「十年振りの町」
新幹線を降りて在来線に乗り換える。ここからは鈍行だ。空いていた席に身体を納めて、俺はリュックからもう一度その手紙を取り出した。
ハルから貰ったたくさんの手紙。それは俺がプロになる一番の励みとなった、紛れもない宝物。
あの町から引っ越して早十年。野球の強豪校に進学できて、レギュラーをとれて、甲子園に二度も出場できて。そこで運良く成績を残せた俺は、ついにプロ野球選手の切符を掴むことができた。難敵だったドキドキ病を克服できたのは、今も効いているハルの「おまじない」のおかげだ。
高卒ルーキーとしてキャリアを歩み始め、プロ六年目の春が来た。ようやく一人前になれた気がした俺は、やっとのことであの町へ戻る決心がついた。
と言うのは、ハルがなかなかそれを良しとしなかったからだ。会いに行くよと手紙を返しても、ハルはいつだって「野球優先! 身体優先!」とお決まりの言葉を返してくる。
高校の時なんか手紙に「甲子園優勝するまで来るのは禁止!」と書かれたこともあった。
ならせめてスマホでのやりとりをとお願いしても、「野球に集中!」と返されて、だから俺はいまだにハルの連絡先を知らなかったりするのである。
一番応援してくれた人に、ありがとうと電話でも言えないのは正直辛かった。でもその厳しさがあったからこそ今の俺がいる気もする。そう言う意味でも、ハルにはいくら感謝してもしたりない。
それに今回はハルに報告もあった。それを一番最初に直接伝えたいと思ったから、こうしてシーズン前にサプライズ帰郷を決めたのだ。
早くハルに報告がしたい。その気持ちを胸に、俺は懐かしい路線の列車に揺られていた。
──なぁ、ハル。あの時からずっと、さよならをした十年前の春からずっと、俺はハルのことを好きでいつづけたって言ったらハルは笑うかな。それともまた「野球に集中!」と言うのかな。
もしかしたらハルは、進学や就職でこの町を出ているのかも知れない。もっと言えば、ハルの隣にはもう誰かがいるのかも知れない。十年も経つんだから不思議じゃないし、ハルは手紙で自分のことを全然言わないからわからない。でもそれでもいいんだ。覚悟はできてるから。
俺は、あの春の日に伝えられなかった言葉を言いに来た。結果はどうあれ、スイングすることが大切だって言ったのはハルだよな。
見逃し三振より空振り三振。それはもう俺の打撃スタイルになっていて、見逃し三振は誰よりも少ないんだぜ。だから言いに行くよ。まずは「ありがとう」を。
────────⚾︎
懐かしの駅を出て、歩いて約二十分。ついにハルの実家に辿り着く。あの頃と全然変わってない風景に懐かしさが込み上げる。
ここで呼び鈴を鳴らさない、そんなメンタルが弱い俺はもういない。
早くハルに伝えたい。そう思って呼び鈴に手を伸ばすと、タイミングよく玄関から出てきた誰かと鉢合わせる。
「……え? ナツ、
「ようアキ、久しぶり。十年振りになるのかな。変わったなぁアキ、めちゃくちゃ可愛くなってるじゃないか。少し見ないうちにさ」
「いやいや変わったのは絶対ナツ兄でしょ。そんなセリフ、女の子に言うタイプじゃなかったのに」
ハルの妹である二つ年下のアキは、驚きつつも呆れているような表情だった。ハルとよく似ているその綺麗な顔を見て、思わずハルの今を想像する。ハルは今も、この実家に住んでいるのだろうか。
「なぁアキ、ハルはまだこの家にいるのか?」
「ちょっと待って、その前に確認。ハル
「いや言ってない。俺、ハルのスマホの連絡先も知らないんだ。あいつ絶対教えてくれないから、だから直接来たんだよ。伝えたいこともあったしサプライズで。まぁ、めちゃくちゃ時間掛かったけど」
そう伝えると、アキは大きな溜息を吐いた。呆れた、と小さく言うのが聞こえる。まぁそうだよな。会える確証もないのに、半日も掛けて戻ってくるなんて。自分でもアホなことをしていると思うけど、でもそうしたいのだから仕方ない。
「ハルの居場所を知ってたら教えてほしいんだ。進学とか就職とかでこの町を出てるかも知れないとは思ってた。でもハルは俺に何も教えてくれないからさ。だからここへ来るしかなくて。急に現れてごめんな」
「いや、それはいいんだけど……」
目を伏せてアキは言い淀む。もしかしてアレなのか。想定はしていたけど、誰かと結婚してるとか、そういうことなのか。
ちょっとショック、いやかなりショックだけどハルが幸せならそれでいい。その覚悟はしていたハズだ。
「……もしハルが結婚して家を出てるのなら。アキ、二人きりなんて言わないから、少しだけでもいいから、ハルと会う機会を作ってくれないか。これでも心は強くなったつもりだ。俺はさ、ハルに感謝を伝えたいんだよ」
「あぁ、それはないから安心して。ハル姉が結婚できるワケないからさ」
「そ、そうか」
「会わせるのはもちろん構わないよ。ハル姉もナツ兄に会いたいだろうし。でも準備がいるよ。少しだけ時間がほしい」
「準備?」
「うん、準備。安心して、そんなに掛かんないから。ナツ兄がサプライズで来たっていうならこっちも準備しないと、でしょ? だからさ、先にあの桜の木の公園に行っててよ。ほら、二人でよくキャッチボールをしてたって公園。ハル姉から聞いてたよ」
「あの寂れた公園で?」
「うん。そこで待っていて」
笑顔になってくれたアキに、ありがとうと礼を言う。例の公園も十年振りだ。大丈夫、場所は身体が憶えてる……と思う。
「ナツ兄がいきなり来てちょっと驚いたけどさ。でも会えてよかった。活躍もテレビでずっとチェックしてるよ。ちなみに水野辺シャローズのコーチは、頭がつるつるになってもまだ頑張ってるってさ」
「みんな元気そうでよかったよ。あとでゆっくり話そうな。久しぶりにハルと俺と、アキの三人でさ」
「……そうだね。あぁそうだ、ひとつ訊いていい?」
「おう、なんでも訊いてくれ」
「ハル姉のこと、今でも好き?」
その問いは、もちろん想定していないものだった。でも俺は、臆することなく答える。自分の本当の気持ちを。
「あぁ。今日それをハルに伝えに来た。ずいぶん遅くなったけどさ。十年かかったけどさ。でもやっぱり、それを伝えないとって思ったから」
そう、はっきりと声に出して告げた。この十年、ハルには会えてなかったけど。でも俺を支え続けてくれたのはハルだ。だからその思いを、ハルに伝えたい。
ありがとうを伝えて、そして。
──好きだと告げるんだ。
「そっか。ありがとね、ナツ兄。ちゃんと言ってくれて。妹として嬉しいよ、ハル姉を好いてくれるのは。それじゃああとで。あの公園で待っていて。ハル姉は、必ず連れて行くからさ」
俺は踵を返して、例の公園へと向かう。
最後にハルとキャッチボールをした公園。
毎年背を比べ合った、桜の木がある場所へ。
【続】
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