第9話
トナの朝は早い。が、今日はまだ眠っている。
「ん〜……んう……」
朝陽の差し込む部屋で寝返り。大きな背中に長い髪が流れる。
―アントナさん〜、朝ごはんできたわよ〜。
―あらあら、まだ起きないのかしら?お寝坊さん。
―困ったわ〜。パンが固くなっちゃうわ〜。
「ルル…………」
夢の中の妻が優しく笑う。
「ルル、愛してい……う゛っ!」
ドスンッ!!!
90キロの体がベッドから落ちた。痛みで一気に目が覚める。
「いてて……、ふあ……」
チラリと時計を見て飛び上がる。
「ヤバ!!!」
アラームを掛け忘れたらしい。約束の10時を30分過ぎている。
「遅刻はマズいね……。よっと!」
浮遊魔法で洗面所まで移動し、身支度をする。
「んー……どう言い訳するかね……」
今日は10時からレウォの交友関係の調査に行く約束だった。ホウオウと。
「チャット送るか。ええと、あ、交換してない」
ホウオウに用意されたソクジュのホテルの一室を後にする。猶予はあと6日だ。
ホウオウは、寝ていた。
部屋に着くと、変化したまま翼を下げて丸くなっていた。
トナは心の中でガッツポーズをして、口角を上げながら近づく。
「ホウオウサマ、起きてください」
「……む?んう!?ね、眠って……いないぞ」
無言でニコニコするトナ。ホウオウは慌てて人間体になる。
(一瞬の変化だったね。すごい)
はやくしようと思えばはやくできるようだ。
「こほんっ。少し遅れたが、偵察に……」
「ホウオウ様見るー!」
「わー!ホウオウ様!」
「楽しみー!」
ドアの向こうから子どもの声が聞こえる。ホウオウの眉が下がる。
「あ……見学の子どもたちだ」
「……俺一人で行ってこよう」
「え」
「あの子たちはあんたを見に来たんだろう?レウォサンのことは後で報告するから任せてくれ」
「……!」
「ほうら、変化して。ドア開けちまうぜ?」
「わ、分かった!」
ホウオウが変化する。大きな大きな鳥になった。
「うん、でっかい鳥だぜ」
「でっか……い……鳥……」
「間違えた。神々しいでっかい鳥だ」
ドアを開く。子どもたちの目が、ホウオウを見てキラキラと輝いた。
「さあて、少し遅れちまったが……今日も仕事に行くかね」
ソクジュの街を歩く。観光地らしく、たくさんの人間と魔族がいる。
「うおっと」
いろいろな知性体が歩いているなあと見回しながら歩いていたら、向こうから歩いてくる人に気づかずにぶつかってしまった。
「すまない、怪我はないかい?」
少女だ。トナは慌てて手を差し伸べる。勢い良く突き飛ばしてしまった。
「大丈夫……!」
少女は明るく言って、立ち上がる。
「本当かい?」
「うん!あ、私、友達と待ち合わせしてるの!」
「え、いや。だが……」
「大丈夫だからねー!」
引き留める前に走って行ってしまった。
「あれだけ走れるなら大丈夫かねェ。丈夫なお嬢さんだ。ん?」
何か落ちている。トナはそれを拾い上げた。
「……これは」
どうやら、持ち主の少女を追いかける必要はないようだ。
観光客が大勢で写真を撮っている。トナは前に進みたかったが、なかなか人混みの中を歩けない。
「うう……暑い……」
人混みが暑く、トナはため息をつく。
「レウォサンの偵察に来たが、これは直接見るのは無理かもね……」
「皆さん、押さないでください!ここからは2列に!…………〜……、……〜……」
マイクにレウォの声が乗っている。ストワード語で喋った後に、トナの知らない言語で喋り始めた。それを5回繰り返す。
観光客が静かになる。どうやら5つの違う言語で説明をしたらしい。
「すごい芸当だね」
トナは感心して腕を組む。
観光客の振りをして、後ろからゆっくりとついて行く。
「こちらがホウオウ様の城です。本物のホウオウ様がいらっしゃいます。これはホウオウ様のお姿を描いた絵です」
虹色の翼を開いたホウオウの絵画だ。激しい雨風から人間や魔族を護っている。かなり昔の絵だろう。色のくすみに年季が感じられる。
「では、城に入ります。2列になってついて来てください」
レウォはこれをほぼ毎日やっている。慣れたものだろうと思っていたが、途中で不機嫌になった子どもが迷子になりそうになったり、財布を落とした若者がパニックを起こしていたり……なかなか一筋縄ではいかないことが、トナの目の前で何度か起きた。
それでも観光客にホウオウの、ソクジュのことを知ってもらいたいという気持ちで、なんとか対応していた。
仕事が終わったようだ。トナはこっそりとレウォの後を追う。仕事を追えた彼は森の中に入って行き、人気のない場所で静かに変化した。
大きなカラスだ。真っ黒で、嘴が細い種のようだ。
(八咫烏と聞いていたが、あれは普通のカラスだろう。見栄を張ったな?)
くくくっ……。思わず笑い声が出る。その辺にいるカラスを大きくしただけの魔族のようだ。
レウォは翼を広げ、大きく空を飛ぼうと息を吸い込んだ。
そのときだった。
「カラスさん!」
トナが昼に見た少女が走ってきたのだ。
「これから湖に行くの?一緒に行こう!」
「え、ええっ……」
目に見えて狼狽えるレウォ。
「私を背中に乗せて欲しい!」
「危ないよ。人を乗せたことなんてない……!」
「乗せて!」
「話聞いてる!?」
(やっぱりね。あの少女が乗りたがっていたのはレウォだった)
少女が落としたメモ紙に描いてあったらくがき。それは大きなカラスに乗る、少女の絵だったのだ。
(追いかけなくてもここで待っていたら来た。走らなくてよかったのはありがたかったぜ)
レウォ……カラスが湖で水浴びをするのが好きなのは知っていた。仕事終わりに、近くの湖に出掛けるかもしれない。その予想は当たっていたのだ。
(まさかあの少女とかち合うとまでは思っていなかったが)
レウォの番を探すために、身近な異性を探す。
彼にはもう既に身近過ぎる人がいたのだ。
(ホウオウサマ、レウォサンは心配いらなさそうだぜ)
自分が出来ることはない、そんな依頼だってある。
トナは静かに二人から離れた。
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