第8話 数値管理は大事です

「身体を鍛えるの楽しかったんだけど、仕方ないね」


 彼女はゴトリと両手のダンベルをテーブルに置き、それでダンベルはすっと消失した。


「私、ここに来る前はすごく身体が弱くてね、すぐ熱出してたんだ。で、全然知らないこの世界に来て、怖くって。『丈夫になりたい!』って心の底から思ったの。丈夫になれば無理も利くでしょ? 無理が利かなきゃこんなの……異世界に来たとか、貴族さんたちの学校に行くとか、こんなの乗り切れっこないって思ったんだ」


 はにかみながら紅茶を口にするハナコさん。


「そしたらダンベルが現れて、軽くて、自然に上げ下げしてて……、最初は怖かったけど、それを続けてたらどんどん身体が楽になっていったの。今じゃ熱なんかそうそう出さないのよ。別人になったみたい」


 それは、体力値が上がってきたということである。


「それで、私、身体をダンベルで鍛えることが好きになったんだ。だから……、本当はすごく残念だけど、もう二度と身体を強くしたいなんて思わないでおくね」


 ハナコさんは言うと、少し寂し気に微笑んだ。


「……」


 私は無言でティーカップに口を付ける。

 身体が弱かったという彼女の希望が、ダンベル運動による体力値上げのきっかけだったのだ。それをダリオ先輩という異物によって阻害されるとは……。

 残念なことだが、ゲームシステム上、仕方のないことである。


「……そんなあなたに、もう一つアドバイスです」


 私はそう言った。

 ダンベル運動を止めただけでは、ダリオ先輩のフラグ管理は不十分といえるのだ。

 数値管理大好きプレイヤーとしては、パラメータは細かく調整しておきたいのである。


「ハナコさん、これからは学力値を上げてください。そうすれば反比例して体力値は下がっていきますので」


 ゲームでは、学力値を上げると相反するパラメータとして設定された体力値が少量下がることになっていた。それを利用するのだ。

 そうすれば、ダリオ先輩に立ったフラグも消えていくことだろう。


「それに、学力値を上げることは、ルカ先生のフラグが立つことにもなります」


「え?」


 ハナコさんはきょとんとした顔で、こちらを見た。


「ルカ先生の、ふらぐ? なにそれ」


「……………………」


 私は内心、ドッキンとしながら、カップ内の紅茶の熱い水面を見つめていた。

 この言葉ではっきりしたが、ハナコさんはフラグを知らない。ということは、彼女はこの世界が乙女ゲームの世界であることは――少なくとも『空と誓いの狭間(フロンティア)』であることは、知らない公算が高い……。


「フラグとは、簡単に言うと、誰があなたに好意を持つか、という指標です」


「よく分からないけど、ルカ先生が私のこと好きになってくれるってこと!?」


「……まあ、そういうことです」


 私は頷いた。……ゲームシステムを知らない人に説明する語句としては、間違っていないはずだ。


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