第27話

お兄ちゃんは人間では無い。そう気づいたのは、物心が着いてからすぐだった。ベルラよりも7歳上の兄は、人間への変化が得意ではなかった。

魔族の子どもによくある話である。完全な人間体になるのが苦手な子は一定数いて、ジスラはそのうちの一人だったのだ。

特に長い舌と細い瞳。人間体になるにはこれを人間のものに見せなければならなかったのだが、ジスラには難しかった。

ジスラは舌が見えないように口を閉ざし、アイマスクをするようになった。元々活発的な性格ではなかったが、10歳頃に自我が芽生えてからはほとんど外で遊ばなくなってしまった。魔蛇族の母親と人間の父親の間に生まれた魔族であるジスラと、人間であるベルラ。一緒に暮らしていても、理解が及ばない存在。それがベルラにとっての兄……ジスラであった。

幼少期のベルラが絵本で知った『魔界』は、ジスラのような人では無い者たちが暮らすところだという。

(余は魔界を見つけ、お兄ちゃんと一緒に住むんだぞ……!吸血鬼なんかに負けないんだぞ!)



18時30分。秋の日はなんとやら。教室が暗い。

トナとジスラ、ロレシオが女装して待機する2人のいる近くの教室に固まって座っている。

「あんたは帰っても大丈夫だぜ。親御サンが心配するだろう」

「僕は一人暮らしなんですよー。だから夜遅くなっても大丈夫ですー。それに、吸血鬼に興味が無いわけじゃないですしー」

「そうなのかい?」

「……だって、飢えてもないのに生徒を襲うなんて」


「考えられないじゃないですかー」


「「……」」

トナとジスラが顔を見合わせる。ジスラが頷いた。

「たしかにな。何を考えているのか分からん吸血鬼だ」

(飢えているならともかく、とでも言いたそうだな。あまり深入りはしないが、まさか……)

ロレシオも魔族なのか。珍しいことでは無いが。

(ベルラの周りには魔族が集まりやすいのかね)




(怖い……)

ベルラは俯いて目を瞑っている。

(怖いぞ!ロレシオには強気に出てしまったが、やっぱり帰りたいんだぞ!)

お腹が鳴る。

(父さんと母さんの作る夕ご飯が食べたいんだぞ……)

ため息。時計を見ると、18時45分だ。

(ダメだダメだ!余がしっかりしないと!)

首を振って、目を開ける。

そのときだった。

「うひゃあ!?」

後ろから腕を掴まれたのだ。足音がなかったから気づかなかったが、既に後ろにいたのだ。

「う……あ……!」

声が出ない。吸血鬼はベルラの腕を強く握る。

「いっ!?」

(痛い!怖い!)

前のめりに倒れ、逃げようとする。しかし、はやい。馬乗りに。重さで変な声が出る。

吸血鬼は興奮しているようだ。息が荒い。ベルラを女子生徒だと思っているのだろう。

(やっぱり変態なんだぞ……!)

涙目になる。頭を掴まれ、息が詰まる。

(怖い、が、逃げないぞ!余は魔界に行きたい!)

「……え」

「は……?」

ベルラが全身に力を込め、上体を起き上がらせて吸血鬼を睨んだ。瞬間、両者の目が点になる。

「男子生徒!?」

「お、オマエは!」


「すまない。遅くなった」


ドスッ!鈍い音がして、吸血鬼がベルラの上に倒れ込む。後ろから攻撃を受けたのだ。

「はあっ、はあっ……ベルラの方が女子っぽかったのかよお」

「運さ。気に病むなよ、クオス」

「キャハハッ! ってか、大丈夫かあ?ベルラ」

「……な、なんとか」

「上出来だ。よく頑張ったね。さあ、後はオトナの時間だぜ。行こうか、ジスラ」

「了解だ」


「っ……!」

吸血鬼が逃げようと翼を開く。しかし、上手く動けない。

「すまないね。あんたは生徒に危害を与えた。今、俺たちの目の前で。だから逃がす訳にはいかないのさ。ええと、こういうのってなんて言うんだっけ」

「現行犯逮捕だ」

「そうそれ!ゲンコウハンタイホさァ!」

トナが腕を突き出す。

「ぐっ!?」

「あまり使う機会はないが、俺の得意な魔法は『相手の魔法を制限する魔法』だぜ。正確には、魔力を吸い取るんだがね。……あんたがしようとしたことさ」

「この程度……!」

吸血鬼がマントを翻し、ベルラから離れた。

「ジスラの一撃をモロに受けている時点で、あんたの敗北は見えている。無駄な抵抗は……」

「罪を重くするだけだ」

「そうそれ!」

「黙れ!」

吸血鬼が細かいガラスの破片のような尖った氷をジスラにぶつけた。ジスラの頬に傷がつく。

「おっと、大丈夫かい?」

「……痛いな」

「お兄ちゃん!」

ベルラは今にも泣きそうだ。


「だが、問題無い」


「俺は強い」



口内から現れて頬の傷の血を舐めた舌は細長く、先が2つに割れていた。


「ひっ!?お前も魔族か!?」


「ジスラ、アイマスクは取らなくていいのかい?もう日没はとっくに過ぎているぜ」

「そうだな、トナ兄」

アイマスクを上げる。ピンク色の瞳は、蛇のように細かった。


「魔蛇族!?……はっ、まさか」


「ああ。そのまさかさ。俺があんたの動きを制限した理由、分かったかい?」

「ま、待て……話を……!」

ジスラが早口で呪文を唱える。吸血鬼の瞼が下がっていく。

「ここで眠らせるのは規則上問題無い。話は署でするものだ」

「ね、眠り……毒……」


吸血鬼はあっけなく眠ってしまった。元々の魔力が高かったわけではないようだ。

「仲間が出てくるかと思ったが、完全に単独での犯行だったようだ」

「まあ、襲われた人数も少なかったしな。よっと!」

トナが腕を引く。引き摺られる吸血鬼。

「女子生徒数名と、最初に誘拐されたらしい新任教師が被害者か。どんな刑になるんだい?」

「刑の内容が示されるのは政府に報告後、調査してからの話だ。重要なのは最初の被害者の今の状況だろう。もし殺害されていれば、刑はそれだけ重く……」

「そ、それなんだが……」

ジスラの説明を遮ったのはベルラだ。

「この吸血鬼、最初に誘拐されたって言われてたエゲル先生だぞ……」

「そうだよなあ。メガネ外して髪型も変えてイメチェンしてるけどよお、エゲちだよなあ」

「やっぱりそうだよねー?エゲル先生だよねー」


「「なっ……!?」」





〜翌日 校長室〜



「吸血鬼がエゲル先生だったとは……」

校長は頭を抱えている。これからいろいろな書類の作成業務があるのだろう。可哀想に。

「見抜けなかった私たちの責任だな」

「魔族ということは知っていたんですかい?」

校長が首を横に振る。

「いや……。生徒の中にも人間だと言って入学する者は多い。教師も同じだ」

「偏見ですか……」

「魔族だというだけで気味悪がられ、生徒やその親に嫌がらせをされることがあるのかもしれない」

低い声で呟いたのはジスラだ。トナが眉を上げる。

「それがあの吸血鬼の犯行動機の場合、刑の内容はガラリと変わるだろう」

「なるほどね。さすが保安官サンだ。詳しいね」

「だが、」


「だが、あの教師は生徒から……ベルラのクラスメイトから慕われていたように感じた」


「それに、襲う対象を選んでいた。これは証拠がある」

「たしかに、俺たちのようなでかい野郎は襲わなかったね」

「そうだ。学校での嫌がらせもなく、飢えているわけでもなかった場合は、」

「……彼の処分については私も覚悟しておこう。ありがとう、2人とも」



校長室の扉を閉める。ジスラはアイマスクをつけたまま真っ直ぐ歩いている。

「あんたは魔族として生きていることで嫌な思いをしたことはあったのかい?」

「あったな」

「……そうかい」

トナが目を伏せる。

「だが、問題無い」


「俺は強い」


アイマスクをしていても真っ直ぐ歩けるのは、魔蛇族の能力である。彼らは人間にはない器官を使って五感以外からも情報を得ることができる。

「うん、あんたは強いさ」

「そうだ」

「くくくっ……」

脇に抱えた封筒に入ったたくさんの報酬で食事にでも行こうか。トナがそう誘うと、ジスラは黙って頷いた。

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