少女はか細い声でそう返答し、その潤んだ薄茶色の瞳を再び閉じた。
—次の街はどんな所なのだろうか、どんな人と出会うのだろうか。
“街”と言う言葉に反応して少女は乗り合いの馬車の目的地、新たな街への思いを馳せたが、掌に触れる暖かな毛の触感と小さいながらも力強い鼓動を感じられなくなるまでにそう時間は掛からなかった。
少女ペンネは駆け出しの冒険者である。
今年で15の歳になるペンネは雪解けが終わる新たな命の芽吹の季節に、それまで住んでいた山を下って冒険者としての活動を開始した。
街に出るまではとある山の森の中で老齢の爺様、爺様の孫娘、ライカの4人で生活していた。そして10の歳になるまではもう1人———ペンネを拾った魔女様も共に暮らしていた。
本来の両親はペンネが生まれて間もない赤子の時に不幸な事故に合って死亡したらしく、不憫に思った魔女様がペンネを拾い、魔女様の知り合いである爺様とその孫娘に預けられた。なので育ての親は実質的にはその2人である。
暮らしていたとは言っても魔女様は大半は山の外に出ておりたまに帰ってくる程度で、かなりの多忙であったらしいことをペンネは覚えている。しかし、山に帰ってきて次に出ていくまでの短い時間の合間でペンネは魔女様に色々な不思議な術——魔法を見せてもらった。
魔法——この世界『ノルーサ』の大地で暮らす生命体ならば、量の大小はあれど誰しもが持つ魔力を使い奇跡を起こす術。
何もないところから火花を散らし火を起こすような簡単な生活魔法、生み出した土塊や風の刃を飛ばす攻撃魔法、傷を治す治療魔法など、この世界には様々な種類の魔法があり普段の生活や魔物との戦闘で重宝されている。
ペンネは魔女様の魔法が大好きだ。
辺り一面の地面を花満開にする魔法。
一時的に森の動物の言葉を理解できるようになる魔法。
魔法で風を操って一緒に空を飛んだ。
空間の魔法で異空間に保存しておいた、当時王都で流行っていた冷たい菓子を皆と一緒に食べたこともある。(あとで知ったことなのだが魔女様はかなり高位の魔法使いだったらしく、空間魔法を扱える魔法使いはノルーサでもかなり貴重な魔法使いなのだそうだ。)
血の繋がりはないが、魔女様はペンネのことをとてもよく可愛がってくれて色々な魔法を見せてくれた。
そんな経緯もありペンネは自身を拾ってくれた魔女様に、さらにいえば魔法使いに強く憧れるようになった。魔女様が見せてくれた魔法、有り得ざる奇跡を生み出す不思議な力。将来、自分も魔女様のような色々な魔法を扱える魔法使いになりたい。そう思うようになったのはある意味当然だったと言える。
魔法使いになりたい。
ただ、その夢を叶えるにあたって1つ重大な問題があった。
ペンネは魔法が使えなかったのである。
ペンネは、赤子の時から今に至るまでその身に魔力を持たない、本来ノルーサで生まれた生命ならばあるべきはずの魔力を一切持たない特異な人間だった。
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