第271話 本編最終話
「おお! ベレディーに種付け出来たんですか!」
夕方、大南辺の下に北川牧場から嬉しい知らせが入った。
当初は、今年の産駒情報なのかと思っていた大南辺であったが、その内容は今年の種付けは諦めていたミナミベレディーに無事に種付けが出来たと言う話だった。
「確か、ベレディーは森宮ファームで種付けに備えて放牧されていたのでしたか?」
「ええ、ええ、そうですね。とにかく良かったですね。これで無事に受胎してくれていれば」
北川峰尾との会話を終え、しばらくするとその内容がじわじわと実感できてくる。諦めていただけに嬉しさが込み上げて来る。
「そうか、上手くすると来年にはベレディーの産駒が見れるのか。牡馬だろうか? やはり牝馬だろうか?」
まるで自分の子供が出来たかのような大南辺に、妻である道子は思いっきり呆れるのだった。
そんな大南辺は、やはり自分の目でミナミベレディーが見たくなり週末に北川牧場へと向かった。まだ受胎出来たかもわからない状態であるが、手土産を用意して意気揚々と北川牧場へと訪問する。
「大南辺さん、わざわざ申し訳ありません。受胎確認にはまだ時間がかかりますが。ご連絡するのが早すぎました。私も思わず嬉しくなってしまって」
「ええ、そのお気持ちは判ります。私も、思わず訪問してしまいましたから」
そう言いながら、大南辺は出迎えてくれた峰尾に対しさっそく放牧されているミナミベレディーの様子が見たいと要望し、二人揃って放牧地へと向かう。
「まだ受胎出来ているかは判りませんが、確認が出来る一月後が楽しみです。ぜひ受胎していてほしいですね」
「ええ、この際、牝馬でも牡馬でも良いので」
そう言って笑顔を浮かべる峰尾と大南辺。その二人が放牧地へと来ると、先んじて一人娘である桜花が何やらミナミベレディーへ必死に話しかけている姿があった。
「トッコ、もう、どうしたの? 何を怒っているの?」
「ブヒヒヒヒン」(酷い目に遭ったの! なのに何で桜花ちゃんは喜ぶの!)
「もう! ニンジンあげたでしょ?」
「ブフフフン」(ニンジンで誤魔化されないの!)
その光景を何事だと遠目で見ていた大南辺であるが、兎に角はミナミベレディーに挨拶をしようと近づいていく。
「桜花さん、ご無沙汰しています。ベレディーも元気そうだ」
「ブルルルン」(ご主人様だ~)
耳を立て、ピコピコさせて顔を突き出してくるミナミベレディー。その鼻先を撫でていると、ついつい顔が綻んでしまう。
「メロンを持ってきたから、後で食べさせて貰いなさい」
「ブヒヒヒーン」(わ~~い、メロンだ~~)
大南辺の言葉を理解したかのように、ミナミベレディーはピョンピョンダンスを披露して喜びを全身で表す。
その様子を大南辺は笑い声を上げながら眺め、桜花が慌てて持ってきたメロンを美味しそうに食べるミナミベレディーを眺める。
「本当にベレディーは賢いですね。メロンと言う言葉を覚えているみたいです。馬見調教師からベレディーの一番の大好物はメロンだと聞いて持ってきたんですが、いやあ、此処まで喜んでくれると嬉しいですね」
「どこでメロンの味を覚えたのか、判らないんですがね」
峰尾の言葉に、桜花もうんうんと大きく頷いた。
「でも、メロンでやっとご機嫌を直してくれたので、大南辺さんありがとうございます。助かりました」
「いえ、ただ此処まで喜んでくれるなら、受胎出来ていた時にはまた持ってきますよ」
メロンを食べて満足したミナミベレディーが、サクラハヒカリの所へ向かったのを見て3人は事務所へと戻る事にするのだった。
そして、事務所に戻った大南辺は、事の経緯を確認する。何しろ、種付け料の半額を大南辺は支払わなければならないのだ。
「えっと、実際の種付けは立ち会っていないんです。ただ、タンポポチャが発情して、何かそれに釣られてトッコも発情したみたいです」
桜花の要領を得ない説明に、大南辺は首を傾げた。
事の始まりは、ミナミベレディーを種付けの為に森宮ファームに預けた所から始まる。
ミナミベレディーのお相手候補であるリバースコンタクト。そのリバースコンタクトが飼育されている森宮ファームには、ミナミベレディーと仲の良かったタンポポチャが繁殖牝馬として飼育されていた。
多くの関係者が今期のミナミベレディーの種付けに懐疑的だったのに対し、北川牧場というより、桜花が何よりもミナミベレディーの産駒を待ち望んでいた。
「初駒は不安があるし、そう考えると早いうちに産んで欲しいよね」
そんな桜花の希望と期待を込めて、森宮ファームでの短期放牧となる。
タンポポチャも無事に出産を終え、今年の種付けに向け体調を整えている所である。昨年のタンポポチャの種付けも苦労した事から、当初牧場内にはミナミベレディーを受け入れる事を不安視する発言もあった。
しかし、当のミナミベレディーは何と言ってもGⅠ10勝馬であり、血統的にも産駒の重賞勝利実績の高いサクラハキレイ血統だ。そのミナミベレディーが無事に発情してくれれば、自牧場の柱の一頭であるリバースコンタクトが種付けできる。森宮ファームとしても、その魅力には逆らい難いものがあった。
「リバースの種付け料も年々下がってきているからな」
種牡馬となって既に7年となる。
初年度の産駒が今年で5歳、翌年の産駒が4歳となるが、残念ながら今までに目立った実績を残せた馬はまだいなかった。今年3歳になる馬達も、残念ながらクラシックで実績を残せそうな馬は見当たらない。まだまだ結果を判断するのは早いとはいえ、何方かと言えば成長は早いと思われているリバースコンタクトだけに、馬産地での評価も下がりはじめていた。
それ故に、今年の種付け料は300万と値段も下がり、それ故にミナミベレディーの種付け候補に上がったのではあるが。
北川牧場としては、リバースコンタクトの種付け料もではあるが、何と言ってもタンポポチャの半兄、あれだけ仲が良いタンポポチャと一緒に放牧される事で良い意味でミナミベレディーに影響を与えてくれないかと期待していた。
母馬であるサクラハキレイや全姉であるサクラハヒカリなどを見ても、若いうちは毎年のように産駒を期待できる。プリンセスミカミの愛知杯勝利を受け、サクラハキレイ血統には更なる期待が高まっている中、自然と注目はミナミベレディーに集まる。
「零細血統だから、お相手の選定には苦労しないのよね」
近年GⅠで活躍し種牡馬となった殆どの馬が、血の淀みを気にせずお相手として選べる。それはミナミベレディーの強みであるが、逆に言えば現在主流の種牡馬側からしても期待の繁殖牝馬となる。
「タンポポチャが発情すれば、トッコも発情してくれないかなあ?」
そんな桜花の願望の下に放牧されたミナミベレディーは、タンポポチャと共に放牧地で仔馬を構いながらのんびりしていた。不思議な事に、タンポポチャもミナミベレディーが仔馬に構う事を忌避することなく、仔馬と遊ぶミナミベレディーをのんびりと眺めていた。
そんなタンポポチャが、昨年の苦労は何であったのかと思う程にあっさりと発情する。
放牧されているタンポポチャの兆候に気が付いた森宮ファームでは、慌てて今年の種付け相手を準備した。そして、あっさりとタンポポチャの種付けは終わる。
ミナミベレディーとの放牧が良かったのか、偶々なのか、森宮ファームでは意見が分かれたのだが、この時、帰って来たタンポポチャとグルーミングしていたミナミベレディーに森宮ファームの面々が異変を感じた。
「おい、ミナミベレディーが発情しているぞ! 拙い、牧場長に連絡しろ!」
そして、森宮ファームの牧場長が確認し、その後、リバースコンタクトとの種付けが行われたのだ。
「もしかすると、タンポポチャが発したフェロモンにトッコの馬としての本能が誘引したかもしれないんですよ? そんな事あるのかは判りませんけど」
「だよね、トッコも何が起きているか判らなくて、終始硬直してたみたい。トッコってそういうところあるから」
そう言って笑う恵美子と桜花だが、まずはミナミベレディーが無事に種付け出来た事に安堵した様子が見える。
「森宮ファームから連絡が来て急いで駆けつけたんですけど、もう終わってたんですよね。だから、ちゃんと種付け出来たトッコを褒めてあげたんだけど、何かそこからトッコのご機嫌が悪いんです」
桜花は、ミナミベレディーが無事に種付け出来たとの報告を受け、授業そっちのけで森宮ファームへと駆けつけた。そして、放牧地でタンポポチャに寄り添うミナミベレディーへと声を掛けた。
「トッコ! トッコ~~~!」
桜花の声を聴き、喜び勇んで駆け寄ったミナミベレディーは、何やら必死に桜花へと訴えかける。その姿には、森宮ファームの厩務員達も思わず笑い声を零す。
「ブヒヒヒヒーン」(あのね、酷い目に遭ったの。牧場に帰りたいの)
「うんうん、良かったね、ちゃんと種付け出来たんだね」
「ブヒヒヒヒン」(良くないの! あのね、怖い目に遭ったの)
「頑張ったね! 無事に受胎出来ていると良いね。トッコの仔はどんな仔かなあ」
「ブルルルルン」(桜花ちゃん酷い!)
桜花に頭をスリスリさせていたミナミベレディーは、大きく一啼きすると今度はタンポポチャへと駆け寄って頭をスリスリし始める。
「ブフフフフン」(タンポポチャさん、桜花ちゃんが酷いの~)
「キュフフフフン」
タンポポチャは、ミナミベレディーの首から背中をハムハムとしながら、桜花をチラリと見た後に勝ち誇ったように嘶いた。
「……な、なにあれ!」
そんな遣り取りの翌日、馬運車へと乗せられミナミベレディーは北川牧場へと帰って来た。そして、帰郷後は同じ放牧地にいるサクラハヒカリにベッタリと甘えている。
そして、どこか桜花を拒否する様子が見られ、何気に桜花は傷ついていた。
「ううう、最近トッコが冷たいんですよ。何か私が声を掛けてもつ~~んってするし。そのくせ、リンゴとかを見せればほいほい寄って来るし」
「それは、きっと森宮ファームに置いて行かれたと思ったんじゃないかな? 誰も知っている厩務員が居ない場所で見捨てられたように思ったんだと思うよ」
「そうね、後でまたメロンを持って行ったらあっと言う間に機嫌を直すと思うわよ」
「うん、まあトッコだからね。でも、無事に受胎していると良いね。出来れば牝馬がいいなあ」
来年に生まれるミナミベレディーの産駒へと思いをはせる桜花であった。
◆◆◆
そして、夏が過ぎ、冬が過ぎ、また春が訪れる。
昨年で現役を引退したサクラヒヨリが北川牧場へと戻って来て、北川牧場所有の繁殖牝馬は6頭となる。もっとも、そのサクラヒヨリはミナミベレディー以上に今年の種付けを不安視されているのだが。
そんなサクラヒヨリであるが、残念ながら宝塚記念では3着、春秋連覇を懸けて出走した秋の天皇賞では5着、引退レースである有馬記念では、最後の意地を見せるも首差の2着となり、残念ながらGⅠ勝利数を積み上げる事は出来なかった。
それであっても、GⅠ5勝という実績は霞む事無く、ミナミベレディー同様にその産駒には期待が集まっている。
そして4月中旬、ミナミベレディーは無事に1頭の牝馬を出産した。
「やった! お母さん、無事に産まれたよ! トッコ、頑張ったね! うわあ、可愛いね。見る限り元気そうだよね!」
ミナミベレディーの産んだ仔馬を見ながら、桜花はそれこそ大喜びである。それに対し、ミナミベレディーは自身の出産の疲れもあるのだろうが、産まれた仔馬を見て桜花や北川牧場の面々を見て、また仔馬を見てと思いっきり落ち着きがない。
すでにエコー検査で牝馬である事は判っていたが故に、北川牧場期待の一頭である。そして、母馬であるミナミベレディーも、そして生まれて来た仔馬も、元気な様子で誰もがホッと溜息を吐いた。
「うわあ、何かトッコがどうしていいのかウロウロしてる。あ、仔馬を頻りに舐め始めた」
「大丈夫そうね。トッコ、頑張ったわね」
「ブフフフン」(どうすれば良いの~)
まだ立ち上がる事も出来ない仔馬にオロオロとするミナミベレディーを見て、桜花達はまたもや笑い声をあげるのだった。
この仔馬が、将来どのように育つのか、それはまだ誰にもわからない。ただ、仔馬を見ながら、ミナミベレディーは大きく嘶くのだった。
「ブヒヒヒヒン」(お母さんが、絶対にお肉にはさせないからね!)
「キュフフン」
仔馬がミナミベレディーに嘶くが、やはりミナミベレディーには何を言っているのか判らない。
「ブルルルン」(馬語覚えないとだよね)
その後、ミナミベレディーが馬語を覚えられたかどうかはミナミベレディーにしかわからない。
◇◇◇
長らくお付き合いいただきまして、ありがとうございます。
別サイトで投稿し完結したお話を、加筆改定しながら投稿を始めたのが4月。気が付けばもう12月になっちゃいました。
本編は此処で区切りですが、この後閑話が少し続きます。
こちらのサイトでは初めての感想? あとがき? 本文との区切りがない為、なんとなく書かないで来ちゃいました。
このお話を読んで、少しでも皆さんが楽しんでいただけていれば嬉しいです。
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