第7話 友達になろう

 私たちは図書館には向かわず、紅茶の飲めるサロンに向かった。そこで話し合うためである。

 もっとも、図書館というのは私が咄嗟についた嘘で、別に行かなければならない場所というわけでもなかったのだが……。


「ねぇ、見えるんだよね、これ?」


 席に座り、紅茶を飲みつつ……、彼女は両手に持ったダンベルを私にずいと差し出した。

 私はそれを見ながらゆっくりと頷いた。


「はい。見えます」


「ほ、本当なのね? 本当に、見えるんだねっ!?」


 身を乗り出して詰め寄ってくるハナコさん。

 近い。

 声に出さず仰け反りながら頷くと、ハナコさんは両手のダンベルを上に突き上げ、万歳をした。


「やったーっ!!」


 私は思わず息を呑んだ。

 10㎏と書かれたダンベルを軽々と上げる彼女の腕力と――そして、ダンベルが見えているという事実に対して、彼女がこれほどまで喜んだことに。


「不安だったんだ、このダンベルが見える人がいなくて。私、変になっちゃったのかなーって……」


 満面の笑顔なのに、目には涙を浮かべている。

 私がダンベルが見えるのが、泣くほど嬉しいことなのか。そう思うと、心になんだかくすぐったい痺れが走った。

 私は、彼女にとって『益』である事を――良い事をしたのだ。私は彼女の役に立ったのだ。


「授業中でも、ランチを食べている間でも、こうしてお茶をしているときも……、体力付けたいなーって思ったらでてきて、このダンベル。それでいっつも気がついたら上げ下げしてるの。いつの間にかなくなっちゃうし、誰もなにも言われないし……。もしかして、私、おかしくなっちゃったんじゃないかなって、不安だったんだ。でもやっぱりおかしいのは私じゃなくて、このダンベルだったんだね!」


 ハナコさんは一気に言うと、ダンベルをテーブルの上にゴトリと置いた。それを契機としてダンベルはすっと消失する。

 確かに、こんな挙動をするのは普通のダンベルとはいえない。こんなダンベルが日常的に現れるなんて、事情を知らなければ自分がおかしくなってしまったと思うのも無理はないだろう。


「よかったぁ……。ミシェールさんが『見える』人で、本当に良かった……」


 私が幽霊が見えるみたいな言い方をして、彼女は目尻の涙を指で拭っている。


「ねぇ、ミシェールさん。私たち、友達になろ?」


「……え?」


「だって、これが見えるってことはさ。なんか特別な絆があるんだよ、私たち」


 私は熱い紅茶に口をつけながら、彼女の言葉がもたらした、その青天の霹靂の衝撃に浸っていた。心臓はドキドキするし、カップを持つ指先が雷に打たれたようにピリピリとしている。


 クラスメイトたち、そして攻略対象たちがそのダンベルを見ることができないのは当然である。そのダンベル運動は、ゲームシステム上の演出動作なのだ。

 私は転生者として、この世界のシステムを理解しているから見えるのであろう。


 と、いうことを、彼女に伝えるべきなのだろうか?


 ……そして、それは、モブとして転生した私の役割を越権した行為になるのだろうか?


 だが、私のそんな浅慮は、彼女からの「友達になろう」という甘露には所詮勝てるものではなかった。


 私という存在は、モブなれど、ハナコさんによって『好きな人を打ち明けられる』友達に昇華されたのである。


 前世も今世も友達などいない私にとって、それはこの上ない光明であった。人間、光があればそれに寄っていきたくなるものである。電灯の周りを飛ぶ夏の羽虫と同じだ。私は友情という光に吸い寄せられるか弱き羽虫なのだ。


 いや、小難しい理屈を頭の中でこねくり回しても仕方がない。

 とにかく嬉しい。

 私に、友達が、できた……。


「よ、よろしくお願いします……」


「ねえ、これをやめればダリオ先輩の付きまとってこなくなるって、どういうこと?」


 ハナコさんの問いに、私はおほんと軽く咳払いをし、返答した。


「言葉の通りです。あなたにはそういう特別な力があるのです、ハナコさん」


「どういうこと?」


「ダリオ先輩は体力が高い人を好みます。ですので、体力を上げたあなたを見ると、放っておけなくなるのです」


「体力が、高い人……、私が?」


「そうです。逆を言えば、体力を上げることを止めれば、ダリオ先輩の興味も失われるということです」


「なるほど、そういうことか!」


 ハナコさんは目を見開き、納得して頷いた。


「よく分からないけど、これが原因だったんだね!」


 ……分かってないのにあんないい返事をしたのか。

 あまり物事を深く考えるような人ではないのかもしれない、ハナコさんは。


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