空中庭園の歌姫と愛のうた

七狗

第1話 空中庭園の歌姫と七色歌鳥

 誰もが目覚めを迎える朝、天上から歌声が響き渡る。優しく、柔らかでのびやかで、心地のいい朝の光のような、透き通る歌声。

 一人の姫君が歌うその歌は、この国にはなくてはならないものである。

内陸の山々に囲まれた小さな国——ラテアでは、その豊かで肥沃な土地を周辺の大国に狙われ、長くの間、争いが絶えなかった。

 長きに渡る戦いを経て平和を勝ち取り、一人の姫君がその喜びを歌った事から、平和の象徴として幾年も歌い継がれてきた歌。それが毎朝天上から届けられる歌であり、国民達はその歌声を聞く事で、平和を尊び、日々の平穏を願い、祈りを捧げるのである。

 彼らが見上げるのは、城の離れに造られた、歌姫の空中庭園と呼ばれている場所だ。特殊なまじないを施した石の力で空に浮かべられた庭園で、この国で十歳を迎える姫君が、「歌姫」としての役目を全うする為に造られた場所である。

 白い石材で造られた庭園には、色とりどりの花々が年中咲き乱れ、ささやかな水場には小鳥が舞い込む事もあり、天上の人々が座す場所とも囁かれている。

今この場所で歌声を響かせているのは、今年で十五歳になるストレリチアだ。

 彼女の歌声は歴代の歌姫達の中でも飛び抜けた美しいもので、その為、敬い慕う者も多い。

 数年前に熱にうなされ寝込んでしまった折には、国中にその知らせが届き、王城へ見舞いの花々を届ける者が絶えない程であった。

 空中庭園に迫り出す形で設置された、手摺のついた小さな舞台に立ち、降り注ぐ陽光に照らされた歌姫は、新緑のように鮮やかな色の長い髪を風になびかせ、金の刺繍が施された真っ白なドレスを身にまとっている。光を弾く輪郭は未だ幼さを残すように僅かな丸みを帯びているけれど、その表情は穏やかで慈しみに満ちている。

 彼女はゆっくりと呼吸を繰り返し、長い睫毛を震わせて目蓋を閉じると、両手を胸に当てて息を吸い込んだ。両手を空に掲げ、最後の音さえ空に溶け込ませるように静かに歌い終えた歌姫を目にした者ならば、きっと神聖ささえ感じられた事だろう。

 歌姫は静かにドレスの裾を摘み、礼をして、この日の役目を終えた。

彼女の後ろには、真っ赤な髪をした少年が一人、その様子を見つめている。空のように鮮やかな、青色の瞳で。


「今日もお疲れ様でした、姫様」


 優しく慈しみに満ちていた笑顔を浮かべていた歌姫は、けれど、振り返った瞬間、その言葉に唇を噛み締め、眉間に皺を寄せた。言葉をかけた少年は、髪を揺らし、その青眼を細めてにこりと笑っている。


『あなたの方でしょう、それは』


 振り向いてそう告げた歌姫の声は音を伴わず、ただ空気を振るわせるだけだった。


 *


 常に温暖な気候で保たれているこの国、ラテアに生まれた姫は、十歳を迎えたその時から、毎朝国民へ歌を届ける義務を与えられる。

 小鳥のように可憐で、陽光のようにあたたかで優しく、誰もが聞き惚れる美しい歌声、と評され、歌姫の役目を拝命してから一度たりとも絶やした事のないストレリチアは、けれど、十一歳を迎えたある日、高熱を出して数日間寝込んだ末に、その声に異常をきたしていた。

 美しいと言われたその声は、空気を震わせるばかりで音にはならない。その事に、王は落胆し、妃は悲嘆し、臣下達は頭を悩ませた。

 そうして彼女の「声」として選ばれたのが、現在姫の側に控えていたアキレアだった。

 耳に羽を生やしたその少年は、遠方にある厳しい山々に囲まれた谷に住むという一族の生まれだ。

 七色声鳥ナナイロコワドリと呼ばれ、生まれながらに背に大きな翼を持つ有翼人の彼らは、自らの感情を歌にして伝えるという習性を持ち、その為か、どんな音でさえ模す事が出来るという、不思議な声を持っているという。

 アキレアは、自らの境遇に耐えかねて村を出た所を、その珍しい容姿と声音から、人買いに目をつけられて捕らわれてしまっていた。

 丁度その時、失われた姫の声に悩んでいた王は、どこからかその噂を聞きつけ、少年を城へ連れてくるよう臣下に命じたのだ。

 臣下は僅かばかりの、けれど商人達にとっては願ってもない程の金品と引き換えにして、少年を買い取った。

 そうして少年は歌姫の元へと送られ、今もなお、彼女の声の代わりにさせられている。

 ストレリチアの声は音にならないので、誰の耳にも届きはしないけれど、七色声鳥達の特殊な声の中で育った少年の耳ならば、彼女が発する空気の震えさえ聞き取れるので、その言葉を理解する事が出来る。

 そして、少年が彼女の声を模して言葉を発すれば、周囲の人々は彼女が声を出せないとは微塵も気付かない。

 そうした特異性からも、少年は重宝されている。

 ただ姫の傍に控え、常ににこりと笑う少年の正体は王族以外には知られてはいけない。

 声を失い、歌えなくなった歌姫など、この国に存在してはいけない、のだから。

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