第267話 競馬協会の広報さんと武藤厩舎
競馬、春の祭典である桜花賞と皐月賞が終わり、次のGⅠである春の天皇賞がクローズアップされていた。
特に昨年、一昨年とミナミベレディーの全妹であるサクラヒヨリ、サクラフィナーレが桜花賞へ挑戦。ミナミベレディーから続く姉妹揃っての連覇が出来るか、その運命の瞬間をぜひその目で! などと桜花賞を盛り上げまずまずの集客数を確保した。
それだけに、今年の桜花賞は今一つ盛り上がりに欠けた。
桜花賞の余波をここ2年良い意味で受けていた皐月賞も同様であり、競馬協会ではCMを含め春の天皇賞へ出走するサクラヒヨリを大々的に取り上げて再度競馬を盛り上げようと必死であった。
『春の天皇賞! 女帝の後継者サクラヒヨリの連覇なるか! それとも、サウテンサンが連覇を成し遂げるのか! 昨年の決着が今年!』
競馬協会は必死に集客に向け努力を行っている。
そんな競馬協会の広報室では、二人の担当者が明日行われる広報方針会議で発表する内容に頭を悩ませていた。
「上は何とかしろと言うばかりだが、そう簡単に何とかなれば苦労はしないんだ」
「ですよね。これと言った売りが無い訳じゃないんですよ? ただ、どれも今ひとつ弱いと言いますか」
「昨年までが異常だったんだよな。本当にミナミベレディー効果は大きかったよ。出来ればもう1年は走ってもらいたかった」
「そうですね。ミナミベレディーが今年もGⅠを走っていれば、何処までGⅠ勝利記録を更新するのかで盛り上がったでしょうね」
競馬協会では、今年の桜花賞と皐月賞の収益金額を昨年と比べ、大きな溜息をついていた。
競馬場への来場者数にも影響が出ており、グッズなどの販売金額も前年と比べ大きく落ちている。特に顕著だったのが桜花賞であり、やはり集客を促すだけの売りが無かったのが痛い。
「ネットでの馬券収入はそこまで落ちていないのが救いだな。3年前との比較であればプラスなんだ。ミナミベレディー効果で増えた競馬ファンをどうやってこれ以上離さず繋ぎ止めるかが難しいな」
「昨年のグッズ売り上げトップは、例のイラスト付きマグカップですからね」
そう言って笑う担当者が掲げるのは、今話をしているマグカップである。真ん中にミナミベレディー、左右にプリンセスフラウとサクラヒヨリ、そしてミナミベレディーの頭上にはタンポポチャが居る例のイラストが描かれている。
ミナミベレディーグッズの売り上げトップは何と言ってもこのイラストが描かれたクリアファイルやマグカップ、Tシャツやトレーナーなど様々なグッズ達であった。
「そういえば、ミナミベレディーを主題にしたドラマ作成の話はどうなったんだ? 確か公共放送が乗り気だったはずだよな?」
「さあ? その後の話は聞きませんね」
競馬協会広報室であるが故に、競走馬を使用する場合の様々な情報が入って来る。
ミナミベレディー人気にあやかって、多くの企画が立ち上がっていたのは知っている。ただ、その企画が実際に何処まで進んでいるのかは判らなかった。
「預託厩舎、生産牧場初のGⅠ勝利、そして何と言っても女性騎手初のGⅠ勝利。ドラマ性は此れでもかとあるんだが」
「まあ、確かにドラマ性は強いよな。まさに女帝だっただけでなく、何処か憎めない所のある馬だったからファンも多い」
「あのグルーミングで一躍有名になりましたからね」
タンポポチャとのアルテミスステークス後の映像に多くの競馬ファンが魅了された。
「なんか、なごみました」
「競走馬って可愛いんですね。勘違いしてました」
「お友達同士で仲が良いのが尊い!」
などと言った反応がネット内で広まり、その後のミナミベレディーとタンポポチャのレースでは、レース結果よりもレース後の2頭を見る為だけに新規の競馬ファンが競馬場へ足を運んだのだ。
その後、3歳においては常にGⅠレースで競い合いながらも、レース後に行われる2頭のグルーミング。この姿を見たくて競馬場へとやってきたニワカ競馬ファンが応援馬券のみならず、グッズを大量に購入して帰る。
競馬場へのアクセスを担う鉄道の乗客数の増加、競馬場周辺の商店に落ちる様々なお金。競馬雑誌の販売部数、更には個人馬主、一口馬主の増加などミナミベレディーの恩恵はミナミベレディーのGⅠ勝利数に比例するが如く増加していったのだ。
そして、ミナミベレディーの最終年に限って言えば、出走レースすべてで勝利し、GⅠ勝利数も通算10勝。引退レースでは競馬場収容人数を超える来場者が見込まれ、事前に整理券が配られる事になる。
有馬記念を大外枠から見事に勝利したミナミベレディー。現役続行を決めていれば、翌年も更にGⅠ勝利数を積み上げる事を誰も疑っていなかった。それ故に、競馬協会のみならず、競馬ファン達に現役続行を願われる中で惜しまれながらの引退となったのだ。
「スターホースが引退した翌年っていうのは厳しいですよね」
「まだサクラヒヨリが現役でいてくれるからマシなんだろうがな」
春の天皇賞、その最大の目玉は何と言っても昨年の覇者であるサクラヒヨリだ。サウテンサンと同着に終わったレースであるからこそ、今年こそは連覇を望まれ、ミナミベレディーの全妹としての存在感を示して欲しい。
サクラヒヨリ自体もGⅠを4勝しているだけに、女帝の後継者という競馬協会が作り上げた偶像を確かなものにして欲しい。
ある意味、その正念場とも言えるレースが春の天皇賞だった。
「プリンセスフラウがドバイシーマクラシックで勝利しているが、まだGⅠ2勝目だ。一般のファン達にはドバイはインパクトが弱いしな。やはり此処は春の天皇賞でサクラヒヨリに勝ってもらいたいよな」
「サクラヒヨリ陣営としても、勝てそうなGⅠとしては春の天皇賞とエリザベス女王杯くらいだって聞きました。ただ、良く考えたらサクラヒヨリも既にGⅠを4勝しているんですよね?」
「ん? ああ、そうだな。普通なら凄い事なんだがな」
3歳の時には桜花賞と秋華賞。そして、昨年は春の天皇賞とエリザベス女王杯。サクラヒヨリもこれまでにGⅠで4勝をあげているのだ。状況によっては、4歳で引退していても可笑しくない。
「ここで春の天皇賞を勝てば5勝目。恐らく走るであろう残りのGⅠは宝塚記念、秋の天皇賞、ジャパンカップと有馬記念。うわあ、惜しいですね! 上手くすればGⅠを10勝とか言えたのに」
実際の所、それでは実際に勝てるかと言えば厳しいだろう。特に秋の天皇賞は先日行われた大阪杯と同様に距離的にも厳しい。芝2000mは何と言っても強豪が犇めき合っているのだ。
「そうか! 簡単な話だ。見方を変えれば良いんだよ。春の天皇賞は連覇、宝塚記念は姉に続きグランプリレース制覇が出来るか!
出来ればそこで宝塚記念を勝ってくれると後々楽なんだが、秋の天皇賞は天皇賞春秋制覇、有馬記念は引退レースで、宝塚を勝ってくれていれば姉に続いて2代での夏冬グランプリレース完全制覇だな。
ジャパンカップが弱いが、そもそもエリザベス女王杯へ回るかもしれない。そうすると秋の天皇賞も回避か?」
「全面的にサクラヒヨリを前に出して、ミナミベレディーの映像を混ぜましょうか。偉大なる姉の軌跡を辿ってとか、GⅠ10勝は厳しそうですから、一つ一つのレースに絞った方が良さそうですね」
「どっかでテレビの特番を組んで欲しいな。引退後のミナミベレディーや、サクラハキレイから引き継がれた血統。そういえば、プリンセスミカミも愛知杯を勝利したな。トカチドーターも忘れな草賞を勝ったし、出来れば何処か重賞を勝利して欲しいが」
次々と浮かび上がるアイディアを二人は必死に書き留めて行く。
「そういえば、ミナミベレディーの種付け候補はリバースコンタクトでしたよね? タンポポチャの半兄ですし、妹の取り持つ縁とかどうです? まあ、実際にはまだ判りませんけど」
「今年の種付けは厳しそうだって言われているからな」
競馬協会としても、ミナミベレディーの産駒には様々な意味で期待を寄せていた。
それ故に、幾つかの技術的な支援やアドバイスも行っていたし、可能であればミナミベレディーが無事に受胎してくれる事を願っている。
「今年生まれたタンポポチャの産駒って牡馬ですよね? どうせなら今のうちにミナミベレディーに慣らしておけば良いと思うのですが、そこまで私達が口を出せませんからね」
「幼駒の頃に慣れていれば、将来的な種付け候補か。まあ、確かにありだよな。もっとも、タンポポチャの初駒が走ってくれなければ意味はないがな」
彼らはあくまでも競馬協会の広報企画担当でしかない。それ故に、個人馬主達に何かを依頼する事すら出来ない。
「まあ、企画提案するくらいは良いだろう」
そう言って、彼らは思いついた内容をより具体的に、判りやすく書き直して行くのだった。
◆◆◆
春の天皇賞へ向けて武藤厩舎一丸となってサクラヒヨリの調整に注力していた。特に前走である大阪杯の敗因を考えると、今年のGⅠでサクラヒヨリが勝利を狙えるのはこの春の天皇賞が最有力と思っている。
「状態的には悪くないな。悪くないどころか絶好調だ。あとは本番次第か」
サクラヒヨリの状態は、今まさにピークなのではと思えるくらいに良い。大阪杯での疲労を引き摺る事無く、それこそ良い一叩きになったとすら思える。
「元々、疲労からの回復も早い馬でしたから。それに加えて5歳になってより充実して来たように思えます。メンタル面も4歳までとは見違えるほどに良くなっていますし、あとはライバル次第ですね」
今年の春の天皇賞、1番人気に上がっているのはやはりサウテンサンだ。ここ2年の春の天皇賞では牝馬の活躍が目立つものの、過去の実績を踏まえるとやはり牡馬有利の意識は強い。
サウテンサンの陣営も、照準をこの春の天皇賞に定めている。阪神大賞典を危なげなく勝利している事からもその充実ぶりは良く判る。実際にレースでは厳しい戦いになるだろう。
「ドバイを走ったプリンセスフラウとマナマクリールが宝塚記念へ直行になりましたから、そこは好条件ですね」
ミナミベレディーもそうだったように、ドバイを出走した後に春の天皇賞を出走させるのは馬の状態を加味すると中々に厳しいのだろう。未だ海外のレースを経験した事の無い武藤厩舎としてはその苦労を察する事しか出来ないが、強豪ライバルが減る事は大歓迎であった。
「あとは枠順だな、有馬記念で大外を引いたミナミベレディーみたいな事は勘弁してほしいが」
ミナミベレディーの後にクジを引いた武藤調教師は、あの時の緊張感を思い出して思わず身震いをする。
「内枠だと良いですね。出来れば5番以内が嬉しいんですが」
「そうだな」
鈴村騎手の報告でも、サクラヒヨリの状態は非常に良いと言う事だ。指示をすればピッチ走法とストライド走法を器用に熟している。元々スタミナがあるサクラヒヨリであったが、今年に入ってからの充実ぶりは目を見張るものがあり、それこそ何処までも駆け抜けていくかのような気持ちを抱かせると言う。
「今まではメンタルの弱さで無駄にスタミナを消耗していたからな。それにしても、まるでミナミベレディーが引退した事を判っているようだな。ミナミベレディーの引退後にヒヨリが調教に出ても、引き運動でもミナミベレディーを探すような素振りは無いな」
「言われてみるとそうですね。てっきりトカチドーターに構っているからかと思っていました」
「馬が引退を理解するとは思えないんだがなあ」
ただ、その思いを一概に否定できないのがミナミベレディーとサクラヒヨリであろう。何と言っても録音した嘶きの効果は絶大であるように感じる。サクラヒヨリのみならず、トカチドーターも嘶きを聞く事で落ち着いた状態でレースへと入る事が出来ているのだ。
「フィナーレにも効果が無いわけでは無いんだが、今ひとつ効果が薄いな」
武藤調教師が思わずつぶやいた言葉を聞いた調教助手は、少し首を傾げた後に答える。
「ああ、嘶きの事ですか。フィナーレは良い意味でも悪い意味でもマイペースですから。ただ、そのフィナーレもここ最近になって漸く仕上がって来ましたよ。今後のレースでは期待できますよ」
4歳になりサクラフィナーレも少しずつ落ち着きが出て来たように感じる。ここ最近の調教でも、今まで以上に集中しているのを感じるし、長内騎手からも手応えが変わって来たような報告があった。
「そうだな。出来れば重賞をもう1つか2つは勝って欲しいな」
そう願いながらも、サクラフィナーレを取り巻く環境は中々に厳しい。先日、漸くGⅢを勝利し重賞2勝目を挙げてくれた。しかし、同等、若しくは同等以上の牝馬達が犇めいている世代であり、牡馬も含めるとGⅢであっても他馬を圧倒出来るほどの実力はサクラフィナーレにはない。
もっとも、自分の常識を疑わなくてはならない出来事が最近は多いからな、まさに何が起こるか判らないのが競馬だ。
そう思いながら、武藤調教師は次走に向け調教計画を練り直すのだった。
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